身近な自然となかよくblog (旧「菊名エコクラブblog」)

自然環境と調和した持続可能な社会を!

by NACS-J認定 自然観察指導員 松田 照之

横浜水道水にとって重要な土地、旧津久井町(その1)

2023年06月06日 20時19分29秒 | 新カテゴリー:2.横浜・神奈川の里山型自然について

6月3日(土)は桜木町駅前で横浜水道のイベントが予定されていましたが、台風の影響で残念ながら中止となったようです。ここで情報を得てからと現地に行こうと思っていたのですが、そのまま翌日4日(日)に旧津久井町へと探索に出かけてきました。

野毛山公園内にある配水場跡地で、横浜水道のルートを示したプレートを見つけていたためです。赤く示されたルートの終点がこの野毛。始点の旧津久井町にも同様のプレートがあるはずです。

横浜の野毛山公園内の配水場跡地わきにある横浜すいどう道の終点プレート。このプレートに赤い線で示された水道のルート上に同様のプレートが何基かあるらしい。

 

「横浜の水道水の水源地は山梨県の道志村である。」というのは、もちろん事実ではありますが、これはかなり省略された内容となっていて、実際にはもっと複雑だということがわかってきました。

現在稼働中の取水口は、前回紹介した旧津久井町の青山にある鮑子(あびこ)取水口。よく知られているとおり道志川が水源です。道志川は相模川の支流で相模川の右岸から合流し、両河川の水が貯えられて津久井湖が形成されています。

横浜に水道が創設された当時は現在とちがって津久井湖はなく、道志川合流地点の相模川左岸に取水口が建設されました。この初代の取水口は旧津久井町の三井(みい)という地域にあり、三井取水口と呼ばれていています。

三井取水口は相模川の左岸にあり、道志川は対岸の右岸から合流しているため、この時の水源は道志川と言うよりも相模川と言った方が良いかもしれません。

鮑子の取水口は3代目で、現在は稼働していない2代目の取水口も別の場所にあります。

津久井湖畔、三井にある横浜すいどうみちの起点プレート。横浜に全国で初めての近代水道が敷設された当時、三井に取水口が作られましたが、今は津久井湖に沈んでいるそうです。

 

鮑子取水口から取水された水は、少し下流の横浜市水道局青山水源事務所内にある沈澱池で砂泥が取り除かれて横浜へと水が送られています。

横浜市水道局青山水源事務所の敷地内ある現在稼働中の沈澱池。中央にに写っている白い鳥居辺りは水源神社と呼ばれていて、この左の方に2代目の取水口である青山取水口と旧青山沈澱池があります。この2つの設備跡は国登録の有形文化財となっています。

 

横浜の水道水の水源地が山梨県の道志村だということはよく聞きますし、水源地の森を横浜市が所有していて、その保全活動にボランティアを募っているのも時おり耳に(目に)します。

一方で津久井町が横浜の水道水にとって重要な土地だということはあまり聞くことがないのですが、実は非常に重要な土地だということがよくわかりました。

初代の設備から現在稼働中の設備まで、取水口も沈澱池もみな旧津久井町に建設されています。また、道志村の源流域から取水口までの間、旧津久井町の山々からも何本もの沢水が入り込み、広域的に横浜水道水の水源地の一部となっているからです。

私は何年か前にこのブログで、都市は都市だけで成り立つことはできない。都市もまた自然環境に支えられているといった内容の記事を書いたことがありますが、その具体的な例をしっかり見て学ぶことができました。

今回も土地勘の全くない私を案内してくれた津久井在住のSさんに感謝しています。