ここは三原城に面した旧山陽道
である。
センターラインは黄色線ではみ
出し禁止だ。
三原市内を通行する人たちが
どんな運転をするか、実態を
お知らせしたい。
こんな感じ。完全に逆走です。
これ。
これ。
通る車全部がこれ。
はみ出しなんてマシなほう。
はみ出し。
これまた。
これも。
対向車?関係ない風。
ぶつかりそうになるので、両車
停止状態。
まるで、すり抜けのように離合
しています。
それはなぜか。
下り車線を走る車もトンデモ
運転者ばかりだから。それは
これにも写っている。
完全にセンターラインを割って
から左に曲がろうとしている。
これも三原市内走行者の特徴。
これも。
完全に両者が正面衝突ルートで
走行するのです。
要するに、三原を走る人たち
は、上下線ともこうした走行
が常態化しているということ。
また、このポイントだけでな
くどの道でも市内ではこうい
う現象がみられる。
毎回、毎度、いつも、いつで
も。
これは大量に撮影して特別に
違反者のみを選んで抽出した
のではない。
昼のたった数分の間に、通行
する車ほぼすべてがこのよう
な運転をしているのである。
極め付け。
バイク大逆走。
さて、これらの運転者たちは、
あおり運転者と一体どこが違
うのでしょうか?
あおり者のように粗暴でない
だけで、一般の良市民風にし
ている人たちがこのような無
法で自分勝手で他者に配慮を
欠いた危険運転を平気で行な
っているのです。ほぼ全員が。
良識ぶった市民たちが、なん
の疑問も抱かず、己を省みず、
他者に危険をもたらす身勝手
な行動をする。
本物の「悪質なもの」という
のがこれです。
三原市内の車両通行の特徴を
以下に図でまとめました。
ほぼ全車が停止線手前で一時
停止をしない、というのも含
めると、三原市内の車両の特
徴は4点にまとめられます。
市内通行車両のほぼ全車がこ
うした運転をしています。
警察官でさえ一時停止をしま
せん。警官バイクもパトカー
も。(それらは写真に収めて
ある)
こういうのは気をつければ
直せるので直したほうがいい。
私も郷に入れば郷に従えでの
このような運転はしないよう
に注意している。
道交法がどうとかではなく、
こういう運転は危ないから。
危ないのはやめたほうがいい。
やらなければそれで済むのだ
から。不治の病ではない。
赤線が三原走り。
(これは上の実例画像で示したケース)
このマッハのポスターは
楠センセのララバイにも
モチーフとして採用された。
本牧レディの登場の時。
女の子でこんなマシンをドコー
ンと乗ってたらめっちゃカッ
コいい。勿論、ダサい背中反
り返りの尻出し乗りではなく、
研二君とタメ張る本物乗りで。
て、ポスターの件は以前も書
いたけどさ。
つーか、おいらは新名じゅん
推しだけどさ。
て、新名じゅんとレディとの
違いがよく判らないが(笑
楠センセの漫画って、髪型を
変えたら全員同じ顔てなとこ
あったりする。
下手したら研二くんも友美
ちゃんになっちゃう(笑
私は新名じゅん推し。
小泉今日子 半分少女
国民の一人、民衆の一人として
きちんと物言いをする小泉今日
子さんは、別に左翼ではないよ。
たかが日共の新聞にインタビュ
ー受けて載ったからとキョンキ
ョンを「共産主義者」として誹
謗中傷するバカな右翼の早稲田
卒のおばはんがSNSでわめいて
るけどさ。ヒステリックに。
キョンキョンが蓮舫都知事候補
を支持するからと、アカ=国賊
みたいな論調(論にもなってない
が)で感情的になって。
右翼や保守派大好き連中のそ
の手の感情的ヒステリーは、
なんかとってもキモいわぁ~。
右翼や保守大好き連中の共通
