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一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

村上春樹の物語

2019年01月23日 | 社会
2019年1月~3月放送予定

「心理学者 河合俊雄が読み解く村上春樹の「物語」」

講師:河合 俊雄(かわい・としお)京都大学こころの未来研究センター教授

代表作『1Q84』『ノルウェイの森』をはじめとした世界的なベストセラー作家として知られる村上春樹さんの作品を、著名な心理学者である河合俊雄さんが心理の面からアプローチし読み解いていきます。現代的な世界に、神話的モチーフが融和していると言われる村上作品を通してなぜ私たちが「物語」に惹かれるのかを探っていきます。
番組では毎回村上さんの作品を紹介し解説頂きます。
出演者プロフィール

河合 俊雄(かわい・としお)1957年生まれ。1982年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。Ph.D.(チューリッヒ大学、1987年)、ユング派分析家資格取得(1990年)。甲南大学助教授、京都大学大学院教育学研究助教授を経て、現在、京都大学こころの未来研究センター教授・センター長。専門は臨床心理学。主な著書に、『村上春樹の「物語」-夢テキストとして読み解く―』(新潮社)、『心理臨床の理論』(岩波書店)、『ユング』(岩波現代文庫)、『ユング派心理療法』(創元社、編著)、『発達障害への心理療法的アプローチ』(創元社、編著)など。
第1回 物語・夢のリアリティ:「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」
第2回 現代のリアリティ:バラバラとデタッチメント『風の歌を聴け』
第3回 性と暴力:『ノルウェイの森』、『1Q84』
第4回 解離と向こうの世界:『海辺のカフカ』
第5回 作中物語:『1Q84』
第6回 垂直性:「パン屋再襲撃」
第7回 大切な人と向こうの世界の喪失:『スプートニクの恋人』
第8回 現実へのコミット:『ねじまき鳥クロニクル』
第9回 インターフェイス(夢と現実を超えて):『色彩のない多崎つくる・・』
第10回 第三者と縁:『騎士団長殺し』
第11回 現実への帰還:『騎士団長殺し』
第12回 偶然とリアリティ:「偶然の旅人」


「心理学者河合俊雄が読み解く村上春樹の“物語”」(1)<全12回>【『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』物語・夢のリアリティ】

村上春樹の作品を心理学者で京都大学こころの未来研究センター所長・教授の河合俊雄さんが読み解くシリーズです。春樹作品には「自己とは何か」という問いがよく出てきます。村上春樹はその問いを別のものに置き換えて描いています。この方法は心理療法でも使われる方法だと講師は語ります。作品がどのような世界やリアリティを見せてくれるのか、心理学者ならではの視点で読み解いていきます。

南極観測船

2019年01月22日 | 社会
日本においては1957年(昭和32年)から1962年(昭和37年)までの南極観測船運用(第1~6次)は海上保安庁により行なわれたが、1965年(昭和40年)から海上自衛隊により運用が行なわれている。南極地域の観測及び南極地域観測隊の日本と南極との往復に以下の艦船が用いられた。

初代:宗谷(1957~1962)
2代:ふじ(1965~1983)
3代:初代しらせ(1983~2008)
4代:しらせ・2代目(2009~)
このうち宗谷は、もともと南極観測船として造られたものではない。宗谷は第二次世界大戦前にソビエト連邦の発注により造られたがソ連に引き渡されずに日本海軍に買収され特務艦として太平洋戦争に従事、戦後は紆余曲折を経て海上保安庁に編入され当初は灯台補給船として活躍していたものである。

なお、2008年度の往復にはオーストラリアの民間砕氷船オーロラ・オーストラリスが用いられた。

BS-TBS 報道19:30

2019年01月21日 | 社会
BS-TBSが2000年12月の開局以来、初めて放送する平日の大型報道情報番組である。日本のBS放送ではすでに他局が『BSフジLIVE プライムニュース』(BSフジ)や『深層NEWS』(BS日テレ)などの報道番組を看板に据えており、本番組の始動は他局に「殴り込み」を仕掛ける体裁となった。
メインキャスターには『NEWS23X』(TBS)や『週刊報道 LIFE』(BS-TBS)などでキャスターを務めてきたTBS記者の松原耕二を起用し、月曜日と木曜日のサブキャスターには『ひるおび!・午前』内包の『JNNニュース』(TBS)からの異動となるTBSアナウンサーの高畑百合子、火曜日・水曜日・金曜日のサブキャスターには『週刊報道 LIFE』で松原とコンビを組んできたTBSアナウンサーの出水麻衣がそれぞれ起用されることとなった。
月 - 金曜日19時30分という本番組の放送開始時刻は、19時開始の『NHKニュース7』(NHK総合)が終了し、月 - 金曜日20時開始の『BSフジLIVE プライムニュース』が始まる前の時間帯となる。BS-TBS編成局編成部長の佐藤秀一は、2018年9月4日に行われた同局の改編説明会で、「本番組の最大のポイントは、夜の7時30分からスタートするところ」「NHKさんから流れてくる、もっと深くニュースを知りたい、聞きたいという“ニュースコア層”をBSフジさんに先駆け、取り込んでいくことが最大の狙い」「地上波を含め、ニュースがない報道の未開拓ゾーン。ここにくさびを打ち込んで、BS-TBSが旗を立てる」とアピールしている。

