渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

『劇画・オバQ』

2021年01月13日 | open
 
 
1973年、作者本人によって
衝撃的な作品
が世に出た。
もろにブラックユーモアだ。
それが『劇画・オバQ』だ。
これを『おばけのQ太郎』の
正式続編だと
すると、1960
年代の名作「オバQ」は全
否定になってしまうという
笑えない結末な
のだ。
 
15年ぶりに人間界に戻った
Q太郎は、昔
暮らした街で
正ちゃんたち昔の友だち
再会する。
だが、みんな大人になって
おり、社会の
歯車の一つと
して動いているので、もう
子どもの時のようには遊べ
ない、となる。
Q太郎は正ちゃんの家族と
してかつては
暮らしたが、
今は経済的にも養えない。
そして、正ちゃんには子ど
もが産まれる
ので、オバQ
の行き場は無くなってしま
た。
街も人も変わった。
もう、人間界でオバQがいる
場所はない。
Q太郎は虚しく一人空に去っ
て行くのだっ
た。
 
こんなひどい話をよく藤子
不二雄は描く
なあと、当時
腹立たしかった。
「サンタクロースなんてい
ないよ。あれ
はアメリカの
清涼飲料会社がわざと
赤い
服を着せて、人間が物を
売るために
作られたホン
トはいない人なんだよ」
と子どもに真実を伝えたか
らと、何の得
があろうか。
得も徳も無い。
この1973年発表の『劇画・
オバQ』だけ
は、こういう
作品はあっては駄目だ。
他の人が描いたアナザー
ストーリーなら
まだしも、
作者本人がそれはないだ
ろう。
あんまりだ。
 
オバQのキャラはブースカ
と重なり、それ
はやがて
ピョン吉になり、グーグー
ガンモ
に受け継がれて行っ
た。
グーグーガンモの最終回も
涙無くしては
読めない物語
だった。半平太たち全員の
記憶は消されるのだ。だけ
ど、なぜか空
を見上げる彼
の目には涙がつたう。
そのラストシーンは映画
『時をかける少
女 2010』
で引き継がれた。
 
そうしたオマージュは、多
くの旧作ファン
の製作者に
よって表現される。
しかし、オバQの話が『劇画・
オバQ』を
正式な続編とする
ならば、もう絶望的に
オマー
ジュさえも生まれ得ない程
に存在が
否定されて爆砕
れたのだ。
それは、『ハレンチ学園』
において、最終
話で主人公
たち全員が内戦で爆死した
ので
もう続編の作りよう
がない事に等しい。
 

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