1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

神戸ジャズウォーク 北浪良佳

2011-05-15 19:57:17 | 音楽
今日は、神戸ジャズウォーク。





ライブハウス「サテンドール」で、



北浪良佳のライブを聴いてきました。「On a clear day」も 「the nearness of you」も、チックコリア作曲の「You're Everything」も、会場みんなで声を合わせた「Somebody cares」も。

声のつやといい、情感といい、とても良かったと思います。北浪良佳を聴くのはこれが二度目。機会があれば、次もぜひ聴きに行きたいと思いました。



話には聞いていたけど、風見鶏の館の色が変わっていて、ちょっと驚きました。



北浪良佳が歌った「On a clear day」は、

On a clear day
You can see for ever

「こんな晴れた日には、永遠が見えるんだよ」っていう、とても素敵な歌です。
明日から、今年4回目の韓国出張。未来が見えるといいな。

「初期マルクスを読む」(長谷川宏)

2011-05-14 19:04:06 | 
筆者は、初期マルクスの著作を読みながら、マルクスが構想していた人間観と自然観、労働観を考察していきます。

初期マルクスの著作とは、「ヘーゲル国法論の批判」「ユダヤ人問題のために」「ヘーゲル法哲学の批判・序説」「経済学・哲学草稿」「ドイツ・イデオロギー」の5つです。

筆者は、「(マルクスには)労働が人間にとって本質的なものだという思いがある。労働をきちんと意味づけ、労働を価値あるものとして提示できなければ、人間社会のゆたかさはその像を結ばないというのが、マルクスの強い信念です。」と述べた上で、マスクスの労働観を次の4項目に要約しています。

1.労働は人間の生命活動であり、生きていることを確証するものであること。
2.労働は自然と人間との交流であること。
3.労働は人間の意識的で自由な活動であること。
4.労働は人間の類的生活を作り上げ、発展させるものであること。

もっとも人間的な行為であり、もっとも人間的な生命活動である労働が、資本主義社会においては疎外されているというのが初期マルクスの主張です。

マルクスの人間観と自然観もこの労働を軸に展開されていきます。「社会的存在としての人間」、「人間の自然化」、「自然の人間化」がキーワードです。

「マルクスは、もっと卑俗な次元で考えます。われわれが働くというとき、自然に対して働きかけるわれわれ一人一人が社会的な存在です。同時に、社会的存在相互の協力を基礎にして新たな共同の関係が成り立つ。人間の自然にたいする働きかけが、人間の社会性のなりたちに重なるのです。人間が自然に働きかけ、そこからいろいろな知識を学び、知恵を身につけ、自然の法則を認識して、自分たちの生活を組み立てていく。それは、一方では自然の人間化であると同時に、人間が自然に寄り添って生きていく、人間の自然化でもある。こういうすがたが、マルクスが考えている自然と人間の、そして人間と人間との関係の基本的なありようです。」

筆者は、「共産党宣言」以降のマルクスの著作をとりあげ、社会変革の実践と経済学への研究対象の特化によって、初期マルクスの労働観や人間観・自然観がどのように変容したのかも考察しています。「階級闘争史観」によって、マルクスの自然観・人間観にもとづくゆたかな歴史認識が、平板なものになってしまったという指摘は、納得できるものがありました。

このブログを書き始めたころに、資本論をあらためて読み直そうという目標があったのを思い出しました。仕事がもう少し落ち着いたら、ゆっくりと読み直していこうと思いました。



「いとま申して―『童話』の人びと」(北村薫)

2011-05-13 19:53:16 | 
著者北村薫の父親の日記をもとに書かれた本です。15歳から、小説家として生きる夢を捨てる20歳まで。大正末期から昭和初期にかけての学生たちの姿が、日記を通して、とてもリアルに描かれています。

「童話」という雑誌があったそうですが、この雑誌には、北村薫の父親ばかりでなく、淀川長治や金子みすずなど、小説家をめざす多くの若者が投稿したそうです。金子みすずが西条八十に認められたのも、この「童話」への投稿を通じてでした。「童話」への投稿を通じて知り合った人たちとの交流を軸に、物語は進んでいきます。

「童話」を通じて互いに知り合うことがなかったなら、同人誌作りにのめりこんで家財を失うことも、自殺することもなかったのかもしれない・・・そんなことをふと考えてしまうような、運命的な出会いもいくつか紹介されています。僕にも、高校時代にあの友人と会わなければ、ちがう人生を歩んでいたかもしれないという、出会いがありました。

長田弘は、「僕たちは 僕たちを選んだ運命を どこまでもどこまでも代表していくほかないのだ」とある詩の中で書いていますが、僕たちが運命を選ぶのではなく、運命が僕たちを選ぶのだということを、あらためて感じさせてくれる一冊でした。