の特徴は、その殆どが「識別
能力が一切欠如」という事な
んだよね。左翼の各組織の
区別と識別さえつかないし、
もしかすっと統制派と皇道派
の違いさえ知らないかも。
要するに、右に共通するのは
かなりのバカ。
三島先生は右翼ではないが、
右派の民族主義者ではあった。
で、三島先生がバカかという
とそうではない。
今の多くの右翼や保守派の脳
足りんとは別物。
右翼の中でも本物は識別区別
能力も有しているし、物事を
理論的論理的に解析できてい
る。まるで左翼のように。
ただ、周辺右派の頭の悪さは
左翼周辺のリベラル派との差
があり過ぎて、存在自体が
「その頭の悪さ、何とかなら
んのか」と思ってしまう。
知能や知見でいったら、左翼
周辺のほうが右派周辺よりも
圧倒的に優位だろう。
人の能力として。
その象徴的な現象が社会には
見られる。
知性と無縁な層や集団は、大
抵は右派保守反動体制側に絡
めとられて行く。
そして、何とか万歳!が美し
い事だと誤認して集団人殺し
を美化したり自慢したりし始
める。
はっきし言って、人間として
頭よろしくない。
頭がよろしくないからさらに
体制側にベッタリとなびく。
思考停止しているから。
ポチのまたポチになっている
事の自覚は無い。
同じ小泉でも元総理大臣の
小泉純一郎君は原発の危険性
について目覚めた。いや、現
役政治家時代には無知だった
ので大変お恥ずかしい、と自
己切開して発言しながら、今
は脱原発の論客となっている。
現在都知事候補の石丸君は原
発推進派だ。
核廃棄物はどうするのか。
放射能被害で住む場所を奪わ
れた国民に対してどう思うの
か。
一部の人の犠牲の上に自分ら
が生活を確立する。
そんな社会がまともだとでも
思っているのか。
そういう社会を目指そうとし
ているのか、石丸君は。
都政から日本を変える、とか
言っているが、原発推進派に
日本を変えてもらってはとん
でもない事になる。
それだけは確実だ。
また右直事故で二輪運転者が
死亡した。
二輪死亡事故原因のトップが
交差点での二輪直進、四輪右
折での衝突のケースだ。
信号が青で直進中にいきなり
四輪が前を塞いだら二輪車は
衝突を防げない。
そして、大抵は四輪運転者は
怪我も無く、二輪運転者は死
亡もしくは重傷を負う。
私もやった。学生時代に。
いきなり対向車が右折して正
面衝突。避けられなかった。
骨盤をぶち砕いて右股関節が
尻に抜け、右ひざはぐちゃぐ
ちゃ。
レーシングスーツを着ていて
もそうなった。
3ヵ月寝たきりで半年入院し、
厚生省認定の等級ある障害を
負った。
かろうじて生きていたが、衝
突の瞬間から空中を飛んだ時
から着地まで、すべてを克明
に覚えている。
寄って来た群衆の中で「きゃー、
まだ生きてるわよ」とか言って
いたテニスギャルたちに「ばか
やろ。おまいのパンツ見えてる
よ」と思った事もすべて覚えて
いる。
私はたまたま死ななかった。
本当にたまたまだ。
必死のリハビリを続け、やがて
ロードに戻って行った。コース
にも。
だが、私の広島のイトコのカタ
ナ乗りは通勤途中の早朝、原付
バイクで右直事故で死亡した。
即死だった。
右直事故は防げる場合と防げな
い場合がある。
交差点の場合、ある程度の予知
を二輪側が行なう事で予防でき
る事もある。
右折しようとしている四輪車は
まず確実に二輪より先に飛び出
してくる、と思っていたほうが
よい。
直截に言うと、二輪にも過失は
無い事はないが、多くのケース
は四輪車の無謀右折により交差
点での衝突が発生する。
四輪車の運転者が二輪の大きさ
が小さい為、速度や距離を正確
に把握できずに「安全」と誤認
