渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

歩行訓練

2022年02月20日 | open

こんな難しい配球を「嘘でしょ?!」
というようなショットで取り切って
行く友人。

だが、最後の9番への出しミスで
こんな玉になった(笑


これはチビスィイ。

ロングの空クッションから狙って
穴前カタカタで外したのでこの
ゲームは貰った。

かるーくと思っていたが、結局、
15時間の長距離歩行行軍となっ
た昨日午後からけさがたの夜明け
前までなのだった。
5時間経過後からは、やるのはいつ
ものナインボールの旧ルールの5
ゲーム先取り。それの7セット先
取り。
累計ゲーム先取りではないので、
5先のゲームが4-4のヒルヒルに
なっても、5先最後の1ゲームを
落としたらそれまでの4ゲームは
パァになりセットカウントは0。
勝ったほうはセット数1。
その5先7セットの先取り。
最初の5先は私のぶっちぎりで
5-0で1セットを取った。
その後、ヒルヒル続きながらも
まくられて、セット数1-5でちぎ
られかけた。
それを5先15ゲーム連取でセット
数4-5まで追い上げたら、相手も
休憩挟んで気合を入れ直して、
完璧に入れまくりでセット数4-6
に離される。
そして11セット目。5先数が4-4
のヒルヒルとなった。
が、ぬぁんと、おいらがラストの
ナインボールを穴前マスワリ飛ば
しをしてゲームカウント4-5でその
セット負け。
セット数は4-7となって大差がつい
てけさがたは負けた。
いやあ、一球は大切です。
一球一球が大切なのだけど、ここだ
けは絶対に外してはいけない玉とい
うのがゲーム中にもある。
今回は、セットが4-5の時点で、
10セット目のラストゲームを落と
してセット4-6でセットリーチと
されたのが痛い。
5-5とするのと4-6とでは雲泥の
差だ。たった一球のミスでそう
なった。
流れを読んで、この一球は絶対に
外してはならない、という極めが
甘かった。

二人ともリハビリ訓練対戦なので、
入れよりも手玉の訓練ゲーム。
それでもズンドコ落としまくる。
ただし、二人とも無駄な長考や逃げ
のセーフティはしない暗黙の了解で
どんどこゲームを進める。
無論1個外したら回って来ない。
正月から再稽古を始めて、ようや
くC級ノービスからSC級(笑)ほど
にはなれたか(そんな級はねーす)。

只今、二人揃ってリハビリ中。
ゲームを通して、いろんなショット
を試斬のように試して行くのが目的。
対戦15時間は撞き過ぎだが、一人
訓練の時も3時間位は全く同じ玉を
ずっと撞き続ける。ショットを完璧
なものにするため。
先日のその訓練も今回の相稽古の
中で活かせた事が分かった。
一度軟球配置からの完璧過ぎる手玉
の動きでの裏マスワリがあった。
14.1ラックのように場を意思通り。
これはたまたまだが、そのたまたま
が毎度の事にしていくたまたまが
玉玉の世界だ。それはたまたまでは
なくなる。狙った意思の実現を100%
に近づけて行く。
完璧にスポーツなのだ。
まるで氷上のフィギュアスケートの
厳しさのように。

的玉を穴に入れるのは当たり前の
前提なので、どれだけ手玉を正確
に動かすかを私と友人は今やって
いる。
手玉の出しが甘くて、それをシュー
ト力でカバーして誤魔化すのでは
なく、穴の幅の狙った位置に入れ
て、手玉を正確に狙った場所に移
動させる、という事を今は稽古し
ている。穴から見て小さな扇形の
エリアに。
「だいたいこのくらいのとこ」で
はなくもっと狭く。
適当に出して取り切って、では
ない。

これは、私のやる試斬の稽古に
似ている。
ただ畳表が切断できたかできない
かなどという超絶低い次元思考の
試斬などは私は一切やらない。
そんなもん刀を使う人間は切れて
当たり前なのだから。エアいあい
だろうと「刀術」をやっているの
だから。
切れない人間は嘘物のエア切り
体操をやって来たから切れない
だけで、刀を使う限り使い手が
物を切る事ができるのは当たり
前の事なのだ。箸の持ち方のよう
に。

それと一緒で、穴台撞球では玉を
入れるというのは当たり前の大前提
の事。
問題は、どうやってどのように入れ
たか、であり、どのように手玉を
きちんと次球のために=全体取り
切りの為に正確に移動させたか、
だ。
日本刀での試斬稽古も、その視点
を持たないと、ただのモグラ叩き
のようになる。無駄。意味なし。
時間を無駄に使っている。
そして、目を開かないと、たかが
畳表が切れたか切れないかだけに
目が行く斯道の外道となる。武技
武芸、武士の一分からは著しく離
れる。
釘打ちは家を作る為であり、釘打
ちをする目的でトンカチがあるの
ではない。
家を建てる為に釘が正確に打てな
いとならず、そのために大工は
釘打ちの技術を習得する。
釘打ちを目的とはしていない。
そこの大切なところをまるで解っ
ていない刀振りが世の中多すぎる。

撞球においても、大切なのはどれ
ほど入れたかではない。
そんなのは大前提で箸の持ち方だ。
重要な事は、どのような意思を持
っていて、どれだけその判断が正
しいのかを現実に実行する事だ。
その正確適正な判断力の具現化の
為には正確な技術の裏付けがない
と事は成せない。
玉の穴入れなどは当たり前の大前提
なので、そこは重要ではない。
それを実行するのに何をやったの
か、こそが重要なのだ。
シュート力があれば入れのみに特化
した「イレイチ」で玉は突けるが、
いくら玉が突けても、それは玉撞き
ではない。

これ、結構、大切。
日本刀を用いる伝統武芸の修練でも、
キューという木製玉撞き棒を用いる
撞球という球技においても。
道は相通じている。

この記事についてブログを書く
« ぶら下がり健康器 | トップ | ビリヤード 〜スリークッシ... »