報道19:30 保坂政康

2019年01月20日 | 社会
保阪正康氏が語る「明治」「大正」「昭和」「平成」
そして次の時代には何が?
保阪氏が見た天皇陛下の平和への思いとは?
政府に「明治」回帰の動き? そのとき天皇陛下は?
「起承転結」の明治・大正・昭和・平成…次の時代は?

"明治の国の形"
帝国主義国家 イギリス、オランダ
帝国主義国家的道義国家
自由民権国家 フランス
連邦国家 アメリカ

ゲスト
保阪正康(現代史研究家・ノンフィクション作家)

岩波新書

2019年01月19日 | 社会
旧赤版
1938年11月20日-1946年10月10日
101点
青版
1949年4月5日-1977年4月22日
1000点
黄版
1977年5月20日-1987年12月21日
396点
新赤版
1988年1月20日-現在進行形
1000点超

生きて帰ってきた男
――ある日本兵の戦争と戦後
新赤版
小熊 英二
2015/6/20

(株)貧困大国アメリカ
新赤版
堤 未果
2013/6/28

詩のこころを読む
ジュニア
茨木 のり子
1979/10/22

和漢診療学――あたらしい漢方
新赤版
寺澤 捷年
2015/11/21

砂糖の世界史
ジュニア
川北 稔
1996/7/22

魔女狩り
青版
森島 恒雄
1970/6/20

原発プロパガンダ
新赤版
本間 龍
2016/4/21

子宮・卵巣がんと告げられたとき
アクティブ
まつばら けい
大島 寿美子
2003/12/5

ビジネス英語の第一歩
アクティブ
ハイディ 矢野
2002/9/5

プルトニウムの恐怖
黄版
高木 仁三郎
1981/11/10

バタフライエフェクト

2019年01月18日 | 社会

 初期のごく小さな差違が、将来的に予測不能な大きな違いを生じるというカオス理論を効果的に取り入れた異色サスペンス。“バタフライ・エフェクト”とは、カオス理論を“一匹の蝶が羽ばたいた結果、地球の裏側で竜巻が起きる”という喩えで表した有名な言葉。主演は「ジャスト・マリッジ」のアシュトン・カッチャー。愛する者を救うため、過去を書き換えようとした男が体験する想像を超えた出来事をスリリングに描く。
 少年時代、エヴァンは記憶を喪失する“ブラックアウト”を起こすことがしばしばあった。そこで、精神科の医師の勧めに従い日記をつけるようになるエヴァン。そんなある日、エヴァンが13歳の時、ひとつの出来事が原因で幼なじみケイリーとの仲が引き裂かれてしまう。しかしその時にも彼にはブラックアウトが起きていた。やがて大学生となり、ブラックアウトもなくなり平穏な日々を送っていたエヴァンは、ふと幼い頃の日記を手にとる。すると突然13歳のあの時の記憶が鮮明に蘇った。やがてケイリーのその後の運命を知ったエヴァンは、彼女への想いのあまり、ある行動に出るのだが…。

