今回の美術館めぐりで、企画としておもしろかったのは
世田谷美術館で開かれている
「白洲正子 紙と仏、自然への祈り」でした。
白洲正子がおとずれた寺社の名宝120点が、白洲正子の文章とともに展示されていました。自然の一木一草にまで神がやどるとした日本古来の自然信仰が、仏教と出会う中で、神仏習合していく様子が、とてもよくわかりました。西国三十三カ所のお寺や近江、松尾寺など関西地方の寺社の展示がたくさんあったので、いっそうなじみやすかったのかもしれません。
(写真は、世田谷美術館のホームページより)
展示の中で、いちばん心に残ったのは、焼け焦げて胴体だけが残った松尾寺所蔵の「焼損仏像残闝」でした(写真の一番右側)。神というものが、もしこの世に存在しているとするなら、こんな形をしているのだろうと思いました。
人と自然との関係をテーマにする展覧会といえば、もうひとつ。
東京都庭園美術館で開かれている「森と芸術」にも行ってきました。庭園美術館の建物は、朝香宮邸として1933年に建てられたものです。正面玄関にラリックのガラスレリーフ扉をおくなど、「アール・デコ」の装飾がたくさん施されていました。
「森と芸術」は、美術作品にあらわれた森の表現を通して、わたしたちにとって「森とは何か?」を考えていこうとするものでした。
「楽園としての森」を描いたアンリ・ルソーの絵や、産業革命の中で近代化していく都市を逃れ、「自然」へ 回帰しようとしたコローの風景画、
幻想やイメージの源泉としての森を描いたマグリッドの絵、そして湧き上がる生命力の源泉のような木々の根っこを撮影した岡本太郎の写真などが展示されていました。こちらも企画としては、ユニークな展覧会でした。
庭園美術館の庭。
人間の手で森をつくろうとする試みですよね、この庭も。
二日間で6つの美術館をまわりました。レンブラント展もシュールレアリズム展も岡本太郎展も写楽展にもルオー展にも行けなかった・・・。しかし、こうして並べてみると少し多すぎる気もするなぁ。
次は、京都でフェルメールをみよう。
世田谷美術館で開かれている
「白洲正子 紙と仏、自然への祈り」でした。
白洲正子がおとずれた寺社の名宝120点が、白洲正子の文章とともに展示されていました。自然の一木一草にまで神がやどるとした日本古来の自然信仰が、仏教と出会う中で、神仏習合していく様子が、とてもよくわかりました。西国三十三カ所のお寺や近江、松尾寺など関西地方の寺社の展示がたくさんあったので、いっそうなじみやすかったのかもしれません。
(写真は、世田谷美術館のホームページより)
展示の中で、いちばん心に残ったのは、焼け焦げて胴体だけが残った松尾寺所蔵の「焼損仏像残闝」でした(写真の一番右側)。神というものが、もしこの世に存在しているとするなら、こんな形をしているのだろうと思いました。
人と自然との関係をテーマにする展覧会といえば、もうひとつ。
東京都庭園美術館で開かれている「森と芸術」にも行ってきました。庭園美術館の建物は、朝香宮邸として1933年に建てられたものです。正面玄関にラリックのガラスレリーフ扉をおくなど、「アール・デコ」の装飾がたくさん施されていました。
「森と芸術」は、美術作品にあらわれた森の表現を通して、わたしたちにとって「森とは何か?」を考えていこうとするものでした。
「楽園としての森」を描いたアンリ・ルソーの絵や、産業革命の中で近代化していく都市を逃れ、「自然」へ 回帰しようとしたコローの風景画、
幻想やイメージの源泉としての森を描いたマグリッドの絵、そして湧き上がる生命力の源泉のような木々の根っこを撮影した岡本太郎の写真などが展示されていました。こちらも企画としては、ユニークな展覧会でした。
庭園美術館の庭。
人間の手で森をつくろうとする試みですよね、この庭も。
二日間で6つの美術館をまわりました。レンブラント展もシュールレアリズム展も岡本太郎展も写楽展にもルオー展にも行けなかった・・・。しかし、こうして並べてみると少し多すぎる気もするなぁ。
次は、京都でフェルメールをみよう。