渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ビリヤード 〜スリークッション〜

2022年02月20日 | open


ビリヤードというキューを使った
キュースポーツの球技において、
最高至高の究極の種目はスリー
クッションだ。
計算通りに狙ったように手玉を
自在に動かして3度クッション
に入れてから的玉に当てる種目。
どのように当たったか、ではなく、
どのように当てたか、が中心と
なる競技だ。

ビリヤードの起源は古く、紀元前
から原始的な玉当て競技は野外で
行なわれていた。
そして、それはゴルフとなった
り、ホッケーとなって分岐発展
して来た人類史がある。
テーブルテニス=卓球のように
ビリヤードが室内競技として発展
してからは、最初はホッケーのよ
うな木製器具で玉をゲートにくぐ
らせる競技となった。台の真ん中
穴があり、それに玉を入れる。
別分岐した野外のゴルフに近い。
それが、だんだんとゲート先の
レール側に穴が設置され、そこに
落とす競技に発展した。




やがて、ビリヤードは玉転がしから
棒で玉を撞く種目に発展、穴に入れ
るのではなく、玉同士を狙い通りに
衝突させるキャノンボールが生まれ
た。


穴は台から消滅し、玉のぶつかり
を点数として競技するキャロム
ビリヤードが登場して、ビリヤー
ドは完成をみた。
さらに、器具が改良され、滑り
どめのパウダーが発明され、そ
してフランス人がキュー先に革を
貼り付ける事で魔法のような手玉
の動きをさせる事を思いついた。
日本における江戸時代のビリヤー
ド。長崎でさかんに外国人白人に
よって行なわれた。

一方、英国を中心に台の四隅と長
クッションの真ん中に穴を設けた
台での玉入れ競技も発生して独自
に発達した。
さらにそれが英国から独立後の
アメリカ合衆国で独自に発展し
てアメリカンポケットビリヤード
=通称プールが誕生した。
西部開拓時代の事だ。

その19世紀にアメリカで誕生した
プールが今や日本では盛んになっ
ている。
英国式スヌーカーよりも玉は大きく、
台は9フィートで小さい。

英国式ポケットビリヤードのスヌ
ーカー。台は大きく、玉も穴も
小さく、コーナーのクッション
エッヂは丸められていてとても
入れにくい。
スヌーカーに比べたら、プール
などは賭け玉遊び用として扱われ
て来たのも頷ける。
プールのほうが圧倒的な簡単で
スピーディーだからだ。

ビリヤードはどの種目も簡単では
ない。
ボウリングのように玉がピンに
当たれば倒れる、ダーツのように
投げれば誰でも刺さる、という
ような球技ではなく、一定のレベ
ルが無いと競技自体が成立しない
球技だからだ。
なので全世界的にビリヤードは
一般的なスポーツのようには普及
しない。フライフィッシングと
同じだ。あるレベル以上の専用
技術がないとその種目自体をやり
こなせないのでオハナシになら
ない特殊な種目だからだ。

ビリヤードはどの種目も簡単で
はないが、ビリヤードとは穴無し
玉当て競技のキャロムの事を狭義
には指す。穴入れはポケットビリ
ヤードであり、スヌーカーやアメ
リカンプールとなる。
キャロムは日本で明治以降貴族
たちだけでなく、一般人にも大
流行した。
日本が侵略併合していた頃に朝鮮
台湾にビリヤードを日本人が
持ち込み、終戦後には南朝鮮韓国
と中華民国台湾で国技かのように
隆盛を見た。選手育成にも両国は
力を注ぎ、日本はいつの間にか
とうに層としての実力は抜かれて
しまった。
戦前までは世界選手権でも日本人
は唯一の東洋人として活躍してい
たのに。

日本では紅白の4個の玉を使う
四つ玉や三つ玉が主流だった。
1860年代の幕末から1986年ま
では日本の国内で「ビリヤード」
「撞球」といえば四つ玉の事を
言った。
京都大阪のみアメリカンプール
がそこそこあったが、当時「ロー
テーション」と呼ばれたプール
は、ビリヤードの世界では「お遊
び玉レジャー」として見られてい
て、ビリヤード=キャロムより
もかなり格下の論外とされていた。
穴入れ玉のプールよりもキャロム
のほうが高度な技術を要するのは
確実な事だ。これは物理的に。