ラストエンペラー

2019年01月17日 | 社会
溥儀の自伝『わが半生』を原作に、ベルナルド・ベルトルッチが監督、脚本を兼任した。メインキャストである溥儀の青年時以降の役は、香港生まれの中国系アメリカ人俳優のジョン・ローンが演じた。
西太后による溥儀に対する清朝皇帝指名と崩御を描く1908年からスタートし、所々に第二次世界大戦後の中華人民共和国での戦犯収容所での尋問場面を挟みつつ、満州国の皇帝になり、退位し連合軍に抑留された後、文化大革命のさなかに一市民として死去する1967年までの出来事をメインに溥儀の人生を描く。歴史的事実には重きをおいておらず、大胆な創作が随所に盛り込まれている。
清朝及び満州国を舞台にした映画であるが、中国系アメリカ人俳優が主なキャストを占めており、主な台詞は英語であったり、独自の脚色も多い。故宮で世界初のロケーションを行われたことが公開前から大きな話題を呼んだ。観光名所として一日5万人が訪れる故宮を、中国共産党政府の全面協力により数週間借り切って撮影が行われた。色彩感覚豊かなベルトルッチの映像美は圧巻の一語に尽きると高い評価を受けた。特に故宮太和殿での即位式の荘厳、華麗なシーンは映画史に残る有名なシーンとなった。
一方で、他にも中華人民共和国で同じテーマの映画やテレビドラマが作られた上、当時は同国政府による外国映画の上映・放映規制が現在より厳しかったこともあり、アカデミー賞作品賞を受賞した作品であるにもかかわらず、映画の舞台となった中華人民共和国での知名度は高くない。
第60回アカデミー賞作品賞[3]並びに第45回ゴールデン・グローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品。
後に219分のオリジナル全長版もVHSやDVD、ブルーレイのソフトで発表された。2011年からは2年をかけて劇場公開版フィルムを全面修復。2013年のカンヌ国際映画祭で「3D版」として公開され、イタリアにてブルーレイ化された。
あらすじ[編集]


