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かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

ふたたび沈みゆくイギリス海岸

2020-09-22 11:35:07 | 日記

あれは、いつの日だったのだろう。花巻市を流れる北上川のイギリス海岸の川岸に佇んだのは。

仙台に帰ってきてからだから、30代後半か。もう、いつのまにか30年以上の時が流れている。車を降りて、河床に降りて、たしかに白い凝灰質の海岸の一画に立って、流れゆく景色を眺めていた記憶がある。

 

そのイギリス海岸が、最近は川に沈んでなかなか眼にすることができないこと、しかし「年に一度だけ」、上流のダムの流れを抑えて水位を下げ、イギリス海岸が現れるようにする計画があること、その「年に一度だけ」の日が、宮澤賢治さん(これから、花巻市民のように賢治さんと呼ぶようにする。)の命日である9月21日であること、を知ったのは、実はごく最近のことである。

 

そのような「フレコミ」のため、きのう始発の在来線で花巻に向かった。

30年ぶりにイギリス海岸の河岸に立ったのは、午前9時ころ。イギリス海岸は、かすかに河床に望めたが姿を現していない。警備のオジサンにきいたら「午前10時ころには、いいんでねえの」という答えだつた。

駅で買った卵サンドを食べながら、近くのほとりで1時間待った。全く変わらなかった。

「きっと、ダム屋さんたちは一生懸命ダムの流れを抑えるべく大きなバルブを閉めているのだろう。」と勝手に変な想像をしながら、昼頃まで、約3キロはなれた「雨ニモ負ケズ賢治碑」を訪ねてくる。

街に正午のチャイムが流れるころ(賢治さんのメロデイではなかった)、大いなる期待のもと、イギリス海岸の河岸に立った。全く変わらなかった。

河岸の手スリに歩き疲れて、渇いた体を預け、30分眺めていただろうか。全く変わらなかった。

周りにヒトはそれなりに行き来していたが、地元の常連か「こどすは、だめだなぁこりゃ」と口々に挨拶を交わして過ぎていく。

怒りでも、あきらめでもない、なにかしらの憔悴を覚え、花巻城址と鳥谷崎神社を経由して帰路とする。賢治さん由来の蕎麦屋には長蛇の列。駅休憩所にて乾いた喉にnewdaysで購入した500mビールを流し込み、午後の一ノ関駅行きに乗り込む。

あのイギリス海岸は、江戸時代の初期に河川のバイパス工事によりできた河川の流れにより河床が洗われて出現したという、奇跡のスポット。

賢治さんの「イギリス海岸」という作品によると、その泥岩の岸辺は、まだヒトの住んでない時代、5、6十万年まえから100万年前に汽水の海岸や沼だったところ。賢治さんたちや農業学校の学生たちは、その海岸から木の実の化石や偶蹄類の足跡(ゾウやヘラジカのようないきものか)をみつけて歓喜したという。そのような遊び場所が、戦後まさかの観光地となろうとは、賢治さんも生徒さんも、思いつかなかったろうに。

 

○○万年のあいだ、いくつかの火山灰や土石の流失、地殻変動により沈んでいた海岸が、ヒトの手によって偶然に地上に現れたのは、地質時間からすると4,5百年前というごく最近のこと。

イギリス海岸が、姿を現さなくなった原因は、上流にいくつもの水力発電用ダムができたためか。国交省のパンフには、「そのことに直接触れていない」が、9月21日の試みを、「発電に使う水を減らす」と書いてあり逆読みすれば、ダムがかなりの原因を作っているのだろう。もちろん柔らかな凝灰岩のこと、水流で日々削られ、河床を下げていることも原因だろう。(同パンフにある林風舎の書き込み)

イギリス海岸は、自然の推移と「ヒトの手によって」まるで幻影のように、ふたたび地上から姿を消そうとしているようだ。

イギリス海岸さん、「お日様がまぶしすぎて、またゆっくり眠りたいのだろう。」

花巻市の観光スポットから「イギリス海岸」が消え、観光案内板が取り外される日も、そう遠い日ではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

     

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高齢単独行者の遭難によせて

2020-09-20 14:27:55 | 日記

長野県内の北アルプス燕岳から北東の尾根を歩いていた奈良県在住の73才の男性が「道に迷って、今どこにいるか分からない」との携帯の連絡が17日(木)県警に入り、捜索しているが、19日(土)現在見つかっていないようだ。携帯がつながらなくなったようだ。

