Vespa - 3 Valve engine
ブイスリャー!
違った。
3Vだった。
【バイクレース】上田昇 衝撃的なWGP
デビュー
チャンピオンチーム移籍
駆け抜けた12年間の世界グランプリ
上田選手の走りの鋭さは鮮烈
だった。
それはノリックの登場の時の
ように。
速い人はいくらでもいる。
ポイントをうまく重ねる選手も。
だが、観客を興奮させる「魅せ
る走り」をするライダーは少な
い。
上田選手の切れ味の鋭さは本当
に観る者を熱くさせた。
異種格闘技レース1回目
(オーバルスーパーバトルin川口2015)
いかに競技専用車両が速いか、
という事だよね。
世界GPライダーからオートレ
ースに転向した青木選手の腕
もあるけど。
1995年1996年のロードレース
125の世界チャンピオンだど。
世界一の男。
オートレースの世界に転向し
た時には驚いたが、活躍もし
ている。
青木治親選手は身長が180cm
ほどあるので、WGP125の時
にはマシンのポジション作り
が大変だったのではなかろう
か。GPマシンの125は車体が
かなりスリムで小さいから。
GP125マシンは最高速が250
km/h超は出る。
元世界チャンピオンがオーバ
ルコースのオートレースで
腕を見せる。
こりゃ面白い。
日本人が世界グランプリを席
巻していた時代の世界選手権
ロードレース。世界グランプリ
で日本人が1位から6位まで独占
というのは史上初。1990年代
中期、GP3クラスの世界のトッ
プは日本人で占めていた。
1995 日本グランプリ GP3 125cc
”青木治親がトップ独走
上位6位を日本人ライダーが占める”

温泉が好きである。


ここは数年前に友人と2台で
北斗からの弾丸帰りの時に入
った。
景色最高な高速道路SA温泉は
四国の松山道にもある。
伊予西条の石鎚山SA接続の
椿温泉こまつだ。

