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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ウルトラマンのスーパーガン(1966⇒21世紀)

2025年07月16日 | open

「TAMASHII Lab スーパーガン」商品化記念『ウルトラマン』ハヤタ隊員役・黒部進 スペシャルインタビュー | 魂ウェブ

「TAMASHII Lab スーパーガン」商品化記念『ウルトラマン』ハヤタ隊員役・黒部進 スペシャルインタビュー | 魂ウェブ

「TAMASHII Lab(タマシイラボ) スーパーガン」商品化を記念して、『ウルトラマン』ハヤタ隊員役・黒部進氏のスペシャルインタビューを公開!

魂ウェブ

 




TVドラマ『ウルトラマン』
(1966)のハヤタ隊員(ハヤタ・
シン=早田進/演:黒部進=
吉本隆志)が劇中で使われ
たスーパーガンについてイ
ンタビューに応じている。
実物よりも少し大きいとの
感想を述べている。
しかし、1966年当時に使わ
れたプロップガンは総金属
製で、銃身をシャキンと伸
ばした時の全長は25センチ、
重量は1000グラムあった。
金属製モデルガンのSAAと
ほぼ同じ。重く大きかった。
そのため、フジ・アキコ隊
員が撮影のたびに重くて苦
労したと後年話していたの
はウルトラファンの間では
有名な話。



二輪車のたのしみ

2025年07月16日 | open



二輪というのはどんな機種
であっても、乗って走れば
パラダイス。
実に面白く楽しい乗り物だ。

思うに、それは二輪車にし
か持ちえない独自の動きを
持つからかと思う。
二輪車は曲がる時のその特
有の動きがとても面白い。
他の乗り物には無い二輪固
有の動き。
これが最高。



 
 

 




ツーリング未経験者

2025年07月16日 | open



二輪外出走行好きとはいって
も、荷物を沢山積んで、何日
も泊り
ながら旅するという、
いわゆる
「ツーリング」とい
うのはほ
ぼやった事が無い。
自分でも何気なくツーリング
か「ラーツー」とか「めしツ
ー」という単語を使ってはい
るが、厳密に自己分析すると、
それはツーリングという概念
には該当しないと思える。
阿蘇行きで別場所に2泊とか
したのはあれは極めて珍しい。
あの阿蘇行きでの走りはツー
リングと呼べるかも知れない。
20代の頃から1日1000km以上
走っても中味
を吟味すると、
それはほぼ全てがドカン
だ。
荷物を積んでの長距離走行で
も、目的地までドンと行き、
途中でどこかに寄って泊まっ
たり観光旅行したりした事が
ない。
長距離であっても弾丸で目的
地まで走って、そこで宿泊と
いうのは高校生の時からある
が、すべてほぼ全部がドカン。
バイクに荷物積んでゆっくり
各地を観ながら二輪旅、とい
うのはほぼやった事がない。
目的地が無く、単独や相方と
デュオで1日数百キロを走り
回る時も、それはいわゆるツ
ーリングではなく走りが主体
(というかそれのみ)のドカ
ンだ。休憩はするが、基本的
に走り続けている。
結局、よく考えたら、私は要
するに「ツーリングライダー」
ではない。「乗り屋」だろう。
距離は一般的俯瞰としてはそ
こそこ走るほうだと思うが、
中味は二輪旅というものでは
なく、基本は走りそのものに
目的がある二輪走行外出にな
っている。

よくよく考えたら、日本や
世界の各地に行って、その
場所の歴史や文化に触れ合
うのにわざわざ二輪で行く
理由は無い。四輪車やバス
や鉄道や飛行機等の公共交
通機関を使えばよい。
それらで行ける場所ならば。
二輪で行くのは「走る」た
めだろう。
つまり、見知らぬロードと
の接点と観た事の無い景色
との出会いがある。ガラス
ウインドウ越しではなく直
に触れる生の景色、という
二輪独特の特性によって。
そして、ロードとの接点が
生まれる事が二輪車の最大
の特徴でもある。
目的地があるならばそこに
続くロードを行く楽しみ。
あるいはその行程のロード
レイアウトと触れ合い、親
しみ、楽しむ喜び。
四輪車やバスや鉄道などで
は決して味わえない最大の
二輪の特徴は、その「ロー
ドとの結びつき」だと思え
る。
よく二輪の世界では「走っ
てナンボ」という言い回し
が使われるが、二輪車とは
所有して飾って眺める物で
はなく、自分自身が乗って
自分だけの力で前進させる。
ロードを走って。
それこそが二輪の最大の特
徴であり、持ち味であり、
二輪固有のものだといえる。
観光旅行をするならば、別
に二輪を選ばなくともよい。
二輪は暑いし、寒いし、汚
れるし、危険だからだ。
だが、二輪でしか得られな
いものが確実にあるので、
人は二輪で走り出す。
私もその一人だ。

 
 


★衝撃の小排気量6気筒エンジン! ホンダRC166

2025年07月16日 | open

★衝撃の小排気量6気筒エンジン!
ホンダRC166


250cc4バルブ6気筒60PS超。
250モーターサイクルレーサ
ーの人類史上の究極マシンだ。
世界グランプリにおけるヤマ
ハ2ストレーサーを撃墜する
ために開発されたこの史上最
高のマシンは、WGP世界選手
権主催者の脅威となり、やが
て多気筒エンジンの規制が導
入されるようになった。
それは、世界選手権とは銘打
っているが、現在でも水泳競
技に黒人選手がいないのと同
じ白人社会の価値観に基づく。
世界の国々、世界の人々を対
象にした競技大会ではない。
つまり、白人のスポーツであ
るレースの世界で、黄色人種
が人類史上最高の技術でエン
ジンを作り、車を作り、競技
で世界の頂点に立つというの
は欧米人たちにとってはとて
つもなく許しがたいものだっ
たからだ。
日本人と日本メーカーが白人