当時はそれほど裕福でなくても家事手伝いを雇っていたとか、結婚相手は家同士であらかじめ決められていたとか、蚤や南京虫や蝿がいっぱいいたとか、軍事教練があったとか、今とは違うなぁと思うところもあったのですが、授業をさぼって映画に行ったり、ドストエフスキーと芥川を読んで小説家にあこがれたり、たぼこをすってみたり、僕自身の高校生活を思い出す場面もたくさん出てきました。

続編は、折口信夫が父の前にあらわれるとか。次も読んでみよう。


パリ20区、僕たちのクラス

2011-05-12 19:25:12 | 映画
昨日は、朝鮮学校の話題だったけれど、学校といえばこの映画。パリ20区にある中学校のドキュメンタリー映画です。



国語教師フランソワと24人の子どもたちの1年間の学校生活が描かれています。中国、マリ、モロッコ、アルジェリア、アンティール。子どもたちの出身国と母国語はさまざまです。

自己紹介の作文を書いたり、むずかしいフランス語の単語を黒板に書き出して、生徒たちに意味を教えるところから授業は始まります。「先生の例文の主語は、白人の名前ばかりで不公平だ」という不満や、「そんな丁寧語は、自分たちの間では誰もつかわないから学ぶ必要がない」という意見も生徒から飛び出します。

1年で12人が問題児として退学処分を受ける。フランソワのクラスのマリ出身者も、懲罰会議にかけられて退学していきます。中国人の生徒の母親は、不法滞在が見つかって強制送還に。

この映画を見て日本とちがうと思ったのは、成績会議の場所に、生徒代表が参加して意見を述べていることでした。

子どもたちの背負う環境の重たさ、先生たちのいらだちや、学校を非難するような保護者の冷めた表情などなど。フランスの教育現場は、とてもたいへんなのだと思いました。もちろんそれは、フランス社会のたいへんさを写しているのだろうけれど。

フランス語がわかれば、国語教師フランソワのフランス語を教える苦労もわかって、もっと深く理解できたのかもしれません。

個人レッスン(3)

2011-05-11 00:08:18 | 日記
月曜日は、第3回目の朝鮮語個人レッスンでした。聞く力をつけるために、今回は、ぼくが先生に質問をして、その質問に先生に答えてもらうという形でレッスンを受けました。

先生のお子さんが通っておられる朝鮮学校について、たくさんお話をしました。朝鮮学校では、子どもの成績は絶対評価でつけるそうです。相対評価で評価する日本の学校に比べて、人を蹴落としていい成績をとろうとする雰囲気が少ない気がすると先生は語っておられました。日本語の時間は週4時間、算数や歴史など、その他の時間は朝鮮語で授業が行われているそうです。先生の息子さんは、修学旅行で、中国経由で共和国にいかれたとのこと。船で行かれたのですかって質問したら、経済制裁のために今は船がありませんと、さみしそうに語っておられました。朝鮮学校でも家庭訪問があって、夕方になると、先生は家に上がって家族の方と一緒に食事をしたりするそうです。ほのぼのとしていて、とてもいいと思いました。

先生のお話で一番印象的だったのは、日本では韓国籍、朝鮮籍と分かれているけれど、海外にでるとひとつのKoreanであるということが実感できて、新鮮な気持ちになったというお話しでした。

あとは、日本語と朝鮮語の違いについて、少しお話しをしました。「しなければならない」という日本語は、否定語が二つ並びます。これに対応する朝鮮語は、「해야 한다」というのですが、これは直訳すると「する する」という肯定語が二つ並びます。このあたりは正反対ですねという先生の言葉に、大きく納得。ちなみに「こんなはずじゃなかった」という日本語は、どう訳すのですかと質問したら、先生はとても困っておられました。これにぴったり対応する朝鮮語はないとのこと。「する する」と合わせて、朝鮮語のほうが、より肯定的に物事を表現しているのかもしれません。

あっと言う間の2時間でした。とても楽しかったです。100回まで、あと97回。続きそうな気がする(^_^)

「歌うクジラ 下」(村上龍)

2011-05-10 00:10:17 | 
アキラは数々の困難を乗り越えて、宇宙ステーションに住むなぞの人物ヨシマツについに対面します。ヨシマツは、176歳、脳だけでいきており、<最上層-上層ー中層ー下層ー最下層>と分断支配された未来社会の最高権力者です。

