今日のうた

思いつくままに書いています

ふたご

2020-07-06 17:14:13 | ③好きな歌と句と詩とことばと
図書館が使えるようになり、藤崎彩織著『ふたご』を読む。
以前、この小説を予約したのはベストセラーになっていたのと、
私の歌集『ふたりご』に似ていたので親近感を覚えたからだ。
作者のことは全く知らなかった。
読み始めて次の言葉にくぎ付けになった。

 自分が誰かの特別になりたくて仕方がないことを、
 私は「悲しい」と呼んでいた。
 誰かに必要とされたくて、誰かに大切に想われたくて、
 私は泣いた・・・・・・。
 
 十四歳の夏のことだった。        (引用ここまで)

同じ中学に通う月島と夏子は、月島が「ふたごのようだ」というくらい
分かりあえる言葉を持っている。
だが、月島のハチャメチャな行動に夏子は振り回されていく。
この先もずっと。
それでも夏子は「いやだ」と言えない。
彼が望むことに最大限努力してしまうし、そのことで傷つき苦しむ。
読んでいて歯がゆいし、痛々しくなるほどだ。
彼との関係を切ることだってできるのに、と読みながら
何度思ったかしれない。
月島が彼女に求めているのは愛情なのだろうか、
それとも母性のようなものか。


私は母親にたっぷり愛された記憶がない。
それでなのかは分からないが、若い頃は誰かのために何かをしたい、
誰かのために尽くしたいという意識が人一倍強かった。
相手に「違う」と言えない、相手に「NO」と言えない。
いつも相手からどう思われているのか気になる。
他者を通してしか自分の存在意義が見出せない。
つまり自己肯定感が低いのだ。

こういう人間は厄介な人間と関わりがちだ。
「この人のことを分かってあげられるのは、私しかいない」と思い込む。
すると相手は、初めて自分の自由にできるおもちゃを手に入れたように、
「こいつには何を言っても、何をしても許される」と勘違いし、増長する。

自分が何がしたいのか、どうしたいのか、もっと主体的に考えて生き、
自分を大切にしないと、人からも大切にされない、このことに気づいたのは、
高齢者になってからだ。
藤崎さんの感情を抑えた論理的な文章に、そんな自分を重ね合わせていた。


藤崎さんが「SEKAI NO OWARI」というバンドで、
ピアノを担当していると後で知った。
YouTubeのライブ映像を観ると、まるでディズニーランドに行ったような
華やかさで、楽しい。
彼女は一本芯が通っていて、自信に満ちているように見えた。
Fukaseさんは、彼女とほぼ同世代とは思えないくらい
あどけない顔をしていた。
それより前の「幻の命」というミュージックビデオを観ると、
彼は壊れてしまいそうなくらい、壊してしまうそうなくらい、
ピュアは青年に見えた。

「SOS」 美しい曲です。
      ↓
https://www.youtube.com/watch?v=NYbZ4nR0g38

コメント
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