作中、溥儀が自転車で走った場所
1950年。第二次世界大戦の終結による満州国の崩壊と国共内戦の終結により、共産主義国である中華人民共和国の一都市となったハルビン駅の構内。5年間にわたるソビエト連邦での抑留を解かれ、中華人民共和国に送還された「戦犯」達がごった返す中で、列から外れた1人の男が洗面所で自殺を試みる。男は監視人の手により一命を取り留めるものの、薄れ行く意識の中で幼い日々の頃を思い出していた。この男こそ清朝最後の皇帝にして満州国の皇帝、紀元前以来から続く中国王朝の最期の皇帝「ラスト・エンペラー」と呼ばれた愛新覚羅溥儀その人であった。
1908年11月14日、北京。清朝第11代皇帝・光緒帝の崩御に伴い、長きに渡って清朝の最高実力者として君臨してきた西太后は溥儀を紫禁城へ呼び出す。事態を察知した溥儀の実母福晋幼蘭は、乳母アーモに溥儀を託す。物々しい様子の宮中で、溥儀は動じることなく、無邪気に「お家に帰れる?」と繰り返すばかりであった。瀕死の西太后は、溥儀を皇帝に指名して崩御する。即位式の日、家臣たちが三跪九叩頭の礼で新皇帝に拝礼する最中、溥儀はコオロギの鳴き声を追って列中を歩き回る。そして居場所を突き止めると、コオロギを入れ物ごと家臣から譲り受ける。
再び、1950年、一命を取り留めた溥儀は、中華人民共和国の戦犯として撫順の政治犯収容所(撫順戦犯管理所)に送られる。そこの所長は溥儀を助けた男だった。そこで待っていたのは「戦犯」としての自己批判の強要や要人の立場を奪われた生活習慣だった。そこで溥儀は厳しくも善良な所長相手に、孤独で不遇だった私生活を「すべては、(空虚な)儀式でしかなかった」と振り返り、過去を回想していく。
収容所では、実弟の溥傑と再会する。紫禁城を出ることが認められず、宦官ら大人にかしずかれて育った溥儀にとって、溥傑は初めて出会った同世代の子供であり、大切な存在となった。しかしながら、乳母のアーモからは依然として乳離れできず、溥傑の目を盗んでアーモの乳房に顔をうずめる。その様子を、先帝妃たちが見ていた。ある日、溥傑が皇帝しか許されないはずの黄色い衣服を着ていたことから、兄弟喧嘩となる。溥傑は「兄ちゃんは皇帝じゃない」と言い、すでに辮髪もしない洋服の新しい「皇帝」がいると話す。溥儀は皇帝である証明に、宦官に命令して墨汁を飲ませるが、溥傑は自動車に乗った袁世凱が、新たな皇帝として君臨する姿を見せる。ショックを受け、宦官らに問いただすと「紫禁城の外では皇帝ではないが、紫禁城の中では皇帝である」と説明を受ける。そしてアーモは紫禁城を追放され、溥儀は彼女を必死で追うが、会えずに終わる。アーモは乳母以上に、初恋の女性だった。
再び1950年代、収容所所長は溥儀の過去を知るため、家庭教師だったレジナルド・ジョンストンが記した『紫禁城の黄昏』[4]を開く。学生のデモで物々しい北京市街を経て、ジョンストンは紫禁城へ赴く。城内は城外と打って変わって旧態依然としており、伝統や慣習がそのまま息づいていた。10代になった溥儀は知的好奇心旺盛で、盛んに城外へ出たがっていた。ジョンストンは家庭教師として、勉強だけでなく城外の知識や常識を溥儀に与え、溥儀にとって信頼できる友人となる。1921年、溥儀の実母が逝去し、溥儀は自転車で城外へ出ようとするが、衛兵に妨げられる。さらに城外へ出ようと屋根に上った際、頭を打ち、西洋人の医師から「眼鏡をかけないと失明する」と診断される。先帝妃らや宦官は反対するが、ジョンストンは眼鏡を認めないなら、紫禁城の腐敗を新聞を通じて世界に伝えると言い返す。
眼鏡を認められた溥儀が最初に見たものは、お妃候補たちの写真であった。17歳の婉容を皇后に、12歳の文繍を淑妃(第2皇妃、側室)に選ぶ。古式ゆかしい婚礼が行われ、婉容と文繍は友情を結ぶ。彼女を古風な女だと思っていたが、実際には溥儀の理想通り、外国語が話せてダンスが踊れる「モダンな妻」であった。溥儀は2人でオックスフォードへ留学したいという夢を語り、婉容も彼を気に入り好きになりそうだと、互いに好印象を抱く。
再び1950年代、溥儀は日本と接近した経緯と理由を激しく詰問される。成長した溥儀は、もはや城外への脱出ではなく改革を志すようになっていた。その始まりは辮髪の断髪と、宦官らの不正を露呈させるための美術品目録作成であった。その夜、不安を感じた婉容は自ら溥儀の寝所を訪れる。さらに文繍も現れ、3人で仲睦まじく過ごすが、屋外では炎が燃え盛っていた。一部の宦官らが、証拠隠滅のため美術品ごと建福院に放火したのであった。溥儀は激怒し、共和国軍の支援も得て1000名以上の宦官を全て追放する。日本への接近が決定的となったのは1924年、北京政変だった。溥儀を対象としたクーデターで、溥儀ら一族は1時間以内の退去を命じられる。ついに溥儀は紫禁城を離れることとなった。ジョンストンはイギリス大使館へ連絡して庇護を求めるが、国際問題になることを恐れ受け入れず、結局溥儀に手を差し伸べたのは、同世代の天皇もおり親近感もあった大日本帝国のみだった。
日本の庇護下、天津での生活は、軍閥との交渉はあったものの、総じて楽しいものだった。溥儀と婉容は「ヘンリーとエリザベス」となり、社交界でも注目の的だった。一方、文繍は紫禁城の外では(社会的に)妻として認められず、孤独な思いから離婚を望んでいた。ダンスパーティーの最中、蒋介石の上海制圧のニュースが伝えられ、居合わせた欧米人らが拍手喝采する中、輪から外れた溥儀らに甘粕正彦が「日本公使館へお越し下さい」と誘いかける。文繍は車中で離婚の意思を告白し、混乱の中ついに出奔する。友を失った婉容の護衛のため「東洋の宝石」(Eastan Jewel)こと川島芳子が現れる。彼女は溥儀の遠縁であり、あらゆる情報に通じていた。彼女は清朝の陵墓(清東陵)が国民党により略奪されたニュースをもたらし、溥儀を激しく憤慨させる。そして芳子は、婉容にアヘンを勧める。
再び1950年代、溥儀が自発的に満州国皇帝になろうとしたか否か、激しく論争が起こる。溥儀自身は告白には「日本に誘拐された」と記したが、ジョンストンは『紫禁城の黄昏』に溥儀が望んだと記していた。そして、かつての使用人も天津出立前日に荷造りをしたと告白していた。当時、溥儀は満州国の支配者の家系に生まれた自分抜きで満州国の成立はあり得ないと考えていた。清朝復活に魅かれる溥儀に対し、婉容は慎重な姿勢を示す。所長は事実を思い出せ、と『紫禁城の黄昏』を溥儀の目の前に置く。


