上杉治憲(鷹山)米沢入城、
改革に反対する重役の抵
抗に遭う
米沢藩主上杉鷹山(諱治憲1751-
1822)は人物だった。善政を
治めた事で有名だ。
この映像作品は良いドラマだ
が、江戸期元和以降、城勤め
の武士が髭を生やす事は絶対
に無い。というか存在しない。
こういうのは時代劇の嘘なの
であるが、やってはいけない
映像表現だ。
NHK、かなり時代考証が甘い。
もっとも、大河でも戦国武将
たちをジャニーズのような髪
型で登場させるのだから、甘
いどころか出鱈目すぎるのが
NHKなのだが。
『水戸黄門』のうっかり八兵
衛の「ご隠居、あいつらグル
ですぜ」よりはましか、とい
うとそうでもない。どっこい
だ。(グルとはグループの
略。昭和新語)
こうした映像表現で、最近多
い大嘘に大刀の下げ緒を前垂
らし右結束にしている武士を
登場させる時代考証まる無視
の映像作品が多く見られる。
その方式は、昭和初期時代に
一刀差しの居合の為に大日本
武徳会の中山博道が新規発明
した方法であり、江戸時代に
は武士の作法には一切存在し
ない。
銃声がバキューンという程に
虚像であるので、そうした事
を時代物映像表現で為しては
ならない。
西部劇のガンマンが光線銃を
持っているようなものだから
だ。
なお、「忍者」という単語は
昭和期に文筆家が考案した新
語だ。江戸期には存在しない。
韓国人が「忍者は韓国が起源」
などと言うのは端から噴飯物
だ。
しかも「剣道」という単語も
日本人が明治末期から大正期
にかけて考案して普及させた
ものだ。
「剣道=コムド」として、剣道
が韓国の起源である、などと
言うのも大捏造も甚だしい。
もうすこしましな嘘をつけば
よいのに、出鱈目にも程があ
る。
天皇まで韓国人であるとする
のには驚いたが、最近では
イエス・キリストも韓国人
だったとするらしい。
嘘はよくない。
日本人にあっても。
とりわけ映像表現での嘘は
それがあたかも時代考証が
きちんとなされた事実であ
るかのような印象を与えて
しまう。
江戸期の女子は全員既婚者
はお歯黒だったが、そこま
では表現せずとも、「一線」
というものがある。
そもそも、時代劇で話す言葉
は現代語であるし。
ただし、存在しなかった事象
を出すのはおかしいのだ。
あった事をやらなくとも省略
でしかないが、無かった事を
さもあったかのようにやるの
は非常に質が低い。
江戸期の元和以降の侍の髭
とか。
そういうのは駄目だ。
映像表現者として拙なり。
届く。
横浜市立大正小学校校歌
懐かしい。
ぜってー私が在校時にいた
人たち(笑
ちょい上あたりか。
この小学校、横浜市の歌唱
コンクール出場に力を入れ
ていて、1960年代~70年代
初頭には在校生は総動員で
しょっちゅう訓練した(笑
卒業式が凄かったよ。
オリジナル曲の合唱なのよ。
延々と30分位歌うの。
重層的なコーラスで。
それは在校生と卒業生の歌
でのやりとりのような楽曲
だった。「ありーがとーせ
んせー」みたいな曲。全譜
覚えてないけど(笑
横浜市歌は還暦過ぎの今で
も絶対に忘れないけどね。
なかなか良い学校でしたよ。
学園ドラマチックの熱血教師
大集合だった。
戦前保守派のとんでも先ちゃ
んも結構多かったけど。
この学校で、小4の時に私が
書いた脚本が小5の時に全校
学芸会で演劇として上演され
た。
反戦タイムスリップ物。
どの過去の時代にタイムスリ
ップしても、権力者の横暴と
それに苦しむ人民、そしてそ
うした専横に抵抗する人々の
心と真の平和と平等を求める
人民の心理について描いた作
品だった。
第二次大戦後の戦後には、見
せかけの平和主義によって、
最後は核戦争で地球が真っ白
になる、という展開。
原作脚本を書いた私は、江戸
期の町人をいじめる岡っ引き
の役で出演した。
演技中、アドリブでかつらを
わざと落として会場から大爆
笑を得たが、あれはやりすぎ
だった。
ドリフじゃないんだから。
被り物のズラは地球儀を半分
にして自作した。
前年度上演作品は、他の子が