この種のニュースは、子供や複数人の遭難事例は別として、最初の報道だけで経過が続報として流されないので、心配でヤキモキしている。地元の報道を追っているが第一報のままだ。

警察が「現在地点でビバークしておくように」との指示を出していたというが、長野県内は冷たい雨も降っているとの情報もあるが、昨日のNHKラジオ「山カフェ」では同じ北アルプス水晶岳方面は快晴だったようで、それでも見つからないのはどうしたのだろう。携帯がつながらなくなったのは、バッテリー切れか。

元気だったら空が少しでも開けた場所に、黄色いツェルト被ってビバークしていれば、ヘリからも探しやすいだろうが、ツエルトは持っていたのだろうか。

いずれにしても、ケガの程度や体力に問題がないのなら、今の季節なら何とかしのげるので、雨具の下に着れるものはすべて着込んでじっとしているのが一番だが、寒さに耐えられないのなら、日中は傾斜の緩やかな尾根筋にゆっくり移動すれば景色なども見えてきて現在位置も分かってくるのだろう。沢に下ってはいけない。

と、山を歩いている者なら誰だって考えることだろうが、ヤフーなどには、「コメント欄」というのがあって、ニュースを見た様々な方のご意見が上がっている。この遭難のニュースには、現在時刻で220件にのぼっている。

見たところ半分以上が遭難者に批判的なものだが、批判をするなら見つかって事情が分かってからにしてほしいな。本人が今苦しんでいるときに、事情が分からないのに、遭難者に鞭打つような発言は控えるべきだろう。

ただ、批判コメントの多くが指摘するように、70代で単独行というのは明らかな事実。これだけは、遭難という事実が明るみに出れば、あれこれ批判されても致し方ないのだろう。ただ、個人差を考えずに、70になったら一人で山に入るなという紋切り型の批判はいただけない。70でも50より体力がある人は何人も知っているし、複数登山が必ずしも安全だとは言い切れんからだ。他人を気にしたり、お喋りなどで油断して滑落したりするケースもあるだろうし、トムラウシ大量遭難のようにリーダーの判断ミスで死に目に会わされるケースだってあるのだろう。

いずれにしても、年齢や単独行の善悪にかかるコメントは、真相が明らかになってからにしてもらいたいし、遭難事例は山岳雑誌などで、事後的には、ていねいに原因を解明してもらいたい。(原因が一つということはない。)

グダグダ、ぼやいたが、オイラ自身が高齢者の仲間入りをしているし、単独行主義者だし、少なくとも75歳までは、フツーに山を歩きたいと思っているからだ。

そのため、山に入る時は、

① ココヘリ(救援ヘリに電波を発信するアクセサリー)の持参

② 「山と高原地図」の紙持参(コンパス帯同)とスマホへのダウンロード(GPSで位置情報得られる)

③ スマホ用バッテリーの複数持参

④ アルミレスキューシート持参

⑤ 山と高原地図の破線ルート(難路表示)を選ばないし、同地図の最新のヤブ情報もチェック

⑥ 登山アプリ「コンパス」への登山計画提出と下山後の通信

⑦ 山岳保険JROへの加入

と、二重・三重に安全策を講じているし、グーグルアプリの「マップ」の現在位置を長押しすると現在地の「北緯・東経の数字」がでることも、あの昨年の野沢温泉トレラン遭難事故で学んだし、「道迷い」には万全の対策を講じていると自負しているが、

・・・・・が、最近は、体重増加とトレーニング不足によるヘタリを自覚しているのであり、高血圧や高血糖という基礎疾患の因子も抱えながら山に入っているので、オイラの場合、道迷いよりも、心配されるのはむしろ「突然死」なのだ。どうしよう、1週間も誰も歩かないようなルートで、意識が薄れて、スマホにも手を伸ばせなくなったら・・・・(昆虫、微生物のお世話になります)

 

(燕岳の遭難者さんガンバレ!まだ意識があるだけで幸いだよ!)