満洲国皇帝時代の溥儀
1934年に、溥儀はついに満州国皇帝となる。告天礼が行われた後、即位を祝う舞踏会の最中、婉容は涙を流しながら蘭の花を食べる[5]異常な様子を示す。溥儀は婉容をたしなめるが、彼女は日本の傀儡でしかない現状だけでなく何故自分を抱かないのか抗議する。溥傑の横で客人から挨拶を受ける嵯峨浩[6]を見やり、自分も彼女のように子供が欲しいと訴えるが、溥儀はアヘン中毒が理由だと説明し、訪日にも連れて行かないと告げる。宴を中座した婉容は、芳子の導きでアヘンと同性愛関係に溺れていく。
日本で歓迎を受けた溥儀が帰国すると、満州国内の様子が異様だった。国務総理大臣鄭孝胥(Zhèng Xiàoxū)は息子の暗殺を機に隠棲し(=辞職に追い込まれ)、代わって軍政部大臣張景恵(Zhāng Jǐnghuì)が関東軍の推薦の元、溥儀から後任の承認を得ようとしていた。御前会議の場で、溥儀は自分のあずかり知れないところで決められていた張の首相就任を認めないばかりか、諸外国からも承認されつつある独立国として日本のみならず各国と対等な関係を築こうと話すが、関東軍の息のかかった家臣は次々に退席する。
夕食の席で、婉容は溥儀に懐妊を告げる。相手は満州人の男で、溥儀のためにもなると話す。そこへ甘粕が現れ、承認のサインをするよう迫る。溥儀は皇后の懐妊を告げ、満州国の後継者が誕生すると強気に出るが、甘粕は逆に相手の男の名を溥儀に教える。溥儀は帝室の名誉のため、傀儡となることを余儀なくされる。やがて婉容は出産するが、生まれた子はすぐ殺害され婉容は静養のため皇宮を離れる。溥儀は彼女を必死で追うが、会えずに終わる。その様子を見ていた甘粕と芳子は指を絡めあうのだった。
再び1950年代、戦犯たちに対し中国共産党視点での歴史映画が放映される。大日本帝国は満州で侵略の足場を固め、上海での無差別爆撃、南京での20万人以上の虐殺、真珠湾奇襲、そして満州における細菌戦のための人体実験にアヘン生産――満州の映像が流れたとき、溥儀は思わず立ち上がる。日本の敗戦、そして満州国の滅亡により、溥儀は溥傑の勧めにより日本への亡命を図る。出立直前、皇宮に戻った婉容と再会するが、中毒症状で変わり果てた姿の彼女はもはや会話が成立する状態ではなかった。そして亡命の途上、ソ連に捕えられたのであった。
溥儀は、共産党政府が用意したあらゆる「告白」に一転して署名を行った。1959年に特赦により収容所を出所する。文化大革命の嵐が吹き荒れようとしていた折、一介の庭師として植物園に職を得ていた溥儀は、紅衛兵のデモの中に罪人として引き回され晒し者にされているかつての収容所所長の姿を見つける。紅衛兵に話しかけ懸命に庇おうとする溥儀であったが、徒労に終わり所長は連れ去られていく。
溥儀はその足で街をさすらい、博物館として一般公開されている紫禁城へ、そしてかつては自分のものだった玉座へと赴く。そこには彼の顔も知らない博物館の守衛の子供が一人いるだけだった。玉座への立入をとがめる子供に「昔ここに住んでいた」と語る。溥儀は皇帝だった証拠として、幼い頃玉座の隅に隠し持っていたコオロギの壷を手渡す。そして子どもが目を上げたとき、そこにはもう溥儀の姿はなかった。
時代は移り、1987年(公開当時の「現在」)。歴史を直接に知らない国内外から訪れた大勢の観光客たちが紫禁城を訪れ、騒がしさのなかで溥儀の玉座を眺めるのだった。

ガブリエル

2019年01月16日 | 社会
哲学、古典文献学、近代ドイツ文学、ドイツ学をハーゲン大学、ボン大学、ハイデルベルク大学で学んだ。2005年、イェンス・ハルフヴァッセンの指導のもと、後期シェリングの研究によりハイデルベルク大学から博士号を取得した。2005年にリスボン大学の客員研究員、2006年から2008年にかけてドイツ研究振興協会の研究員としてハイデルベルクに滞在した。2008年には古代哲学における懐疑主義と観念論についての研究によりハイデルベルクにてハビリタチオン(大学教授資格試験)に合格する。2008年から2009年にかけて、ニューヨークのニュースクール大学哲学部で助教を務めた。2009年7月にボン大学に着任し、認識論・近現代哲学講座を担当すると同時に、同大学国際哲学センターのディレクターも務めている。過去にはカリフォルニア大学バークレー校の客員教授も務めた
複数の言語(ドイツ語、英語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、中国語)を自在に操り、また古典語(古代ギリシャ語、ラテン語、聖書ヘブライ語)にも習熟している。ガブリエルは既婚者である。
哲学[編集]
2013年、ガブリエルは『Transcendental Ontology: Essays in German Idealism』を上梓した。セバスチャン・ガードナーによる書評が『ノートルダム・フィロソフィカル・レビュー』に掲載され、次のように評価されている。「英語で書かれた本書は、ガブリエルによるドイツ観念論の読解がこれまでで最も包括的に提示されたものである[4]。[…]豊かなアイデアが限られた紙幅に凝縮されているため、読者は予めかなりの関連知識を有していることが求められる」。
あるインタビューにて、ガブリエルは次のように述べている。「現代の形而上学者の殆どは、自らの研究テーマを特徴づけることに失敗しています。彼らは『世界』や『現実』のような言葉を、特に明確な説明を与えることなく、しばしば同じ意味で用いています。私見では、こうした全体性を表す表現は、存在するという性質をもつものを指示することはできません」。また次のようにも説明している。
私はメタ存在論とメタ形而上学というカント以来の伝統を復活させようとしています。周知の通り、メタ存在論という言葉を導入したのはハイデガーであり、また彼はカントの哲学が「形而上学についての形而上学」であるとも明言しています。私が用いるメタ形而上学的ニヒリズムという言葉の意味とは、世界など存在しない、つまり、世界についてその究極的本性、本質、構造、構成、カテゴリー的輪郭などが問われるとき、その問いかけには意図されているような概念的内容が欠けている、ということです。万物を絶対的に構成している何か大きなものがあるという考えは、それが自然的なものであれ理性が不可避的に有する性質であれ、幻想なのです。現代の議論において影響力を持っているネオ・カルナップ主義者たちも同様の結論に至っていますね。彼らの研究で言われていることの多くに私は賛同しており、それをカント的、ポスト・カント的哲学におけるメタ存在論/メタ形而上学の伝統と連結させようと試みているのです。

