再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

日本のエネルギー政策を考える(3):どうする原子力#1

2011-04-16 10:07:19 | 日本のエネルギー政策を考える!

供給側の論点から始めるとすると、やはり最初は原子力問題とならざるを得ない。

原子核分裂の莫大なエネルギーを平和的にエネルギー利用すること。そもそも核兵器として開発され、使われてきた核のエネルギーを発電に使うという技術は、20世紀前半の大きな発明であり、その技術は当初期待に満ちたものであった。

原発の当初は非常に少ない燃料で、巨大かつ安価なエネルギーを取り出す可能性があることから、夢のエネルギー源ともてはやされた。

しかし、副産物としての放射能問題がクローズアップされてくると、安全確保のためには建設費の高騰やバックアップ装置への追加投資、使用済み燃料の廃棄処理費用など、かなりのコストアップ要因が出現して、必ずしも安価とは言えなくなってきた。

そうした状況下で、1979年に米国スリーマイル島原発、1986年に当時のソ連邦チェルノブイリ原発で起きた事故は、原子力発電に付随する計り知れないリスクに人々は目覚めた。

一方、日本においては、戦後敗戦国としてしばらくは原子力研究が禁止されていたが、1952年の平和条約において解禁され、1955年には、原子力基本法が成立し、本格的に原子力の平和利用がはじまった。その後、1963年に東海村に建設された実験炉にて、初めて発電がおこなわれ、その後、上述の米国やソ連での原発事故を横眼で見ながらも、国内での商用利用の原発が次々と建設されていった。

2008年の実績では、原子力発電は世界の全発電力の約15%を占め、世界30カ国で432基の原子炉が運転されている。

日本では、2010年現在で電力量の約23%を原子力が担っており、55基、発電設備容量約5000kWの原子炉がある。

今回の福島第一原子力発電所の事故は、残念ながら日本における原発の安全神話を根底から覆すこととなった。そして、なお現時点でも、まだその収拾の見込みも立っていない危険な状態にある。

こうした状況下で、原発の是非を軽々に問うことは避けるべきであろうが、この事故によって日本人すべてがその危険性と共に、電気の重要性にも目をさまされた。

電気は効率的に貯められない。発電したものは、即消費されねばならない。在庫にできない極めて取扱いの難しい商品なのだ。

この摂理がある以上、われわれの暮らし方や電気の使い方をもう一度見直しつつ、原子力に今後どう向き合っていくのか。

今回の事故を契機として、原発の今後をどうするか、もっと開かれた場での国民的な議論を期待したい。すべての人が納得できる案などは不可能であろうが、少なくともより多数の理解を得るような努力を惜しむべきではない。

私の個人的な意見としては、今回の不幸な事故から学ぶべきことは無限にあると思う。そこからもう一度、安全、安心の原子力技術の再構築をすべきだ。少なくとも事故があったから、もう原子力は駄目だというような風潮には流されるべきではない。

人間は失敗からしか成長の糧を得ることができない。

原子力関係者の今一度の奮起を期待するものである。


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