 

長野放送のニュースから(yahoo)

 

 

            

                  広く平坦な道を歩いていたいな

 

 

 

 

 

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宇宙を漂う賢治とメシアン ~ 宮沢賢治没後87年によせて

2020-09-18 16:50:40 | 日記

9月21日、今年は「敬老の日」ということで月曜日だが祝日だ。宮沢賢治の命日。例年ならば、花巻では「賢治祭」が盛大に行われるようだが、今年はコロナのせいで中止となっている。

亡くなったのが1933年(昭和7年)ということだから、今年は没後87年か。誰でも、ヒトの死際の記録などは知りたくもないのだが、オイラは、賢治の分厚い年譜で、亡くなる直前の17日から21日までの事跡を読み直すのが好きだし、辞世の歌といわれる短歌を読むのも好きだし、半紙に書かれた筆跡を眺めるのも好きだ。すがすがしくなるのだ。


9月17日:近所の鳥谷ヶ崎神社の祭礼、病床をぬけて二階や店先に降りて祭りを楽しむ。

9月18日:祭礼二日目、店先で鹿踊りなどを楽しむ。この年の岩手県の豊作を慶ぶ。

9月19日:祭礼三日目、夜寒にもかかわらず、門前に出て祭りの神輿に拝礼する。

9月20日:前日の冷気が効いて容態悪化する中で、辞世の歌二首を半紙に墨書。体調悪化にもかかわらず農事相談の来客に快く応じる。弟に、書き溜めた原稿の出版などを託す。

9月21日:午前11時半、病臥の床で高らかに「南無妙法蓮華経」を唱題。父親に、「国訳妙法蓮華経1000部」作って、ひとびとに配るように依頼。親父に初めて褒められたと微笑する。母親に水を飲ませてもらい、体をオキシフルで拭いてもらい「いいきもちだ」を繰り返す。そのまま、母親の前で永眠。


我が子に目の前で先立たれる親の気持ちは、いかばかりか察するところだが、存命の父や母に抱かれて安らかに眠りについて、「賢治さん、幸せもんだね」と語りかけたくもなる。どうしても、清々しい人生のとじ方だ。

臨終の際、賢治の脳裏には、どのような映像が浮かんでいたことだろう。脳裏に浮かんだ妙法蓮華の浄土世界は、下のような黄金に染まったブナのような世界だったのではないか。勝手に、そう思い込みたい。

 

         

秋は、山に生きるさまざまないのちの昇天の季節だが、天に漂う星間ガスがまた新しい星となるように、昇天した命も復活するのだろう。秋のブナの森は、だから、明るすぎるのだ。

 


こないだ、NHKFMの「かけクラ」で、20世紀を代表するフランスの作曲家オリビエ・メシアン(1908~1992)の代表作「 トゥーランガリラ交響曲」の第6楽章「愛のまどろみの庭」を何気なく聴いていて驚いた。まるで、賢治の心象スケッチ「春と修羅」の世界と「合致」するからだ。

その理由は、分からないのだが、それ以来この交響曲のみならず、Youtubeに登載されているメシアン作品を聴きながら、賢治詩を読み進めているが、ますます「合致=最良のBGM」感を深めている。

戦前に没した日本の天才と、ついこないだまで活躍していたフランスの天才とは何の接点もないような気がするが、賢治は1896年生まれ、メシアン1908年生まれ、歳は12才しか違わない。いわば、同時代人で同じ時代の空気を吸って育っている。賢治は、法華経に帰依し、法華文学の昇華をめざした宗教者、メシアンは、カトリックに帰依し、終生キリスト教音楽の昇華をめざした宗教者。賢治は地学・農学者でメシアンは鳥類学者と自然科学にも造詣が深い。

そして、何よりも驚いたのは、メシアンも賢治と同じく、音を聴くと色彩や模様を感ずることができる「共感覚」の持ち主だったということだ。

メシアンは、鳥鳴き星きらめくこの世に天使たちが降りてきた絵を頭に描きながら音楽にしたのだろうし、賢治は、法華信者として山川草木の仏性を音楽のようにきらめく言葉に託したのだろう。

賢治の存命だったころには、すでにメシアンはいくつもの作品を書いている。下記にコピペした「キリストの昇天」は、賢治が亡くなった年につくられた作品。

ベートーベンやチャイコフスキーばかり聴いていた賢治が、もしも、当時のメシアンを聴いていたら、「あれ、おれの作風をまねしているやつがいるべ」と驚いたかもしれない。

 

賢治とメシアン、時代を先取りしたこの世の音楽や詩でもあるし、あの世(宇宙)の音色なのかもしれない。きっと、いまごろ銀河鉄道に乗って、宇宙空間を仲良く旅を続けているのかもしれない。

 

 

 

賢治の死没の1933年に作曲されているオリビエ・メシアン「キリストの昇天」から4楽章(管弦楽版)

(パリ・バステューユ管弦楽団のYoutubeからいただきます)

