今日のうた

思いつくままに書いています

おもかげ

2018-06-07 16:51:49 | ③好きな歌と句と詩とことばと
「4回泣けます」というキャッチコピーの本を図書館で借りた。
ベストセラーになっているというので借りたのだが、内容が薄っぺらで、構想が見え見えで、
読んでいて腹立たしくなった。
断りもなく人の涙腺をぐいぐい押してくるしたたかさに辟易しながらも、
一度だけ自分の意に反して薄っすらと涙が出て、忌々しかった。
これは決して気持ちのいい涙ではない。

もうだいぶ前の話で固有名詞に自信がないが、確か宇崎竜童さんが映画『チャンプ』を観て
同じようなことを語っていたと思う。
「映画館に入ったとたん失敗したと思った。子どもを使って、『これでもか、これでもか』と
 いうくらい泣かせるシーンが出てくる。
 俺は絶対に泣くものか!と思いながら、涙を流している自分に腹が立った」
というような内容でした。違っていたらごめんなさい。


浅田次郎著『おもかげ』を読みながら、私はティッシュが手放せなくなった。
こんな小説を書くことのできる浅田さんは、人間の哀しみを知り尽くしている方なのだろう。
心をふるわせながら、素直に泣いたのは久しぶりだ。
涙は心だけではなく、病に臥している体をも洗い流してくれた。
母が子を棄てることが、母と子にとって最善の道ということもあり得るのだ。
母が子を棄てることによって、二人の命が守られることもあり得るのだ。

5歳で命を絶たれた女の子のニュースに、胸が潰れる思いだ。
なぜ母親は助けを求められなかったのか。
なぜ子を棄てても、その子が生き延びる道を選ぶことができなかったのか。
世間の目に雁字搦めになって、何も考えることができなかったのか。
夫の暴力の前に、あまりにも非力だったのだろうか。
生きてさえいれば、子どもは自分で生きられる。


この小説の中の言葉が、私の心を抉った。引用させて頂きます。

 静まり返ったホームを歩き、プラスチックのベンチに座った。
 さしあたってすることもなく、行く場所もなかった。

 人と別れたあとの気分は、そんなものだ。相手が恋人であろうと親友であろうと、
 またつかの間の別離であろうと永訣(えいけつ)であろうと、
 ひとつの世界が失われるのはたしかだった。
 心の中に一瞬の空洞ができて、そのときの自分の立場にかかわらず、
 まるで無人島に打ち上げられて目覚めた漂流者のように、
 時と場所を失ってしまうのだった。
 そうした経験は、人生の間にいくどもあった。 (引用ここまで)

私は娘たちが大学生の時に再婚した。
親が再婚するということは、子どもたちが帰る家を失うということだ。
街中で会っても、家に遊びに来ても、娘がひとりアパートに帰って行く姿を
見送らなければならない。
JR千葉駅の階段を上っていく娘は、何度もなんども振り返って手を振った。
バス停まで送ろうとすると、ここでいいからと言って、何度もなんども
振り返りながら帰って行く。そんな時は胸が張り裂けそうだった。
こんな感覚を、この本はひさしぶりに思い出させてくれた。

 帰りゆくむすめの背中は四つ角で夕日を受けてくるりと返る


コメント
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