資本主義の未来“トランプ経済”は

2019年01月15日 | 社会
シリーズ マネー・ワールド
資本主義の未来
“トランプ経済”は
世界を変えるのか!?

2017年4月2日(日)
午後9時00分~9時49分

現代社会が抱える課題を資本主義250年の歴史軸から捉えなおし、その意味するものを紐解いていくシリーズ「マネー・ワールド ~資本主義の未来~」。世界屈指の知の巨人へのインタビューや最前線の現場取材、見えない経済をアニメやデータを駆使して可視化し、私たちの未来について考えていく。ナビゲーターの「爆笑問題」が、今回向き合うテーマは、世界が注目する「トランプ経済」だ。アダム・スミスが世界を自由貿易に駆り立てて以降、拡大を続けてきたグローバル市場経済が、今、トランプ大統領の登場で新たな局面を迎えている。アメリカ発の保護主義が、世界経済の血流を大きく変えるのではないかと懸念の声が高まっているのだ。多国間貿易の流れに逆行するかのような国境税の検討。「ドル高」に繋がる減税やインフラ投資を掲げる一方、「ドル安」を目指すかのような通貨安国家への批判など、かつてない“矛盾”を抱えた未知の経済が動き出そうとしている。「実行すれば世界経済は未曽有の不確実性を抱える」という経済学者がいる一方、「グローバル資本主義はもはや限界。トランプの経済は世界にとってプラスだ」という説もあり、その効果をめぐって論争も勃発。果たしてトランプ経済は、行き詰った世界経済の救世主となるのか?それとも、さらなる混迷と停滞を引き起こすのか? 世界や日本への影響について考えていく。

資本主義の未来第3集

2019年01月14日 | 社会
シリーズ マネー・ワールド
資本主義の未来
第3集
巨大格差 その果てに

2016年10月23日(日)
午後9時00分~9時49分

第3集は、変容する富の分配と巨大格差。資本主義は、人類が史上経験したことのない「巨大格差」を生み出した。その象徴が、世界におよそ150人いるという年収2400万ドル以上の「プルトクラート」と呼ばれる超富裕層だ。巨大な富と力を得たプルトクラートは今年注目のアメリカ大統領選挙を背後で支え、影で世界の趨勢を握っている、とも言われる。一方で、利益の追求を放棄するニューウェーブが世界各地で起き始めている。自らの年収を10分の1にすると宣言するCEO、給与体系を変更し全従業員の賃金を同額にする企業、利益を分かち合う自治体―。過剰な富の追求は「幸福」に繋がらないという経済学が注目を集め始めているのだ。世界の富の分配は、今後どう変容していくのか検証する。

資本主義の未来 第2集

2019年01月13日 | 社会
シリーズ マネー・ワールド
資本主義の未来
第2集
国家VS.超巨大企業
~富をめぐる攻防~

2016年10月22日(土)
午後9時00分~9時49分

第2集は、成長のルールをめぐる国家と市場経済の攻防を追う。これまで市場経済を統御してきた国家が力を失い、資本主義をコントロールできなくなっている。ある南米国家は欧米の巨大企業の進出で成長を狙ったが逆に税収や失業率が悪化し国家破綻の危機にさらされている。経済が低迷する南太平洋の島国では、経済規制をゼロにすることで投資を呼び込む、「国内国家」の検討を始めている。背景にあるのは“国家のルールは少ない方が競争を促し成長できる”と考える「新自由主義」の広がりがある。今や北欧の福祉国家さえも社会保障の財源のため新自由主義の導入を検討し始めた。
そして法律や規制はいっさい要らないと国家不要論を主張するグループまで現れ、世界の国々と自治区設立を目指し、交渉を始めている。経済が行き詰まるなか、国のルールや規制を大きく変えてまで成長を求める資本主義は私たちに何をもたらすのかを考える。

