これは私のTL125(1973)
だが、これまでTL125には
これを所有するまで乗った
事が無かった。
TL50には学生の時に乗った
事がある。
最初は、後輩が持っている
TL50のスプロケとチェーン
を交換してほしいというの
で、一緒にホンダパーツ=
ホンダ部品販売まで行って
純正パーツを買って来た。
その場で申請すれば、多少
待たされたがすぐに純正パ
ーツを出してくれた。ボル
トまで。
そして、学生アパート前の
駐車場でチェーンとスプロ
ケを交換してから、試し乗
りでそこらを乗らせてもら
った。なかなか快調で良い
バイクだった。色は私の今
のバイアルスにそっくりだ
った。
2回目はやはり学生の時に
仲間たちと愛知県の伊良湖
にキャンプに行った時だ。
うちらが主催したイベント
キャンプでかなりの人数が
参加した。数百人の参加。
その時、スタッフがトラン
ポに誰かの持ち物のTL50
を積んでイベントに持ち込
んだ。
それでナンチャッテのプチ
トライアル大会を開いたの
だ。
私は優勝はできなかったが
上位には食い込んだ。
とはいっても、本格的な
トライアル競技者はいない。
ジャンボリーのキャンプ会
参加者はほぼ全員がロード
派。オフ専門はいてもトラ
イアルの選手はいなかった。
一応かじった事がある程度
の人ばかり。
ミニコースでやったが、な
かなか面白かった。
ガチ勝負ではないお楽しみ
会的なお遊戯だったが、参
加した人たちは全員楽しん
でいた。
ホンダTL50は大活躍した。
それと面白かったし大盛況
だったのがエアソフトガン
を使った射的大会だった。
あれは大人気だった。
まだエアコッキングガンし
かこの世に無かった頃。
しかも、カート式だ。
ツヅミ弾をBB弾式に自主改
造したカートとチャンバー
を搭載したエアソフトガン
を何丁も持ち込んだ。
射撃レンジも設えての簡易
射的のプリンキング競技だ。
カートレスなどまだまだメ
ーカー純正では存在しない
時代。
カートレスは自分たちで
すべて改造製作した。
当然カートレスではないの
で、ガスガンも世の中に登
場していない時代だ。
今思うと、あの頃が牧歌的
で良かった。エアソフトガ
ンの黎明期にあたる。
世界の中ではエアソフトガ
ンというトイガンを製造し
ているのは日本だけだった。
ホンダのTLはとても良いオ
ートバイだ。
そして、この機種により日
本にトライアルが誕生した
ので、歴史的な車でもある。
当時は「トライアルス」と
呼ばれていた。第一回の全
日本の大会は、各県の選抜
選手が神奈川の山奥の河川
敷の玉砂利と砂浜のような
コースを乗る大会だった。
まだ産声をばかりのカテゴ
リーの機種なので、タンク
形状などはロードモデルの
後年のスクランブラー・ト
ラッカーのような形だ。
アメリカのダートトラック
競技の車種とあまり変わら
ないようなデザインシルエ
ットになっている。
実はこの姿がオンロードで
もかなりカッコいのよ。
歴史的な記念すべきドキュ
メンタリー映像がYouTube
にアップされている。
私の14才年上の人が主人公だ。
昭和21年生まれの団塊の世代。
カレンダーの日付から1973
年の映像作品である事が判る。
日本ではMFJが1973年に第
1回トライアルス全日本選抜
大会を開催した。それの予選
大会が映像にある8月12日だ
ったのだろう。
映像作品を観ると、11月の
本大会決勝と同じ神奈川県の
早戸川河川敷だ。
当時トライアルという言葉は
存在せず、トライアルスと呼
んでいた。
全国で予選大会を開き、上位
者が本大会決勝に出場できる
甲子園高校野球のような競技
大会から歴史は開始された。
この映像はそのトライアルス
大会の全国選抜競技大会に参
加した若者を撮ったドキュメ
ンタリーである。
全日本大会本戦決勝は1973
年11月、同じ神奈川県の早
戸川の河川敷で開催された。
翌年から選抜ではなくクラス
分けライセンス保持者の本格
的な選手権大会のレースとな
った。
男たちのまぶしい休日