私が公道でもコーナリング
でハングフォームを取る理
由はいくつかあるが、主要
な理由は二つある。
一つはバランス取りの為と、
もう一つ(こちらのほうが
重要)は「できるだけ車体
を寝かせたくないため」と
いうもの。
同速度旋回であるならば、
リーンウイズよりもハング
フォームのほうが車体は起
きる。その現象はイコール
タイヤの接地面積にマージ
ンが大きく取れ、同時にト
ラクションを得やすくなる。
これは物理的に。
そして、同じコーナーであ
っても、リーンウイズで限
界一杯一杯のバンク旋回よ
りもハングだと高速度旋回
が可能になる。同じアング
ルまで寝かせたならば、重
心をインに持って行くハン
グフォームのほうが寝かし
度数に余裕も生まれ、物理
的に安全に速い速度で走行
できるからだ。
つまり、旋回においては物
理的特性としてリーンウイ
ズよりもハングフォームで
のイン側への重心ずらしは
マシンの接地の面において
余裕の度合いが広がる。
結果、マージンの範囲とい
う懐が広くなり、安全確保
に大きく寄与する。
私はハングフォームは1976
年から使っていた。コース
でも公道の峠でも。
当時は「ハングオン」や「ハ
ングオフ」という呼び方は
存在しておらず、日本では
「荘乗り」と業界では呼ん
でいた。
世界グランプリでもまだ完全
にハングフォームは普及して
いなかった時代だ。完璧にこ
なしていたのはヤマハの250
世界チャンピオンのヤーノ・
サーリネンとその後輩のケニ
ー・ロバーツだけだった。
やがてケニーによってメソッ
ドが完成されたハングフォー
ムは全世界に普及して、世界
グランプリでの標準フォーム
となった。
ただし、膝出しの重心移動
自体は1960年代初期にすで
に世界グランプリのトップ
ライダーたちは実行してい
たのが映像や写真から確認
できる。
その二輪走行の世界での物
理特性を利用した走行姿勢
の技術をさらに発展させて
深化させたのが1972年に
世界チャンピオンになった
ヤーノ・サーリネンだった。
1970年代中後期には国内の
公道ではまだハングフォー
ムがほとんど知られていな
かったので、よく同級生や
親戚の二輪乗りたちから
「その乗り方は何?」と訊
かれた。うちの高校の全学
年でハングフォームでコー
ナリングをするのは私と後
に国際A級になってマン島
を走ったクラスメートの二
人のみだったからだ。
二人ともS特進クラスだっ
たが、ガッコの勉強などは
しなかった。バイク三昧(笑
全学でその友人が一番速く
二番手が私だったが、サー
キットのコースでは私のほ
うが良いタイムを出す事も
あった。しかし、奴は安定
していた。まるで聖秀吉の
ように。背格好と体型も似
てるけど(笑
高校時代の仲間内で7~8台
で峠に走りに行くと面白か
った。私とそいつだけがコ
ーナー手前のハードブレー
キングからスッとハングし
てペタンと寝かせてギューッ
と旋回して行く。
コーナーを抜けた直線では
他の連中はミラーの彼方に
消えている。私とそいつは
2台でベッタリついている。
そういうシーンが毎回だっ
た。
ハングポジションで旋回し
ていても、ステアをガチガ
チに握り締めたり、腕を伸
ばして突っ張って体重を前
にかけたりする事は一切無
い。下半身でマシンはホー
ルドしている。
これはリーンウイズでも同
じであるのは二輪走行の原
則だろうが。
ただ、アドベンチャーモデル
やオフロード車に乗って公道
の舗装路を走る時は、センタ
ーオブグラヴィティをインに
移動させるハングフォーム常
用の私でもロードモデル特有
のハングフォームは取らない。
これ、当たり前だろうけど(笑