書いたホンで、確か横浜港
付近の吉田新田開発の物語
だった記憶がある。
結構凝った学芸会で、衣装
とか本当に着るのよね。
開墾農民ならそれらしき衣装
を。
私もそれ着て舞台に立った。
横浜という市は、文化芸術
=文芸に小学生も創作的立
場から主体的に触れさせて
情操教育をする市だった。
横浜、よいとこ。
【歴史解説】戦国・穢多、
非人!人ならぬ者の物語!【MONONOFU物語】
こういう事を学校できちんと
教えるべきだろう。
幕末に咸臨丸で日本人はアメ
リカに初めて渡ったが、その
操船を為した「かこ」と呼ば
れる人々も「賤民」と呼ばれ
た階級だった事も教科書には
出て来ない。
実は、日本の文化や各種技術
は「賤民」と呼ばれた階級に
置かれた人々によって築かれ
てきた。
刀鍛冶でさえ元来は「賤民」
階級だった。
歌舞伎役者たちも。
そして、江戸期の出版関係の
人たちも。
医者も産婆もそうだった。
日本の教科書では、階級身分
により最下層の階級に置かれ
た人々が差別された事のみを
教える。
だが、実は日本の歴史の中で
多大なる功績を残して、日本
を作った人々に「賤民」階級
の人々が属した事を一切教育
しない。
さらに、部落差別は明治以降
に差別の再生産がされて、見
かけ上の階級は無くなっても
江戸期以上の差別が国内で明
治以降に横行した事も学校で
は教えない。
そして、今でも部落差別はこ
の日本において強烈に残って
いる。
これは首都圏都心部でもそう
であり、西日本地方では目を
覆うような差別意識と実際の
差別が大手を振ってまかり通
っている。
多くの人たちは「見ない、聞か
ない、言わない」事でその場
のみを局所的にスルーしよう
としている。
だが、部落差別は過去のもの
ではなく現在も強烈に残存し
ているのが現実だ。
部落差別は、職業差別でも地
域差別でもない。血脈差別で
ある。
穢れを払う能力があるとかつ
ては特別視された人々が、そ
の存在そのものが穢れである
と故無く見做されて差別され
るのが部落差別だ。
そして、それだけではなく、
就職や結婚についても差別
され続けていたし、現在でも
結婚差別などは根強く存在す
る。
病院も出産施設も看護施設も
かつてはそうした「賤民」階
級に置かれた人々が一手に担
って日本の人々を助けて日本
の歴史を形成していた。
人の生にかかわる今でいう医
師も看護師も助産婦も、また
人の死にかかわる埋葬者も、
すべていわゆる「賤民」階級
に置かれた人々だった。
この動画で解説されている
ように、日本の歴史の中で
日本の人々を救っていたの
はそうした「賤民」階級に
置かれた人たちだった。
だが、「穢れが多い」「人に
非ず」としての呼称まで植え
つけられて、日本人の最下層
に置かれた。
地域でも職業でもない。血脈
によって。
「えた」「ひにん」たちが武
士の委託を受けた下級警察官
として脇差を帯刀して農村の
叛乱監視や取締り、街道沿い
の門番を任じた歴史事実も
学校の教科書では教えない。
豊臣秀吉が「非人村」の出自
である事さえも隠ぺいしたま
まだ。(藤吉郎は若年の頃、
猿回しを得意とした)
広島藩においては、「かわた」
と呼ばれる階級があった。
これは別地方では「えた」と
呼ばれる階級だ。
「かわた」たちは、藩の命によ
り各農村に少数家族で配置され、
居住する住居は「革田小屋」と
呼ばれた。
主たる任務は農村での一揆監視
と報告と取締りの「横目(=監
視任務)」の役だ。
これは広島藩領内全域に配置さ
れた。
また、広島城本藩では「かわた」
による今でいう特殊部隊が創設
され、隊員たちは武士顔負けの
武技を修練し武術に精通してい
た。広島藩のそれは「岩関流」
といった。私は皆伝書実物を
見たが、総合格闘術であり、
柔から捕縛術、居合から鎖鎌な
どの刀槍武術にまで修練科目が
及んでいる。
その広島藩「かわた」部隊が
藩内の百姓一揆鎮圧に出動し
た記録がある。
その時には形勢悪く、武装す
る農民数千人に取り囲まれて
絶体絶命になった。