社会の競技に参加できたのは、
日本人が「バナナ」と西欧人
に呼ばれるように、見た目は
黄色なのに中身は白い、とい
う日本人への認識が白人たち
にあったからだ。亜白人とし
て日本人は白人たちに見られ
ていた。
それゆえ、アパルトヘイト主
義を貫いていた南アフリカに
おいて、白人と黒人他有色人
種の婚姻は認められていなか
ったが、唯一日本人のみとは
白人の婚姻が認可されていた。
だが、白人と同列ではなく、
日本人は地位を与えられなが
らも、白人よりも下の下等な
人種、というのが白人欧米社
会の不変の価値観だったのだ。
それは戦後においても。

この思想は現在でも根強く残
っており、二輪車世界選手権
MotoGPの世界では日本車締
め出しの
排外主義が横行して
いる。

一時期、ヤマハを中心とする
日本製二輪車が世界選手権を
圧倒したのは半世紀に及んだ
が、今でも欧米人の本音は日
本車などには勝たせたくない
というのが実相だ。
だが、見せかけの民主主義国
家群を装う西欧においては、
参加は自由(事実上日本以外
のアジアは排除)、だがルール
は自
分らが決める、という体
裁で
日本車を締め出そうとし
ていた
し、今はコンピュータ
の制限に
よりそれを実行して
いる。

結果として日本車は能力的に
排除された。
結論として、民主主義を偽装
した露骨なパワハラと排除意
識と排外主義が根幹にあるの
が二輪の世界だ。

日本においても、否、日本人
においても、自分の表立って
の世間体や「公式」の姿や立
場という自分都合に脅威とな
る存在は排
除排外する人間や
組織が圧倒
的大多数だ。
それが日本人の「凡」。

平凡の凡であり、凡人の凡で
あり、まさに「凡」。ありふれ
ており、すぐれていないとい
う漢字
の原意そのものの人間
が日本
にも掃いて捨てる程い
る。


ホンダの挑戦の魂と行動は素
晴らしかった。
一つの時代の中で、世界の檜
舞台でホンダのマシンとホン
ダの行動が燦然と輝いていた
のは、これは歴史的事実だ。
事実は排除排外を以て己の虚
飾の立場を保全しようとする
連中にも動かせない。
歴史の中で本当に存在した事
実であるからだ。
1966年、ホンダは世界ぐラン
プリで全クラスのタイトルを
取るという歴史的偉業を達成
した。


ホンダは1960年代に一度魂の
咆哮を見せて世界を震撼させ
た。
そして、WGP撤退から約10年
の時を経て復活し、3年後には
再びその挑戦者の魂を世界に
見せつけ、世界王者となった。
さらに近い将来、ホンダは3
度目の魂の存在をまたも示し
てくれる事だろう。
私は日本人として、それを期
待している。
きっとやり遂げてくれるだろ
う、と。
排外主義を旨とする者どもな
ど蹴散らしてやれ。



 
 

 
 


ナイスおっぱい

2025年07月16日 | open
 

良作映画『おっぱいバレー』。
2009年作品。
舞台の時代は1979年だ。
ただ、過去を表現したり、語
ったりする時には、映像作品
や文章でも世の中結構多いの
が事実誤認が散見される事だ。
それは記憶違いであるのか、
歴史事実との照合不足である
のか、事実から眼を逸らした
いのか、あるいは自分の脳内
で都合よく改ざんしてそれが
脳内で事実として認識されて
いるのかは不明だが、過去を
扱う映像作品や解説文などに
は現実の歴史事実とは全く異
なる事が表現されたり述べら
れる事が世間ではたまに見ら
れたりする。
例えば、織田信長が死亡した
かどうかの事実は実際問題と
して真相は不明なりとしても、
本能寺の一件があった事実や
年月は消えない。
それを天正年間ではなく、慶
長何年に本能寺の変があった
とか、織田信長は太閤であっ
た、江戸幕府を開いた初代将
軍は徳川家光であるとかした
ら、それは現実とは異なる事
を言ってる事になる。
そうした歴史的な事実という
のは動かせないものなので、
歴史事象を語ったり表現した
りする際にはそうした点を外
すのは禁忌であるのだ。
そうした歴史的事実と歴史の
評価は別物なので明確に弁別
しないと真実の歴史は語れな
い。トランプのように誤認や
嘘を基に物を語るのは✕なの
だ。
仮にWW2の終戦の年は1950
年であったとか、ナチスドイ
ツではカール・デーニッツが
総統であったとかなどを言い
出したら、それは歴史事実と
明らかに異なるのである。
大戦中の米国の大統領がチャ
ーチルだとか、チャーチルが
V2ロケットを飛ばしたとか、
その手の類。
本作品も良作ながら、そうし
た部分が時代を語る表現映像
において結構多く見られる。
そこだけが残念。
ただし、本作で描かれた世界
観と人と人の心の繋がりのみ
は、創作映像作品ながら現実
の人間模様の如何を描いてい
るかと思う。
良作、おすすめ。