渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画によくある駄目なとこ

2024年07月25日 | open

Top 10 Movie Headshots. Movie Scenes Compilation. Part 5. [HD]




拳銃を突き付ける相手の手か
らクイックロブで銃を奪い、
即座に射殺。
だが、奪って構えた時には
左手なのに、直後の射撃で
は右。
あと、走って逃げる者を狙

って撃つ時に激発と同時に
倒れている。
現実ではこれは無い。
この距離では着弾時間があ
るからだ。
この距離ではワンテンポ遅

れて実弾拳銃弾は被弾する。
まるでリアルではない映像。

映像作品において、こうい
う間違いや表現はやっ
ては
いけないのだ。
だが、実に映画にはこの手

の映像齟齬が多い。
『クイック&デッド』(1995)
では一対一の決闘のシーン
で、ディカプリオの姿が裏
焼きになっていた。
これはカメラの位置を変え
ずに左右の対峙する二人を
表現したかったため、映像
上は向かい合う二人を左右
からの射撃に見せたい目的。
銃が逆向きになっていて、

SAAのエジェクターが銃身
の左側に着いている妙ちく
りんなことになってしまっ
ている。
これは、本作中で身体に被

弾して向こう側が見える穴
が開くというファンタジー
表現とは別物で、表現とし
ては超えてはならない一線
を超えてしまっている。
身体や脳天に被弾して向こ
う側が見える穴が開くとい
うのは夢想ファンタジーで
あるが、同じ非現実性とし
ても、右で握った銃が次の
カットでは左で、というの
はやってはいけない手法だ。

だが、瞬間映像でもおかし
い事は即観客は見抜くし、
映像技法としても、そのよ
うな事はやってはならない
のだ。
ところが、映画作品ではこ
の手
の事が非常に多い。
その場合は、単純な撮影編
集ミスの
場合と、「向きが
逆になっ
ても観客は分から
ないない
だろう」という意
図でその
ままフィルムが繋
がれる事
の二通りがある。

『続・夕陽のガンマン』
(1967)でも、そのようなミス
がある。
最後の決闘のシーンでクリン
ト・イーストウッドがリー・
バン・クリーフを射ち倒した
際、墓場の地面にリー・バン・
クリーフが落とした銃を腰だ
めのまま墓穴に撃ち落とすシ
ーンがあるが、射撃直前のカ
ットが変わった時に落ちてい
る銃の位置と向きは前カット
の時とまるで別な位置と向き
なのだ。
こういうのは駄目なのである。

また、『ハスラー』(1961)で
もポール・ニューマンがホテ
ルを出る時に置いてあった
キューケースの位置が同じ
シーンのカットによりまる
で別位置の別角度になって
いる。
さらに『ハスラー2』(1986)

ではビリヤードボールの向
きがカットごとに変わって
いたり、重要なシーンで玉
に映る主人公の姿が逆焼き
(逆に映る鏡とは逆。つま
り正の向き)になっていて、
現実では
絶対にあり得ない
向きだったりする

これは実際にボールに映る
姿を捉えたのではなく、玉
を覗き込む主人公をマイク
ロカメラで撮影した映像を
ボールにただ重ね焼きした
ために起きた物理的なミス
映像だ。

『ローマの休日』(1954)で
オードリー・ヘップバーン
にグレゴリー・ペックがア
イスクリームを買いに行く
広場の階段のシーンが有名
だ。
背景に時計台のある教会が
映っているのだが、アイス
を買いに行くだけなのに
何時間も時間が経過してい
る。しかも時間軸が逆方向
に。
何度も撮り直ししているか
らだろうが、人物の影まで
まるで別方向になってしま
っている。

この手のミスはどんな名作
であろうとも、やってはい
けない映像表現手法なので
ある。
物理的におかしい事はおか
しいのであるから。
それは空想活劇のファンタ

ジー表現の次元とは異なる
映像上の齟齬
や錯誤にあた
る。

黒澤明の名作『七人の侍』
(1954)の中でも多くのミス
が出て来る。
カットが変わった瞬間に侍
が腰に差している刀がまる
で別物になっている、とか。
そういうのは、映像製作者
はやっては駄目なやつ。






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