してサッと先に右折するケース
がほぼ100%だ。
だが、二輪は規制速度を守って
いても現実にはかなり近く、い
きなり目の前に壁が出現する事
と同じ現象になりブレーキの間
もなく衝突する。
だが、この交差点での右直事故
は、是非はともかく二輪側が
急制動で交差点内で止まる事
を予め予測して想定内で交差点
を右折予告車両を目視現認しな
がら動きを監視して通過する事
により、ある程度防げる。
しかし、私のケースのように、
直線路で、いきなり対向車が
左の駐車場に入ろうとカッと
方向指示器も出さずに右折し
た場合はどうか。
これは防ぎようがない。
私の場合は、ほんのたまたま
運よく生き残ったが、大抵は
死亡する。
二輪走行者は、どうか交差点で
の右直事故には最大の注意をし
てください。
あと、直線でも、対向車の動き
には注意をしたほうがよい。
私などはツーリングなどの走行
でも、見通しのよい道路で対向
車が来たらラインを変えて端に
寄ってすれ違うようになった。
それは結構な巡行速度で走行し
ていても。
のんべんだらりと一直線を進む
だけで、自分の前だけ見ていた
り、しゃべり続けたりの「なが
ら」運転は私はしないようにし
ている。
自分以外の車両がいつどんな動
きをするか分からないからだ。
貸し切りロードを一人で走って
転ぶのは自分のせいだが、一般
道路は自分以外の全ての車両が
危険な行動を取るかもしれない、
と想定しながら走るのと、ただ
ダラ~ッと走るのでは危険回避
において大きな差が出るだろう。
かろうじて、1985年秋の道志み
ちでのズルゴケ転倒以降こんに
ちまで二輪では一切転倒や事故
を私は起こしていない。
これもたまたまだが、その無事
故を継続させるためにも、最大
注意で最大集中して私は二輪に
乗っている。
それでも不可抗力で事故が向こ
うからやって来る事もあるので、
公道は危険が一杯だ。
だが、それでも私は走る。
階段は危険だから使わない、と
いうような行動を取るのは私は
嫌だからだ。
二輪運転者が事故で亡くなるの
はとても心が痛む。
どうか、二輪乗りたちは生き延
びてほしい。
オートバイはタイヤ二つの
二輪車だが、一輪車のこの
原理と同じような感覚で乗
る乗り物。
二輪車を旋回させる時の身体
の軸線とトラクションの面圧
のかけ方は、一輪車と極めて
共通している。
これが三輪車となると全く別
な挙動と対処が必要になる。
オートバイは二輪車だが、前
輪ではなく後輪に乗って旋回
させるような感覚で運転する。
これ、基本であり、二輪車の
挙動特性の原理に沿ったナチュ
ラルな走らせ方だ。
リアステアなどは現実には存
在しないが、運動挙動特性と
してはリアをどのように扱う
かでかなり二輪の運動特性は
変化を見せる。
これはリーンウイズだろうと
極度に重心を移動させたハング
フォームだろうと原理は不変。
「公道ではハングオンなどは
必要ない」とか言っているの
は、レベルが低すぎて話にな
らない。
重心移動による二輪旋回特性
の外力付与が二輪車の運動に
与える効果を丸無視している
固着脳が言わせている言辞だ
からだ。
二輪車の運動特性についての
知見が低すぎるので、論外。
よく二輪の構造や動体特性を
知悉していない素人程、「リ
ーンウイズ」を連呼する。
あらゆる範囲に重心を大なり
小なり移動させて、旋回時に
車を路面と適正適合させるの
が二輪車の乗り方だ。石像の
ように固定硬直して載るのが
二輪の運転ではない。
リーンウイズだろうとインだ
ろうとアウトだろうとハング
だろうと、瞬間的尻上げ対処
だろうと、ありとあらゆる乗
り方でタイヤのトラクション