資本主義の未来 第1集

2019年01月12日 | 社会
シリーズ マネー・ワールド
資本主義の未来
第1集
世界の成長は続くのか
2016年10月16日(日)
午後9時00分~9時49分

豊かに幸せになるにはどうしたらいい? 格差ってどうして生まれるの? 商売を成功させる秘訣は? 人生につきまとうお金の悩み。その全てに関係するのが人類が生み出したシステム「資本主義」だ。その資本主義が今“500年に一度”とも言われる大きな岐路に立っている。無限に思われた成長の停滞、パナマ文書などで浮かび上がった富の偏在や巨大格差―。 社会に豊かさをもたらすと考えられてきたシステムが未知のひずみを引き起こし始めている。第1集のテーマは「経済成長」。
近年、世界の経済を牽引してきた先進国の成長が、急速に停滞し始めている。近代資本主義の発祥の地・イギリスでは、EUの離脱決定後にポンドが続落。先進各国もGDPの成長率を相次いで下方修正するなど未曾有の“超停滞経済”と向き合っている。なぜ成長は止まり始めたのか?今後も世界は成長を続けられるのか?フロンティアの消滅や、金融空間の限界など、その背景をひも解きながら、新時代での成長を模索する企業や経済学者の闘いを追う。

BS1スペシャル 「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を越えて~」

2019年01月11日 | 社会
BS1スペシャル
「欲望の資本主義2019~偽りの個人主義を越えて~」
2019年1月3日(木)午後9時00分放送
BS1
番組スタッフから
【番組を企画したきっかけは?】
大きな反響をいただき、このシリーズも三年目。その間、「欲望」をキーワードに民主主義も考え、さらに哲学にも切り込みました。そして、いま、資本主義はどこに向かうのか?
格差、分断を拡大させ続ける資本主義。時代の大きなうねりの中で、自分たちが生きる社会のあり方を再考するための問題提起です。

【番組の見どころは?】
「GAFA」で注目を集めるスコット・ギャロウェィ、「サピエンス全史」「ホモデウス」で文明論を提示するユヴァル・ノア・ハラリ、「新実在論」で話題のマルクス・ガブリエル始め、そのほか、経済学の世界のみならず、世界のさまざまな知性たちの言葉が、資本主義の本質を捉えます。きれいにはまとまらない現実を追いかけながら、映像を通して我々制作陣も思考を展開、深めていく、現在進行形の異色教養ドキュメントです。

【見てくださる方に一言】
2017年には、人々の際限の無い欲望が止まらなくなった資本主義の現在を捉え、その根底に何があるのか?アダム・スミスらの言葉から紐解きました。
2018年は、テクノロジーの開発が全人類の幸せに繋がっていたはずの資本主義が、どこから歯車が狂い始め、なぜ猛烈な貧富の拡大に繋がったのか?シュンペーターらの言葉から読み解きました。
そして、2019年新春。国民国家、市場原理、すべてを超越して巨大化するGAFAへの懸念、そして仮想通貨への期待と不安が交錯する今、資本主義の行きつく先はどこなのか?その原点にあった誤りは何だったのか?考えます。
1月3日は2017年、2018年の再放送もあります。どうぞ、3部作一挙にご覧いただき、ご一緒に考えましょう。

(番組プロデューサー 丸山俊一)

年末年始のテレビ三昧

2019年01月11日 | 社会
年末年始は、松重豊の孤独のグルメ、吉田類の酒場放浪記、土井善晴の美食探訪、の食・酒の番組、永平寺の禅、わたしの”奥駈道”をゆく、外国人のお盆、富士山のスピリチュアル番組、欲望の資本主義、そしてドローンでの冬の北アルプス、のテレビ三昧です。

ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番

2019年01月10日 | 社会
ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番

第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート”を実現したのか?一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?
【出演】玉木宏