広島藩の精鋭の「かわた」部隊
は50名で、鎮圧どころか生か死
かの局面になった。
だが、広島藩「かわた」部隊は、
全員が脇差を抜刀して切り抜け、
ただの一人の死者も出さずに生
還した。
その記録が藩に残っている。
広島藩においては百姓農民階級
が激烈な部落差別を為し、これ
は今でも農家こそが部落差別を
行なう筆頭だが、歴史的に農民
を監視して為政者の尖兵となっ
ていた血脈階級を敵視する歴史
性が現代でも続いていると思わ
れる。
今でも広島県の農村においては
徹底した部落差別教育が子孫に
対して非公然で為されており、
未だに強烈でエゲツナイ差別
感と差別言動を百姓たちは為
しているのが現実だ。本当の
現実。
それは表には出ないので、公的
糾弾対象にさえならない。
なお、全国で被差別部落地区が
一番多いのは広島県だ。
広島県内は江戸期から現在まで
農業に従事する被差別地区も多
いのだが、この動画にあるよう
に水はけの極悪な場所や山間部
に追いやられていたという現実
があった。
それを広島県の被差別部落の人
たちは「水との闘い」として、
先祖の悲痛な苦労話と環境改善
を目指す行動の歴史として後世
にきちんと語り残している。
人は憎まず、制度とその差別構
造を彼らは憎んだ。
そして、差別状況の中で必死に
毎日を生きて来た。
子どもたちは学校にさえ通えな
いような日々を送りながら。
なお、広島県では明治に入り、
旧「賤民」階級の人が初めて
外食ができるとうどん屋に二
人で入ったら、客として居合
わせた平民たちに「えったが
うどん屋に来るなど生意気
じゃ」と集団暴行で殴り殺さ
れた事実がある。
そうした「市民感覚」が今で
も残っている県が広島県だ。
江戸期には「えた」「ひにん」
は武士階級の下級官吏として
も任についていた。
それは江戸での道路の木戸番
(ばんたと呼ばれた)や、刑
吏として死刑執行や犯罪者の
死体処理を行なっていた(関
東では長吏と呼ばれた)。
町方の下級官吏である、いわ
ゆるよく時代劇に登場する十
手持ちの親分や下っぴきなど
も全員が「えた」だ。
つまり、小説や映画・ドラマ
の「銭形平次」は間違いなく
「えた」階級である。
また、江戸の市民の安全を護
った町火消たちも全員がそう
した階級だった。
このような事は、学校では教
えない。
なぜ教えない?と感じる。
そこには「寝た子は起こすな」
と「見ざる、聞かざる、言わ
ざる」が美であり、スルーす
る事によってその場しのぎで
自分が無関係を装えばよい、
とする歪んだ心が厳然とある。
清くあれ、と人は言う。
だが、「清く」とあるが、人
の「清らかさ」とは一体何で
あるのか。
それは血脈などには一切規定
されはしない。
やる事の中身そのものがどう
であるか、心の在りかがどう
であるのか、だ。
その本質を忘れて、血脈や出
自で人を見下して人ではない
として穢れた者たちとする。
それが差別であり、実はその
ような心根を持つ人間こそが
心が穢れている。汚れ切って
いるのを通り越して、穢れて
いる。
自分に刃を向けて、まず自分
がどうであるのか、から始め
ないと、日本人の間に今でも
根強く残存する血脈差別は消
滅しない。
人が人として、すべての人が
同じように笑える日を願うた
めには、まず自分がどうであ
るのかと自問自省自戒、根本
からの心の改善と制度的な差
別の撤廃を願い、かつ行動し
ないと、明るい未来は築けない。
Top 10 Movie Headshots. Movie Scenes Compilation. Part 5. [HD]
拳銃を突き付ける相手の手か
らクイックロブで銃を奪い、
即座に射殺。
だが、奪って構えた時には
左手なのに、直後の射撃で
は右。
あと、走って逃げる者を狙
って撃つ時に激発と同時に
倒れている。
現実ではこれは無い。
この距離では着弾時間があ
るからだ。
この距離ではワンテンポ遅
れて実弾拳銃弾は被弾する。
まるでリアルではない映像。
映像作品において、こうい
う間違いや表現はやっては
いけないのだ。
