1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「資本主義の起源と『西洋の勃興』」(エリック・ミラン)

2011-05-30 20:04:28 | 
システムとしての資本主義は、なぜ、いかにして、いつ出現したのか?筆者は、この問いを問う意味を次のように書いています。

「この問いは、近代世界において、ごく少数の人々が信じられないほど豊かである一方、大多数の人々がひどい貧困に置かれているのはなぜなのか、という問いにつながっている」

「世界銀行やIMFが主唱する今日的政策は、この資本主義の起源の問題を適切な文脈におかずしては、理解することができない。南アジアや中国、北アフリカといった高度に発達した文明においては資本主義化が起こらなかったにもかかわらず、西ヨーロッパという世界の特定の地域が資本主義化したのはなぜなのか、どのようししてなのか。このことを理解することによってのみ、今日的状況は理解されうるものとなる。そしてまた、いかにして―幾世紀もの過程を経て―世界の特定の地域が富裕化したのか。このことを理解せずしては、世界システムの中核諸国による周辺の持続的な植民地化、搾取、支配の過程が、どのようにしてシステマティックな資本蓄積政策を析出してきたかの理解にも進むこともできない。」

それでは、いつ、いかにして資本主義は出現したのか?筆者は、中世ヨーロッパの都市において生み出された資本主義的過程に、そのルーツはあると主張します。

「大半の資本主義的現象―たとえば賃労働、諸産業の専門分化、高度な分業、階級闘争、交易からの利潤、高度な金融技術、普段に資本蓄積を推進するために搾取することのできる周辺地域のシステマティックな構築など―は、中世西ヨーロッパの都市においてすでにあらわれていたものである。これらの資本主義的特徴は、1100年以降のヨーロッパにおいて次第に顕著となり、封建制と資本主義とが相互に共存する状況は、1350年ごろまで、あたりまえにあることであった。」

「本書における私の主張は、以下の通りである。すなわち、軍事的・技術的パワー、さまざまな水準での合法および非合法の独占、新植民地化、そして世界各地に散在する労働者の虐待に立脚する近代的な資本蓄積の諸形態は、西ヨーロッパに最初に生み出された資本主義的過程に、そのルーツがあるということである。私は、なぜ十三世紀に、世界の小さな部分を占める少数の人々が、他の人びとの労働および天然資源から得られる富を、みずからのものとして享受できるようになったのかについての一貫した議論を提示する。」

13世紀ごろの世界では、西ヨーロッパは、中国や南アジアに比べておくれた地域でした。遅れたヨーロッパになぜに、資本主義が生まれたのか?筆者は、ヨーロッパ、中国、南アジア、北アフリカを比較しながら、商業ブルジョワジーが自由を謳歌した都市国家の存在と、彼らが推進した植民地化、搾取、中核による従属的周辺の支配に、その秘密はあると主張しています。

「富の蓄積自体はアジア、アフリカ、ヨーロッパを通じて、どの地域にも見られるものである。しかし、植民地化、搾取、中核による従属的周辺の支配という過程の推進から資本を蓄積するという体系的政策は、ヨーロッパの商人によって着手された、むしろ例外的な過程であった。その過程は、最初ヨーロッパの都市に隣接する農村地域、地中海、東欧から起こり、つづいて非ヨーロッパ地域(大西洋の島々、ラテンアメリカ)で繰り返され、さらにのちにはアジアおよび北アフリカで反復された、おおよそ1500年ごろまで、ヨーロッパの都市国家は、このような低開発の過程を推進する『権力の容器』であった。」

「近代(資本主義と市民権)の起源は、不断の資本蓄積のダイナミクスにおける帝国主義と戦争から形成されたヨーロッパの都市国家とそれにつづく国民国家の中にこそ適切に見出されるものであって、北アフリカ、インド。中国といった大文明のあいだには見出されないものである。」

資本主義の起源は、18世紀の産業革命にあると思っていたのですが、13世紀と聞いて、あっと驚き。13世紀、ヨーロッパ、中国、北アフリカ、南アジアの間に、交易と交流が活発に行われていたという指摘も新鮮なものがありました。資本主義は、中核―周辺関係の再生産・再強化によって発展してきたという主張も、資本主義を一国でとらえる従来の考え方から一歩踏み出すものだと思いました。

この本も読み出したら、途中でやめられなくなった一冊でした。