ここは四輪でも何度も立ち寄
ったが、高台に温泉施設があ
るので眺望最高。
夕陽が沈む瀬戸内海が格別だ。
真夏の日中もまた良し。

旅に温泉。
これワンセットのように思える。
そして、なぜか二輪乗りたちは
どなたも部類のラーメン好き。
あれ、なんでだろ?
バイク乗りのソールフードは
ラーメンなのかも。
世の中のエンジンファン、特に
オートバイのファンには様々な
エンジン形式をそれぞれ好む傾
向がある。
個人的には私は2ストパラレル
2気筒エンジンが一番好きだが、
世間では単気筒ファンもかなり
多くいる。
単気筒こそは、内燃機関の始ま
りからの原型がそのまま発達し
たエンジンの気筒形式だ。
4スト単気筒エンジンの鼓動は
まるで心臓のような脈動を示す。
機械というよりまるで生き物の
ように。
2スト単気筒はアイドリングで
はデンデン太鼓のような軽快な
音色を奏でる。
ベスパを作ったピアッジオは
初めて単気筒2ストエンジンの
回る音を聴いて「これはまるで
ベスパ(蜂)だ」と口にして、
それが製品名になった。
単気筒の面白さは独特なものが
あるようで、マルチエンジンと
は動力性能でも大きく質が異な
る。
一言でいうとトルクフル。
これは小排気量2ストでさえも。
世界の中で日本だけのカテゴリー
だった50cc以下の原付バイクが
来年地球上から完全消滅するが、
小型バイクのエンジンはほぼ
すべてに近い数が単気筒だった。
ワークスレーサーの49cc2気筒
などの特例を除く一般公道車両
では。
日本の二輪産業は単気筒バイク
が土台として支えて来た歴史が
ある。
単気筒バイク、面白い。
というか、マルチエンジンに比
べると構造も単純なのだが、実
に奥が深い。
British 500cc GP - Silverstone 1981.
世界チャンピオンのケニー・ロバ
ー(米)に迫るカワサキKR500の
コーク・バリントン(南ア)。
バリントンは1978年1979年に250
と350でダブルタイトルの世界チャ
ンピオンだ。通算4度世界王者に
輝いている。
カワサキの世界チャンピオンと
いえばコーク・バリントンとア
ントン・マンク(独、1980年250、
1981年250,350、1982年350,
1987年250ホンダで世界チャンピ
オン)だ。
この1980年前後はヤマハ、スズキ、
カワサキで世界最高峰を争ってい
た。
1982年からトップグループに初め
て2ストGPマシンに踏み切ったホ
ンダが参入した。
そして、日本の4メーカーが世界
グランプリ最高峰の舞台で2スト
ワークスマシンで戦ったのは地球
の歴史上1982年のたった1シーズン
のみだった。カワサキが1983年に
はGP500から撤退したからだ。
そして、1983年は史上最も熾烈な
ヤマハ対ホンダの一騎打ちとなっ
た。伝説のシーズンが1983年WGP
だった。
シーズンを通して優勝したのは
ヤマハのケニー・ロバーツかホン
ダのフレディ・スペンサーの二人
のみというシーズンだった。
ケニーは最終戦で勝利するも
ポイント争いで21才の若き天才
フレディに敗れ、偉大なキング
は引退した。
この頃の世界グランプリ500が面白
かったのは、各クラスでの世界王者
経験者が500で一堂に会して戦った
のが特筆的だった事によるだろう。
つまり、オールスター戦のような
高レベルなレースが毎レースの
メンバーであり、トップ10は突き
抜けた世界最高技量の持ち主たち
が鎬を削ったのだった。
世界中でロードレースブームが
爆発したのもこの頃だった。
世界トップを走るのはすべて日本
の2ストロークレーシングマシン。
日本製オートバイでないと世界
最高峰競技では勝てなかった。
実は環境問題を口実に、日本潰し
の為に欧州では2ストバイクの廃
止論が今から50年以上前から席巻
し始めていた。
だが、日本のメーカーが世界グラ
ンプリという場所で2スト車の
能力的優秀さを示す事で、その
歴史の流れを以降40年間ストップ
させたという事実がある。
現在も様々な排ガス規制は産業
操作が本当の狙いであり、環境
配慮などが本旨ではない。
原発クリーン安全神話が産業目的
の隠れ蓑の大嘘であるのと同じ
内実が実は環境保全を表看板にし
た排ガス規制だ。
だが、騙されている人々は実に
多い。
特に日本人などは騙され人が
大多数だ。
それは、やはり原発安全神話に
コロリと騙されていた思考停止
が多いのが日本人だからだろう。
現行の(従前からだが)欧米主導
の排ガス規制は、「ある意図と
目的」の為に実施されている。
地球環境を勘案してとかいう言辞
はすべてまやかしだ。
それはかつて「地球の石油はあ
と30年で完全枯渇する」と50年
前にそれら環境問題を口にする
世界の大国の権力者が言ってい
たのが大嘘だったのと同じく、
嘘なのだ。
地球の原油の油田は40年程で
満タンになる。原油は地球に
よって再生産されるのだ。
その嘘がばれそうになった時、
権力者たちは地球温暖化やCO2
問題を口にする方向にシフトし
た。
内燃機関を地球規模で廃止する
方針まで出して。
すべて、大嘘を根拠としている。
狙いは世界規模での産業のエレ
クトリック化の新事業育成にあ
る。
なぜ切り替えたいのか。
それは、産業資本の利潤の為だ。
地球規模では天文学的な利益を
生む。
それを先行独占したいのが狙い
だ。
地球の事や人類の事などは真実
のところでは考えていない。
原発推進の時と同じ手法でやって
いるだけ。世界の人民を洗脳キャ
ンペーンで騙しながら。
私はすべての内燃機関が好きだ。
だが、とりわけ2ストロークエン
ジンが好きである。
理由は二つある。
一つは、方程式の無いエンジン
であるという事。
これには人間的なものを強く感
じる。
2ストエンジンはたまらなく好き
だ。
好きな理由のもう一つは、躍動感
だ。
これに尽きる。
2ストローク/4ストローク | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
1982年。
映画『汚れた英雄』で、シャワー
をあびた後に自宅の邸宅でライム
ペリエを飲む北野晶夫(草刈正雄)
がめちゃくちゃカッコよかった。
ライムを絞って、そのライムは
ポーンと捨てる。一口だけ口に
してから。
そして、グラスを片手に窓から外
を見る。
まるで資生堂のCMみたいだった(笑
私はピクルス大好きなのだが、
ピクルスとサングリアは自分
で作った事がない。
ピクルス
サングリア
結局、ピクルスを成城石井に
注文してみたりして試す。
和洋問わず、漬物は好きだ。
夜半に飲むレモンロックが
ほとんどレモンのスコッチ
漬けになってるんだけどさ(笑
ドイツ人がピクルスを丸ごと
1本おやつ代わりにかじると
いうのを知ってやってみてか
ら、もうピクルスハマリよ(笑
まじうまい。
ベスパの最後の2ストモデルはPX。
2016に生産終了となり、2017年
が新車販売の最後の年となった。
厳しい排ガス規制の中、つい最近
まで2ストの新車が乗れたという
ベスパの物作りの気概は、現在は
4ストエンジン搭載の新モデルと
して今も息づいている。
その4ストエンジンも3バルブエン
ジンに進展するなど、現在もベス
パの魂は健在だ。
伝統と未来。それがベスパの歩む
道。
伝統を守りつつ、新時代にも適合
して行く。
ベスパは戦後の1946年から発売が
開始された。
未曾有の惨禍であった地球の世界
大戦がようやく終わった翌年に登
場した。
ベスパは輝ける平和の象徴だった。
私はベスパに乗っている人たちで
しかめっ面をしている人を見た事
がない。
どなたもが、明るく楽しそうな表
情をしているのだ。
ベスパは、モーターサイクルの一
つの理想形を実現していると思え
る。
ベスパには笑顔が似合う。
ヒストリックモデル #11 |
大人のたしなみとしてベスパ
に接してみよう!
MEGURO REX-Y 350cc
Japanese Motorcycle of the 50's
(1953)メグロ350ccレックス號
Y型 CM
私は目黒製作所の近所で生ま
れた。
現在、山手通り沿いのメグロ
製作所があった場所には日産
の社屋がある。

メグロは1960年代に入り、営業
不振で会社更生できず、川崎重
工グループの川崎航空機工業が
経営権を吸収継続し、のちに重
工が吸収して川崎重工の二輪部
門であるカワサキとなった。
つい先ごろまでカワサキは川崎
重工の二輪車部門だったが、近
年独立させられてカワサキモー
タースジャパンとなった。
カワサキの二輪車の歴史的な母
体はメグロだった。
メグロが完全消滅したのは東京
オリンピックの年、1964年だっ
た。