アキラの脳を我が物にしようとするヨシマツと、アキラの格闘へと物語りは進んでいきます。

村上龍の描く未来社会に、あまりリアリティーを感じることができなくて、結構退屈しながら最後の数ページまで読みました。

しかし、ヨシマツとの格闘の末に宇宙へと投げ出されたアキラの言葉だけは、胸にぐっとくるものがありました。

「大切なことを理解した。ぬくもりも音も匂いもない宇宙の闇の中で、気づいた。生きるうえで意味を持つのは。他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動がすべてを生み出すのだ。

ぼくは生まれてはじめて、祈った。生きていたい。」



同じ近未来小説なら「オリクスとクレイク」に軍配をあげます。

ハーバーランドで

2011-05-09 00:17:59 | 日記
連休最終日。一番近くに住んでいるけれど、一番会えない長女と



ハーバーランドで



食事。



元気そうな笑顔が見れて、とてもハッピーな気持ちになりました。

明日から、仕事。解決しなければならない課題はいっぱいあるけれど、がんばって働こう!

「白洲正子展」と「森と芸術」

2011-05-08 09:22:28 | 美術館
今回の美術館めぐりで、企画としておもしろかったのは





世田谷美術館で開かれている



「白洲正子 紙と仏、自然への祈り」でした。

白洲正子がおとずれた寺社の名宝120点が、白洲正子の文章とともに展示されていました。自然の一木一草にまで神がやどるとした日本古来の自然信仰が、仏教と出会う中で、神仏習合していく様子が、とてもよくわかりました。西国三十三カ所のお寺や近江、松尾寺など関西地方の寺社の展示がたくさんあったので、いっそうなじみやすかったのかもしれません。


(写真は、世田谷美術館のホームページより)

展示の中で、いちばん心に残ったのは、焼け焦げて胴体だけが残った松尾寺所蔵の「焼損仏像残闝」でした(写真の一番右側)。神というものが、もしこの世に存在しているとするなら、こんな形をしているのだろうと思いました。

人と自然との関係をテーマにする展覧会といえば、もうひとつ。





東京都庭園美術館で開かれている「森と芸術」にも行ってきました。庭園美術館の建物は、朝香宮邸として1933年に建てられたものです。正面玄関にラリックのガラスレリーフ扉をおくなど、「アール・デコ」の装飾がたくさん施されていました。

「森と芸術」は、美術作品にあらわれた森の表現を通して、わたしたちにとって「森とは何か?」を考えていこうとするものでした。



「楽園としての森」を描いたアンリ・ルソーの絵や、産業革命の中で近代化していく都市を逃れ、「自然」へ 回帰しようとしたコローの風景画、



幻想やイメージの源泉としての森を描いたマグリッドの絵、そして湧き上がる生命力の源泉のような木々の根っこを撮影した岡本太郎の写真などが展示されていました。こちらも企画としては、ユニークな展覧会でした。



庭園美術館の庭。



人間の手で森をつくろうとする試みですよね、この庭も。

二日間で6つの美術館をまわりました。レンブラント展もシュールレアリズム展も岡本太郎展も写楽展にもルオー展にも行けなかった・・・。しかし、こうして並べてみると少し多すぎる気もするなぁ。

次は、京都でフェルメールをみよう。

ヴィジェ・ルブラン展とフェルメールの地理学者

2011-05-07 08:48:54 | 美術館
東京に行って、まずはじめに行ったのが






三菱一号館美術館で開かれている



「ヴィジェ・ルブラン展」でした。三菱一号館美術館は、1894年に原設計された煉瓦造りの建物を利用して去年オープンしたそうです。東京駅のすぐそばに、高層ビルに囲まれて、このような美術館ができたことにまずは驚き。出光美術館もブリジストン美術館も徒歩圏内です。美術館の多さ。ちょっぴりくやしいけれど、現代においては東京が文化の中心なのでしょうね。



ロシアに亡命していた時のヴィジェ・ルブランの自画像です。

ヴィジェ・ルブランは、マリー・アントワネットの肖像画家として有名です。ルブランは、フランス革命によってマリー・アントワネットが処刑された後も、「王党派」の立場をつらぬき、10年以上にわたる亡命生活を送りながら画家として生きぬきました。ルブランが生きた18世紀は、女性が画家として生きていくには、非常な困難がともなったそうです。サロンに出品するには「王立絵画・彫刻アカデミー」の会員にならなければならなかったのですが、アカデミーの会員4,000人中、女性はわずか4人だったそうです。



ポリニャック公爵夫人。

ルブランの絵を見ていると、目に特徴があると思いました。どの絵からも目力が伝わってきました。困難にもめげないで、画家として生きぬいたルブランの芯の強さが、彼女の描く目に表れていると思いました。

