くちこって・・・
思っていた以上に物持ちが良い?のか、
断捨離をしていたら、また古い手紙の下書きが二つ。
長男が中一の時の担任に宛てたお礼状。
と、
長女が中三の時の担任に宛てたお礼状。
で、
これは、くちこが、丁寧な母親なのでは無く、
書いて然るべき子供を背負っていたと言う事です。
何やら、手作りの品も添えた様子。
あの、クソ忙しかった頃に、くちこなりに頑張っていたんだなあ。。。
※参考までに、3人の子供達は、全員、私学六年生の中学です。
さて、
長男の担任に宛てた手紙の内容を、適当に抜粋してみます。
長男は、自分なりに精一杯のジャンプをして中学に入り、
深く深く、更に深く水底に膝を屈めていく一年間でした。
十三年間、私なりの愛情を注いで育ててきた息子です。
そして、数々の失望の種を突きつけ続けた息子ですが、
いつか、きっと、もう一度ジャンプをすると心の片隅で信じ続けていたいです。
大器晩成、自分が死ぬ瞬間まで、その言葉にすがっている気がします。
人に強制されることを嫌い、
人と同じ型に入れられることを嫌う。
人と違う視点から見ようとする性質。
考えて見ると、全て母親である私そのものです。
私自身、ずっと努力と言う言葉が嫌いでした。
そんな私が産み育てた子供なのですから、
当然の成り行きかもしれません。
ただ、私と違っていた事は、
私は、こんな私に寄り添ってくれる友に恵まれ、
こんな娘を自慢の娘として胸を張って育ててくれた両親がいた事です。
息子は、異端児として扱われ、
人と違っていることを親からも責められ、
可哀想にも思います。
親としては、万策尽き果てた感で、無力を痛感しています。
先生には、一年間、ご迷惑ばかりお掛けして申し訳ありませんでした。
本当に、お世話になりました。
※長男に関して詳細を知りたい方は、カテゴリーの「子供達のこと」にあります。
中三の娘の担任への手紙、抜粋。
娘はもう、自分の頭と足で歩き始めたようで、
親はただ、彼女の人生の傍観者になってしまいました。
親の思う「安全な人生」と、
娘の考える「可能性を試してみる人生」には、大きな隔たりがあります。
なかなか人は、色んな事情で、思い通りの方向へ泳げないものです。
考えて見ると、夫も私も、双方の両親も、可能性を試してみる人生を歩めなかった訳です。
それぞれの無念を思えば、彼女の挑戦を、私達は例え失敗の不安があっても喜んで応援すべきなのかもしれません。
親心としては、実に複雑で揺れています。
ああ・・・
あれから二十有余年。
思えば遠くに来たもんだあ~
子供は、親を選んで産まれることはできないように、
親も子供を選んで産む訳にはいかない。
子供を産んだからと言って、
親になったからと言って、
必ずしも、適性がある訳では無い。
くちこも、3人の子供を育てるにあたり苦労したけれど、
子供達も、こんな我が儘で存在感満載個性派な親を持って、
相当な苦労だったかと。
くちこが離婚した時に子供達は、高一、大一、大四だった訳ですが、
彼らは、母くちこに背負われるしか選択肢は無く、
その母くちこは、一人っ子で、既に両親は他界していた訳で、
今思えば、その心細さは如何ほどだったかと。
古い手紙を発掘して、
徒然もの思う昨今だったのでした。
さあさ、二十二歳のくちこからスタートです。
まあさ、
こんなくちこが育てた子供達ですが、
無事、社会に放牧できたこと、安堵しているくちこです。
神様、仏様、ご先祖様各位、此処に感謝の意を表します。
でもって、最後まで責任持って護ってくださいね