を得て、あるいは意図的に滑
らせて走るのが二輪本来の走
らせ方だ。単一的乗り方など
は存在しないし、それに拘泥
するのは完全に誤り。こと二
輪の走法に関しては。
固着脳、硬直思考は思考停止
であり、危険を招く。
二輪運転で一番やってはいけな
いのが、根拠も論拠も無い決め
つけの硬直思考だ。
そして、これは私個人の事だが、
どうせ二輪に乗るならば、私は
走行に対して真剣に取り組みた
い。
二輪に乗る事を頑張る必要は無
いが、一所懸命に二輪を走行さ
せたい。
二輪を二輪として、真面目に走
らせたい。
ちゃらんぽらんな出鱈目な扱い
ではなく。
二輪車は人に教えてくれる。
二輪車は決して後退しないのだ、
と。
二輪車は前に進むのみなのだ、と。
ただ前進する乗り物。
二輪車は人に大切な事を示して
くれる。
そして、どう進むのか。どこを
どのように進むのか。
それを選択実行するのは人間だ。
私にとって5台目のカワサキ。
なんか知らねぇけど、この車
ほんとによく走るよ。
気に入っている。
2スト250のサブにと設定した
が、今やこちらが完全にメイン
になってしまった。
本当によく走ってくれる。
かなりいい。
海の上には雲海。
そんな場所から遥か草原の中を
果てしなく続くロードまで。
いろんなとこにこのカワサキは
俺と共に行ってくれる。
このカワサキ、いい感じ。
1台を広島に送った個体。
私が高3の時に広島に都内から
遊びに行った7つ下のイトコ
これは1978年高3の夏休みに
私が東京から広島に行った時
私も夏休みでひと夏広島県に
滞在したが、受験勉強などは
全くせずに小説書いてるか、
1ヵ月以上一緒にいたこの小
て走り回ってた。スーパーの
2階のゲーセン常駐とか。
このイトコの子は社交的で、
いつの間にか三原の同世代の
子たちの友だちができて、よ
く一緒に遠くまでカブトを
獲りに行ってた。なんか三原
の地元の子たちとかなり仲良
くなってた。子どもは屈託が
無い。
喫茶店好きだった俺は「ピラ
フ」という単語がこの場所で
は全く通じないというのを初
めて知った年だ。(ちなみに
またアイスコーヒーなどとは
どの店も呼んでいない。ほんと
の話。どこも「冷コ」だった。
1970年代の三原市と福山市は
勿論、今のように広島県内で
地元の人たちが東京弁の「さ」
や横浜弁の「じゃん」を使う
事は皆無だった。
今の若い子は使っている。
「じゃけえさぁ、うちがそれ
やめんさいて言うたじゃん」
という具合に。
男では「わし」を全く使わない。
今の40代中半より上の世代は全
員が「わし」。
さらにその祖母のあたりの世代
は女性でも一人称は「わし」。
男も女も「わし」が安芸国備後
国の標準呼称だった。
この1970年代のホンダの個体
はちょいカフェ仕様にしてい
た。タイヤは前後TT100を履か
せている。
直管集合、アップダウンハン
ドル仕様ではない時(笑
何度か気分次第で都度着替え
させていた。ポイント点火の
オールドモデルだ。
この1978年当時、不思議な事
に気づいたのは、広島県三原
市ではほとんどオートバイを
見かけなかった事だ。
都内と違い、地方では都内よ
りも先行して3ない運動が徹底
しており(天下の悪業3ない運
動は地方の田舎で発生し、や
がて首都圏まで襲って来た)、
バイクは全く見かけない。
中卒者かいい齢の大人しかオ
ートバイには乗らないのが現
実だったので、二輪の台数自
体ほぼ見かけない。これは
1978年当時の広島県全域で。
三原市内でバイクになど乗っ
ている人はほぼいなかったと
いうのが現実の歴史だ。
高校の時に三原の親戚のねー
ちゃんに遊びにおいでと呼ば
