信濃丸は無事出航しました
船は貨物船ですから勿論、
プライベートな船室などありません
新京からの無蓋車、葫蘆島の引き揚げ者収容所と
同じように信濃丸でもフラットな床にシートを
敷いて各家族が適当に座って、食事をとり
就寝しました。
信濃丸での食事の話を
信濃丸に乗船して初めて
食事時間がきました
食事は普通、一汁一菜といいます
信濃丸ではなんと一汁だけで一菜が全くないのです
そして一汁は具のあるようなないような
薄い味噌汁でした
ただ、味噌汁からほのかに鰹のだし、の
日本の味が感じられましたが
… … …
葫蘆島の収容所まで
油でこてこてした中華風の
料理でしたので
この一汁とご飯だけの食事も、
まあ、しょうがないのでしょう
この一汁とご飯という食事が
朝、昼、夜と上陸まで続きました
日本の敗戦前から食料が逼迫して
すいとんとか芋づるの食事と噂で
聞いていました、えらいところへ
帰るのだなと思いました
… … …
当時の日本全体が
超粗食時代だったのです
… … …
しかし、私の82年の人生で最低の食事でした