そして、かつてキャロムビリヤード
は、英仏西の貴族たちによって
嗜まれていたように、日本におい
ても皇室はじめ、鹿鳴館に入れる
華族によるプレーが嚆矢であり、
特権階級の常識的スポーツがビリ
ヤード=キャロムだった。
街に撞球場ができたのは、東京が
初めてで、西洋料理店の店内に
撞球台を置く事が一般化した。
やはり、始まりは銀座だった。

どのビリヤードも簡単ではないが、
最難関はキャロムのスリークッ
ションだ。一番難しい。


台が大きく、玉も大きくてとても
重たいスリークッションや四つ玉
をやった直後にアメリカンプール
をやると「これはピンポン玉か?」
という程に玉が小さく軽く感じる。
「キューを出して撞く」という動作
は同じなのだが、重さと撞いた感
触がかなり異なるので、両者での
二刀流は非常に難しい。
どちらか一方に特化しないと、なか
なか両立は困難だ。

だが、私は思う。
ビリヤードの究極はスリークッシ
ョンだ、と。
アメリカンプールは非常に競技性が
高くて勝負事として面白いのだが、
部屋に一台置きたくなるのはキャロ
ム台だ。せめて四つ玉台を、と。

勿論、プール台は別に1台必須と
して(笑

ただ、今の日本人は忘れている。
プールといえばアメリカ合衆国、
スヌーカーといえば大英帝国。
それと並んで、四つ玉といえば
世界の中では日本だったのだ。
日本が世界一四つ玉競技が根付い
て大スタンダードになっていた。
日本は世界を代表する四つ玉王国、
キャロム大国だったのだ。
そして、世界大会で多く開催され
ていた三つ玉やボークラインでは
なみいる白人を向こうに回して
日本人が大活躍して日本ここにあ
りを見せていたのがキャロムビリ
ヤードだったのである。
スリークッションはベルギーを
はじめとするヨーロッパ勢が強い
が、日本人も戦後何人か世界チャン
ピオンになっている。
日本は刀やオートバイだけでなく、
キャロムビリヤードの国でもあっ
たのである。

私は、ビリヤードを始めたのが
東京であり、かつ、たまたまビリ
ヤードブームになる直前だったの
でラッキーだった。
なぜならば、まだ四つ玉が主流
で、四つ玉を散々どこでも玉屋で
は撞けたからだ。

昔の古い教本。


この本の中には、見開きでビリヤ
ード場を紹介する大きな写真が出
てくるが、そこにたまたま私が
写っている。奥でマッセをする
同僚を台ぎわで両手をついて見守
るワイシャツにネクタイが私。
台間が狭く席がないためにやむな
くこうなる。ここは高田馬場ビッグ
ボックス。


今などは四つ玉を撞こうにも
を置いてある店を探すのが大変
な世の中に変貌してしまった。
プールであるローテーションの
みがビリヤードであるかのような
勘違いをしている人たちだらけ
になった。
若者などはビリヤード=キャロム
である事を知らず、穴入れ玉競技
のみがビリヤードかと思っている
し、それに疑問も抱かない。歴史
など知ろうとしない子たちだらけ
になっているから。
ただ、ゆとり教育が彼らのせいで
はないように、今の撞球環境が
プールオンリーであるのも、物
を知らない彼ら若者のせいでは
ない。
だが、知ろうとしないのは、彼ら
若者の責任に属する。

スリークッションの台があると
最高なのだが、スリー台は管理
が難しい。
石板の下にヒーターがあり、台
を暖めるのだ。
ラシャが乾燥してよく玉が転が
るように。
アメリカンプールのようなくそ
重たいラシャとは別次元。
スリー台はコンディション維持
が難しい。
ただ、私はポケットビリヤード
の台にスリーで使うような滑る
ラシャを用いて入れを簡単にする
集客セッティングは大嫌いだ。
ポケット台は、しっかり撞かない
と手玉が走らず、かつ穴は狭い台
でないとつまらない。
穴入れ撞球は玉転がしではない
からだ。
スリーはまるでトビウオのように
台上を手玉が走るのが本旨なので、
走るラシャであるのが望ましい。
ポケットはまた本旨が別物だ。
ポケット台では重いラシャをさら
に緩く張って重くする。どんどん
難しくなる。
そういうセッティングの台がよい。

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