れたので家にバイクで行った
ら、その親から大𠮟責を食ら
い、うちの親にまでねじこみ
があった。
「オートバイで当家に来るな
どもってのほか。うちの娘の
嫁入りに差し支える。今後は
一切やめていただきたい」
と。
なんだそれ?私も私の両親も
「はぁ?」だった。両親は私
の東京の高校時代のレーシン
グチームでのレース活動も応
援してくれる程二輪乗車には
協力的だったからだ。首都圏
から広島県三原市に両親が転
住して2年目の時の話。親も
都内感覚だから免許取得OK年
齢で免許を取得して自分でバ
イトした金でバイクに16才が
乗るのは止める道理は無い。
ところが、都内のように高校
生でバイクに乗っている人は
三原ではゼロ。皆無。
それどころか、オートバイ=
悪の象徴という固定概念で
三原の地元人は凝り固まって
いた。
いかに3ない運動の徹底が強
圧的に法を歪めて二輪運転者
を作らないフレームアップの
国民洗脳の不埒な悪業三昧だ
広島県では都内より遅れて
二輪運転者≒暴走族が発生し
た。最大時代は都内ではほぼ
暴走族が消滅した78年道交法
改変以降に広島県では暴走族
が遅れて勃興した。チバラギ
沖縄系のスタイルの若者が。
結果、広島市内では「特攻服
を着用すると犯罪」とする
トンデモ条例が制定された。
意味不明。確定判決でその
条例は違憲ではない、などと
いう日本の司法制度を根底か
らひっくり返す決定まで広島
市は引き出した。無茶苦茶。
特定の被服を着用したら犯罪
者とされるのだ。
まるで近頃法改正をした韓国
が旭日模様を掲示したら犯罪
とするのとそっくりだ。
広島は日本の中でも特殊な土
地だ。日本国憲法は存在しな
い。何かあったら集団で「吊
るせ」というアメリカ西部開拓
時代の白覆面のリンチ集団の
ような事を大多数の市民が喜
んでやる。
この個体は、直立2気筒が面
白かったので大学時代も持っ
ていて広島の親が東京から転
住した家に輸送して保管して
いたが、大学の時にRZ350を
81年に新車で購入した時に都
内の大学の1個下の後輩に請
われて譲った。
この個体では高校の時に都内
から四国までフェリーに乗っ
て、四国を横断してから本州
に船で渡り、また都内まで戻
った旅を共にした経験がある。
主としてロンツーバイクとし
て使っていた。
ウイズではなくハングで四国
のワインディングを走ってい
た。まだ国内ではハングフォ
ームで公道を走る人間などは
まるでいない時代。
2ストトリプルのようにギュー
ンとはいかないバイクだった
が、面白い味のある二輪だっ
た。大学の後輩が直立二気筒
を欲しがったので譲った。
一度偶然そいつが私が譲った
この個体を走らせているのを
見たが、そいつも結構寝かせ
て走っていた。
その後輩には高校時代の部活
の仲間がいて、偶然同じ大学
に進学し、私と共に高速道路
料金訴訟の活動を学生の時に
やっていた。
レース活動も手伝ってくれて、
筑波の時などはよく駆けつけ
てくれた。そいつはバリ伝グン
ちゃんモデルの750F乗りだった。
世の中アルアルの偶然はある
もので、うちの刀剣会の重鎮
の私と同学年の人がたまたま
その後輩と同じ高校出身者だ
った。
小林康宏作を何口も持ってい
て、書籍出版の際の掲載の為、
撮影にもいくつもの康宏作を
貸し出してくれた。
また、その人の所有初代康宏
数口を藤安将平刀匠が何ヵ月
か借り受けて斬鉄剣の研究を
した。
うちのその刀剣会のメンバー
は二輪乗りでうちのMCメン
バーでもあるのだが、この70
年代のオールドホンダドリー
ム250がモデルにした原型であ
るトライアンフに乗っている。
たまたま。