1日1日感動したことを書きたい

本、音楽、映画、仕事、出会い。1日1日感動したことを書きたい。
人生の黄昏時だから、なおそう思います。

「源氏物語論」(吉本隆明)

2011-05-26 20:05:05 | 
とても難しい本でした。これまで読んだ吉本隆明の本の中で、一二を争う難しさだと思う。もちろん僕が、源氏物語を読んでいないということが大きな理由です。後悔先に立たず。「源氏物語は、たぶん文学的なできばえでは空前の達成で、さまざまな契機が上向の機運にあった時代的な偶然に恵まれて、これ以上の作品が生み出される可能性は少ないと思われる」などという文章に出会うと、学生時代にもっと古典を勉強していたらよかったと思いました。

わからないなりに最後のほうまで読んできて、「物の怪」の話になったとき、「さすが!!」と思いました。吉本は、源氏物語の結節点にはいつも「物の怪」が登場するとした上で、次のように述べています。少し長いけれど、忘れないようにメモ。

「『源氏物語』の世界を幽歩する物の怪が、同時代の物の怪とちがった特徴は、いうまでもなく男君の登場人物をめぐる女君たちの冥暗のうちの確執や、多妻妾の習俗から来る嫉妬や寵愛の矛盾からやってくる点にあった。かりに地位の高い権力者や、天皇や東宮を後見人にもつ女君たちと、さほどの後見人をもたない女君たちのあいだに、怨念から物の怪があらわれるばあいでも、政敵の物の怪の対立者の心神の病巣をおそうという形をとらなかった。ただ男君をめぐる女君たちの愛恋からくる怨念や嫉妬の内向する無意識のうちに、物の怪は幽歩した。そこにこの『物語』の世界の冥暗を支配する特徴があった。」

「作者は、物の怪が跳梁する摂関制度の背後にひそんだ男女の愛恋の世界にじぶんも身をひたし、それを見聞し、あるいはわがことのように身に浴びながら、物の怪をたんに横行する怪異とかんがえなかった。離魂状態におちいった心神喪失の人間と、その人間に無意識のうちに罪障感をもっているために放たれた生魂や死魂をうけいれて異常な心神の状態におちこむ人間とのあいだに介在する現象だということを、作者ははっきりと描いて見せた。」

「作者はこの作品に、天皇を中心においた十数人の最上層の貴族たちの世界を囲い込んだ。ただこの登場人物たちは、おなじ身分圏にある女君たち(いいかえれば神権的な君主を中心においた少数の支配共同体の女性たち)との愛恋にかかわるフィルターを透過した上で描きだされた。そこで男君をめぐる女君たちの情念のかかわる世界で、物の怪は発するものと受けとるものとのあいだを<同時性>として緊密に結びつける怨念のさわりとしてとらえられる。『源氏物語』の世界を緊密な糸のように織りあわす結び目には、いつも物の怪が姿を現すことになっている。そしてこの物の怪は現在かんがえても起こりうるすべての型をつくしているとおもえるのだ。」

「この『物語』の世界では集合的な無意識に反映した幽明の境にだけ、この物の怪がとびかっていることが特異なのだ。この特異点に触れる時、現在のわたしたちには世界の内閉性からくる病として映る憑依の姿があらわれてくる。いいかえれば世界の病として物の怪は跳梁するのだ。これは衰弱した世界に固有な病にちがいないが、高度な敏感な感受性が、世界からうける被害をも象徴している。」

現代文でいいから、源氏物語を一度読んでみようと思いました。