演奏時間は約75分。各楽章の副題は、ナチスの侵略を想起させると判断した作曲者本人によって廃案とされたものである。
第1楽章[編集]
Allegretto(「戦争」) 特殊なソナタ形式。25 - 30分。
提示部では、まず生命力に満ちた第1主題「人間の主題」が、力強く描かれる。第2主題「平和な生活の主題」は、極めて澄み渡った美しい主題であり後半においてピッコロ、独奏ヴァイオリンに印象的な高音のモチーフが現れて消えてゆく。その静けさを小太鼓のリズムが打ち破って、「戦争の主題」に置き換えられた展開部に突入する。この展開部はモーリス・ラヴェルの『ボレロ』に影響を受けたといわれ、「戦争の主題」が小太鼓のリズムにのって楽器を変えながら12回繰り返される(この小太鼓の用法はカール・ニールセンの『交響曲第5番』との関連が指摘されることがある)。その結末において全合奏による暴力的な侵攻が描き出された後、第2金管群が抗戦のテーマを訴えしばらくの間、2群の金管を擁した大迫力の音楽が続く。小太鼓が途切れた時点で第1主題が悲痛に叫ばれると音楽は静かになり、再現部に入る。まずは第2主題が提示部とは対照的にファゴットにより暗く悲しげに現れ第1主題は明朗に奏でられるが、やがて悲劇的な色彩を強める。極めて静かに奏でられるコーダでは戦争の継続を示す「戦争の主題」が再び登場するが、その活動的なイントネーションは第4楽章における勝利を予感させる。
提示部第1主題「人間の主題」は「ソヴィエト国民の持つ勇気と自信‥」第2主題「平和な生活の主題」は、第1主題とともに「自由なソヴィエト人の肖像その勇気と堅忍…理想への熱望ともにみられよう」というような解釈がかつてはよくなされていた[8]。
「戦争の主題」は、前半部はムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』第1幕、自作『ムツェンスク郡のマクベス夫人』からの、後半部はレハールのオペレッタ『メリー・ウィドウ』の「ダニロ登場の歌」からの引用であるという説がある[9]、[10]。かつてはこの主題は勇猛果敢なソビエト軍を表現しているという解釈が一般的であったが、前者は、民衆が脅されてボリスに帝位につくよう懇願するのとカテリーナが自らの犯罪をカムフラージュするための嘘泣きする主題でありすこぶる意味深長である。もし後半の主題がレハールの引用であるとすると、この主題はドイツ軍を表現していると考えるのが自然であるということになる。ちなみにレハールはヒトラーからの支持を受け、保護されていた。[要出典]
ダニロの歌には「それでも俺はマキシム(『メリー・ウィドウ』でダニロが入り浸っているパリのキャバレー、レストラン)に行くぞ。あすこは神聖な祖国を忘れさせてくれる」という歌詞があり、作曲者の息子の名がマキシムであることを考えてもかなり重要な意味を持つといわれている[11]。
「戦争の主題」はバルトークが『管弦楽のための協奏曲』の第4楽章で引用しており、ショスタコーヴィチへの揶揄ともナチス批判とも取れる。
第2楽章[編集]
Moderato. Poco allegretto(「回想」) 4拍子のスケルツォ。約10分。
木管による哀愁を帯びた主題が印象的である。戦闘の苛烈さを表すかのような金管の激しい咆哮でクライマックスを迎えるが、再現部で悲しげな表情に戻り静かに終わる。
第3楽章[編集]
Adagio(「祖国の大地」) アダージョ。約18分。
ショスタコーヴィチには珍しいタイプのアダージョであり、比較的叙情的で明るい内容を持つ。冒頭、崇高だが悲痛な嘆きをも思わせるコラール主題がffで奏された後、陽気で息の長い旋律が現れる。中間部では大地を疾走するような音楽が続き、再現部になる。バロック様式をとりながら祖国愛を表現している。第4楽章へ切れ目なく続く。
第4楽章[編集]
Allegro non troppo(「勝利」)約18分。
勝利のフィナーレ。大きく3部分に分かれている。第3楽章から切れ目なく続く地響きのような低音とともに序奏が始まる。ここで登場する「タタタター」という同音連打はモールス信号の「V」(・・・-)すなわち「Victory」を表すとされ、曲中で執拗に登場する(ベートーヴェンの「運命」の動機のパロディという説もある)。急速なアレグロ調で開始する重要なモチーフが第1部で圧巻の展開を見せる。「作品の輝かしい帰結」と称された第2部では、サラバンド調の音楽が遅いテンポで続く。それは戦争の犠牲者を哀悼するようである。第3部においてはその速度を維持したまま基本モチーフが重厚に展開され、結末へのただ1本のクレッシェンドを形成する。その頂点で第1楽章の第1主題(「人間の主題」)が全楽器の絶叫によって打ち立てられ、序奏の同音連打が勝利の宣言となる。