今日のうた

思いつくままに書いています

ドグラ・マグラ

2020-05-09 11:23:22 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
中野翠さんが、エッセイ 『あのころ、早稲田で』の中で、
夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』を次のように書いている。
「それは私の人生を変えた一瞬となったーーと言っても過言ではないのだった」
彼女にこう言わせる小説は、と気になった。
1988年に松本俊夫監督で映画化されているので、DVDを借りて観ることにした。

松本俊夫監督は、1969年に新宿文化劇場(アートシアター新宿文化)で観た
『薔薇の葬列』の監督だ。
ピーター(池畑慎之介)のデビュー作で、大学に入りたての田舎娘には衝撃的だった。
記憶が曖昧だが、確か主人公が口紅をつけ、鏡の中の自分にキスをする場面を
うっすら覚えている。とても美しい映画だった。
当時、ATG(アートシアターギルド)は、他の映画会社とは一線を画し、非商業主義的な
芸術作品を制作・配給する映画会社だった。
新宿文化劇場で映画を観ることが、当時の私の憧れだったのだ。

松本監督は、70年代にこの『ドグラ・マグラ』を映画化しようと考えていたようだが、
会社が芸術から娯楽へと路線変更をし、「難しいのは無理」と映画化は叶わなかった。
そして1988年まで撮ることが出来なかったようだ。

この映画は、解る、解らない、売れる、売れないといったものを排し、
美のエッセンスだけで作られた映画だ。
松本監督は、映画の後のインタビューで、映画を作った動機を次のように語っている。
「大脳を優先するような、西洋的な価値観に対する疑問。
 大脳が機能不全に陥るような、
 知のシステムがぐらつく時に見えてくるものがある。
 合理的に融合しない世界、合理的な予測がことごとく裏切られる世界。」
と語っている。

私は論理的なことはよく解らないが、本物に身を委ねる心地よさがある。
『薔薇の葬列』がピーターなしには考えられなかったように、『ドグラ・マグラ』も
松田洋治なしには存在しない。

たっぷり芸術作品を味わい、観終わったあとが清々しかった。
それにしても当時は、映画『アポロンの地獄』といい、早稲田小劇場の白石加代子主演
『劇的なるものをめぐって』といい、いい作品があったとしみじみ思う。








(薔薇の葬列)



(劇的なるものをめぐって)



※演劇はその場で観られなかったら一生観られない、と思っていた。
 ところがケーブルテレビで「身毒丸(しんとくまる)」を観ることができた。
 1997年の作品で蜷川幸雄演出、白石加代子・藤原竜也主演。
 こんなラッキーなことはない。
 白石演じる継母との愛憎劇を演じた藤原は、この時15歳だったとは・・・。
 白石の狂気は健在で、藤原は男の色気を感じさせながら、
 それに十分に応えていた。 (2020年8月19日 記)


 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする