Nori log

日常のちょっとした出来事を写真で残しています
3年の上海駐在を終え、今は日本の良さを再認識中

北茨城 2日目 2, May

2018-05-24 22:06:33 | お出かけ:日本

昨日から宿泊している としまや月浜の湯

朝から貸切湯に入ってみた

これだけで充分だな

 

さて朝食も胃袋破壊メニューとの戦いだ。

今日は完全勝利に持ち込んだぜ。

 

宿を出る際に駐車場まで見送りに来た女性スタッフに、Kazuが津波のことを聞いた。

「あそこまで来たんです」と、宿の壁5mほどに残った線を指差した。

当日はすぐ近くの丘に避難し、3日ほどそこにいたそうな。

宿は専務が最後まで残っていて皆が心配してたが、全員無事だったと聞いてNori & Kazu は一安心。

「大変でしたね」とKazu が言うと、「今、生きてますから」と笑顔で返された。

強いな

 

全従業員が笑顔の接客で、素敵な宿でした。

 

さて北茨城二日目の観光に、先ずは宿にほど近い野口雨情記念館。

名前は聞いたことがあったが、何者かは全く知らなかった。

作詞家で、“赤い靴”や“十五夜お月さん”は彼の代表作とのこと。

記念館前の女の子の像に近付くと“シャボン玉飛んだ”の曲が流れ、シャボン玉が飛び出した。

 

粋な仕掛けだね♪

 

館内には 3.11 の津波の写真が

矢印が泊まった宿だ

 

 

次は天心記念五浦美術館

岡倉天心とは日本美術院の創設者で、しばらくこの地に美術院の絵画部を移設していたとのこと。

その他色々な経歴がある人なので、詳しくは Wiki ってみて。

Nori は名前を聞いたことがあるくらいで、Kazu は全く知らなかったようだ。

 

天心の旧居も美術館から1kmほどのところにある。

 

海からはこんなに高い位置にあるのだが

 

ここまで津波は襲ってきた

北茨城の最大波高は7m 前後だったという。

 

旧居から海に降りていくと、天心が思索の場として設計した六角堂。

オリジナルは3.11の津波で流されたが、その一年後に再建されたものだ。

一年後といえば Nori & Kazu がボランティアで松島へ行った年だ。

当時は海沿いの住宅は土台のみ残り、瓦礫はうず高く積まれ、多くの方が仮設住宅に住まわれていた。

そんな時期に再建されるとは、この地の方々にとって大切なお堂なのだろうな。

 

この入り江の対岸には展望台であり慰霊塔でもあるタワーが建っている。

 

ここからも六角堂は望める

 

観光はここまでで、昼食後は一路宇都宮の自宅へ向かった。

 

 

北関東には分類される茨城だが、もうここらは南東北と言っていいだろう。

東北に来る度に、津波の記憶に胸が締め付けられる。

でもいつも、なんとも居心地の良さを感じる処。

次はいつ来るかな、大好きな東北。

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