そして、岡本太郎記念館から降り出した雨にもめげず行ったのが



Bunkamura ザ・ミュージアムで開かれている



「フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」でした。

フランクフルトにあるシュデーデル美術館所蔵のオランダ・フランドル絵画が95点展示されていました。レンブラント、ブリューゲル、ルーベンス、そしてフェルメール。

ここはやっぱり、フェルメールの地理学者でした。フェルメール独特の窓から差し込む光、布の質感、小さな白い点、未知の世界に思いをめぐらす地理学者の視線。細部まで丁寧に描き込まれていて、とてもすばらしいと思いました。

6月の終わりには「手紙を読む青衣の女」が京都にやってくる。ぜひ行かねば。

岡本太郎記念館

2011-05-06 08:12:50 | 美術館
根津美術館から歩いて5分ぐらいのところにある



岡本太郎記念館へ。



庭といい



部屋といい



アトリエといい



すべてが「岡本太郎」しておりました。岡本太郎の生命力と意志の強さが伝わってくるように思いました。



これは、岡本太郎が自分でつくった玄関の門扉です。



せっかくここまで来たのだからと、青山、表参道あたりを散歩。プラダの建物。



TOD'S



なんと日本看護協会のビル。



こどもの城の岡本太郎のモニュメント。



この建物も



この建物も、お上りさんの僕には、とてもおしゃれに見えました。

根津美術館  燕子花図屏風

2011-05-05 08:17:11 | 美術館
連休を利用して、東京美術館めぐりに行ってきました。





ずっと前から行きたかった根津美術館です。尾形光琳の「燕子花図屏風」が見たかったのです。



金地に、青そして緑。色使いの美しさといい、左隻から右隻へと音符のように連なっていく燕子花のリズム感といい。とてもすばらしかったと思います。地震の影響でメトロポリタン美術館の「八ツ橋図屏風」は見れなかったけれど、大満足でした。



「吉野龍田図」、これもとても美しかったです。



中国殷時代(前13~11世紀)の「双羊尊」と



同じく殷時代の「饕餮文方盉」。中国3千年の歴史を実感。まいったなぁ。



根津美術館の庭園。






燕子花がとても美しかったです。

青あざ

2011-05-03 00:18:39 | 日記
今日、会社に行くと、会う人ごとに「目の下どうしたんですか?」って聞かれました。
摩耶山でころんだ時にできた左目の下の青あざ、どんどん色が濃くなっています(^^;

「なんで手がでなかったのですか?」
「右目の下も青あざになったら、パンダやね!!」との意見もあり。

パンダ顔で、明日と明後日は、東京へ。

根津美術館で尾形光琳の「燕子花図屏風」を見て、夜はジャズライブを聴く予定。
時間があれば、庭園美術館と「ヴィジェ・ルブラン展」と「白洲正子展」にも行ってみたい。

この程度の怪我ですんで、よかったです。

「歌うクジラ 上」(村上龍)

2011-05-02 20:12:11 | 
近未来小説です。2020年、SW遺伝子とよばれる不老不死の遺伝子が、クジラの体内から発見されたところからこの小説は始まります。SW遺伝子をくみこんで寿命を延ばすことが可能になり、富裕層や政治家は、金に物を言わせて自由に寿命を延ばすことができるようになっています。

2070年の日本。貧富の格差が拡大し、日本人口に占める下層の割合は80%に達し、金融と高付加価値製造業は上層の人たちで経営され、下層の人たちは単純労働に従事しています。円の暴落、労働力の移民への依存度の上昇、移民を排斥しようとする最貧層の若者の暴動、そして400万人の移民の反乱などなど

こんなどうしようもない日本で、性犯罪者とその子供たちを隔離するために作られた新出島という島で生まれた少年アキラが、父の遺言に従い、SW遺伝子の情報を埋め込んだICチップを、本島に住む謎の人物ヨシマツに届けに行くというお話です。ロードムービーを見るように物語は進んでいきます。

今、上巻を読み終えたところです。うーーん。この先、おもしろくなるのかな。


「闇の列車、光の旅」

2011-05-01 19:54:37 | 映画
ホンジュラスからメキシコを経てアメリカ合衆国に密入国しようとしている少女と、マラ・サルバトルチャ(中南米に実際に存在するギャング組織)のリーダーを殺してしまったばかりに、組織から命を狙われている少年と。二人が、たがいに支えあいながら、必死でアメリカ国境をめざすというお話です。

はたして二人は、メキシコを縦断してアメリカ国境にたどり付けるのか?この話もスリリングでおもしろかったけれど・・・

ホンジュラス、グアテマラ、メキシコで暮らす人びとの姿、中南米の風景、生活に絶望しながらギャングの一員となる少年たち、そして、命がけで列車の屋根に飛び乗ってアメリカへと密入国していく多数の人びと。これらの映像に度肝を抜かれてしまいました。

とてもおもしろかったです。