だが、実に映画にはこの手
の映像齟齬が多い。
『クイック&デッド』(1995)
では一対一の決闘のシーン
で、ディカプリオの姿が裏
焼きになっていた。
これはカメラの位置を変え
ずに左右の対峙する二人を
表現したかったため、映像
上は向かい合う二人を左右
からの射撃に見せたい目的。
銃が逆向きになっていて、
SAAのエジェクターが銃身
の左側に着いている妙ちく
りんなことになってしまっ
ている。
これは、本作中で身体に被
弾して向こう側が見える穴
が開くというファンタジー
表現とは別物で、表現とし
ては超えてはならない一線
を超えてしまっている。
身体や脳天に被弾して向こ
う側が見える穴が開くとい
うのは夢想ファンタジーで
あるが、同じ非現実性とし
ても、右で握った銃が次の
カットでは左で、というの
はやってはいけない手法だ。
だが、瞬間映像でもおかし
い事は即観客は見抜くし、
映像技法としても、そのよ
うな事はやってはならない
のだ。
ところが、映画作品ではこ
の手の事が非常に多い。
その場合は、単純な撮影編
集ミスの場合と、「向きが
逆になっても観客は分から
ないないだろう」という意
図でそのままフィルムが繋
がれる事の二通りがある。
『続・夕陽のガンマン』
(1967)でも、そのようなミス
がある。
最後の決闘のシーンでクリン
ト・イーストウッドがリー・
バン・クリーフを射ち倒した
際、墓場の地面にリー・バン・
クリーフが落とした銃を腰だ
めのまま墓穴に撃ち落とすシ
ーンがあるが、射撃直前のカ
ットが変わった時に落ちてい
る銃の位置と向きは前カット
の時とまるで別な位置と向き
なのだ。
こういうのは駄目なのである。
また、『ハスラー』(1961)で
もポール・ニューマンがホテ
ルを出る時に置いてあった
キューケースの位置が同じ
シーンのカットによりまる
で別位置の別角度になって
いる。
さらに『ハスラー2』(1986)
ではビリヤードボールの向
きがカットごとに変わって
いたり、重要なシーンで玉
に映る主人公の姿が逆焼き
(逆に映る鏡とは逆。つま
り正の向き)になっていて、
現実では絶対にあり得ない
向きだったりする。
これは実際にボールに映る
姿を捉えたのではなく、玉
を覗き込む主人公をマイク
ロカメラで撮影した映像を
ボールにただ重ね焼きした
ために起きた物理的なミス
映像だ。
『ローマの休日』(1954)で
はオードリー・ヘップバーン
にグレゴリー・ペックがア
イスクリームを買いに行く
広場の階段のシーンが有名
だ。
背景に時計台のある教会が
映っているのだが、アイス
を買いに行くだけなのに
何時間も時間が経過してい
る。しかも時間軸が逆方向
に。
何度も撮り直ししているか
らだろうが、人物の影まで
まるで別方向になってしま
っている。
この手のミスはどんな名作
であろうとも、やってはい
けない映像表現手法なので
ある。
物理的におかしい事はおか
しいのであるから。
それは空想活劇のファンタ
ジー表現の次元とは異なる
映像上の齟齬や錯誤にあた
る。
黒澤明の名作『七人の侍』
(1954)の中でも多くのミス
が出て来る。
カットが変わった瞬間に侍
が腰に差している刀がまる
で別物になっている、とか。
そういうのは、映像製作者
はやっては駄目なやつ。
チャイム86回連打など…
3年間440回嫌がらせ
56歳男を4度目逮捕
近隣女性はPTSD発症
【羽鳥慎一モーニングショー】(2024年7月19日)
こりゃしでえ。
【峠バトル】vs. Kawasaki Z250
~凄腕250ccライダーを追え!~
流しているレベルの速度では
あるが、注目すべきは先行車
のZ250(4st)の人の走り方。
とても巧い。
特にブレーキングと旋回での
トラクション処理が。
後輪の面圧のかけ方もとても
巧い。
フロントも上手く沈めて回っ
ている。
ただ、直線では全開にはして
いない。
速度を出し過ぎないように抑
えての快速走行。
非常に車体の動きは安定して
いる。
転ばない人の走り方。