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きんいろの惑星に秋のひかりは微笑む

2020-09-16 16:16:15 | 日記

大きな惑星のようなトチの実

地表にはいくつものクレーターがあって、大地がは金色に輝いている

その惑星が天上から突然地上に落ちる 

ぼたっ

木の下に設けられテントの屋根に大きな音

その惑星を拾って「割ってください」というばかりに三つに裂けたところを静かに剥がすと

まるで地表を取り除いた、地球のマントル図だ

地球の真っ赤な溶岩と違って あつい真っ白な産毛で地殻は「守られている」

産毛をていねいにのぞくいてやると 大きな黒い栗のような光沢をもったタネが最後に現れる

このタネを地中に埋めてやると、また息吹きの芽となって伸びだすのだろう

春に マルハナバチのオレンジパンツのお世話になって 生まれ継いだ 小さないのちは

秋に こんなに大きくなって手のひらに乗っている

どこかに埋めよう

 

 

 

 

     

 

 

 

     

 

 

 

     

 

 

 

野草園初秋点描 いろんな宝石が輝き始めている

 

 

ギーゼキングのモーツァルトを聴きながら(Duecalion ProjectのYoutubeから)

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2020秋の銀河ステーションへはどこに

2020-09-15 16:51:54 | 日記

だいぶ涼しくなった。仙台の最低気温は、19度。ようやく石垣島ならば冬の気温となったが、昼は夏日となって、しばらくぶりで野草園を歩いたら蚊に刺されっぱなしだった。もう少し、凛とした空気にならないと秋とみなすことはできない。

 

秋雨前線の頃合いともなっていて、東北の10日間予想は雲行きが悪い。今秋と来週前半くらいまで新月から上弦にかかる時期なので、月明かりの影響を受けず天の川銀河が燦然と輝き、真に闇となる20時ころには、南の地平より立ち上がる天の川が現れ始め、天頂から南方向にはくちょう・こと・わしの夏の大三角が天の川に広がり、地平近くのいて座近くに木星と土星がきらめいているのだろう。

 

 

      

             2020 お盆過ぎの日光湯元から銀河ステーションへ

 

 

が、出かける予定にしていた岩手は、毎晩暑い雲が覆っていて、上のような、星世界の絶景にはお目にかかれそうもない。(まずいことに)、週末から2,3日だけは晴れそうなのだが、土曜日から火曜日にかけては祝日の四連休となっていて、たとえ晴れてもお出かけは躊躇される。まあ、予報が当たらないことを期待して来週半ばにに期待しよう

しかし、いつのまにか天の川とお月様のことだけで山のスケジュールを考えるようになったのはどいうことなのだろう。

今日のほしぞら(岩手県)

あれよあれよという間に、もう9月下旬の紅葉の時期を迎えている。昨年は、北八が岳と焼石山麓の夏油温泉で格別の秋を味わった。さて、今年の紅葉はどこの山で?

幸いというか、JRが9月24日から10月6日まで新幹線乗り放題をやってくれるので、上越・信州・北東北と選択エリアは広い。まあ、いつものように宿などの予約はせずに、お天気情報で晴れそうなエリアを直前に選択することにして、複数のカードを用意しておきたいのだが、毎日日帰りでバタバタする若さもなくなったし、やっぱ、お月様や天の川にもお目にかかりたいので、どっか、「新幹線駅からアプローチが短く、暗くて・静かで・しかも温泉がある 登山基地となるようなキャンプ場」をひたすら探そうか。

 

     

       201910月末  岩手夏油温泉から銀河ステーションへ

 

 

ベストプラン

1日目:始発の新幹線で晴れてそうなベースキャンプ地へ、午後から紅葉の山、夜間は星空撮影

2日目:早朝登山後、昼前新幹線で移動、他の晴れてそうなベースキャンプ地へ、夜間は星空撮影

3日目:早朝から山を楽しんで、午後遅く新幹線でいったん帰宅

4日目:新幹線最後の切符で、紅葉前線の登山基地へ 夜間星空撮影

5日目以降:のんびり何日か紅葉の山を歩いて、温泉にも入って、星空も撮影、 山に飽いたら新幹線か在来線で帰宅

これなら、新幹線乗り放題にも満足できるし、山と星空をいやというほど満喫できるというものだ。

 

(皮算用は、よしたまへ)

→ 重大な視点が欠けていた・・・・・メガ台風がまたくるかも

 

 

 

 

 

 

 

 

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