宮沢賢治「鎔岩流」冒頭の「喪神のしろいかがみ」とは、たとえば下記の写真のように雲にかすれ、ボウとした日輪のことだったのか。手持ちのもっといい写真があるかと思ったが、意外とお日様の写真はなかったので、昨年4月に湯の浜海岸で撮った夕日をモノクロにしてイメージしてみた。
賢治が岩手山東麓の焼走り熔岩流から西に向かって岩手山(薬師岳)山頂を仰いだのは、十月末の午後で、あるいは小雪の舞うような薄雲にかすれて見えた日輪だったのかもしれない。お日様が白い鏡のごとく映る。これも、おおいに腑に落ちることだ。
これから野山を歩くときは、お日様の微妙な光の具合も積極的に撮りためよう。賢治は、お日様のちょっとの翳りの色合いを敏感に感じ、それをレトリックで色づけしていくような多彩な言葉使いの天才なのだ。心してかからねば。
多彩といえば、賢治の童話を読んでいると、ユニークなオノマトペと合わせて、その色彩感の豊かさに驚いているが、これまで(ひまなら)やってみたかったことは、賢治の作品を塗り絵のように色づけて、その色彩の世界を可視化できないかということ。
そのため、今回、分冊では買ったことがあったが、(一部何処に行ったか不明)文庫の全集10巻を購入し、これから手元において賢治の学習用にメモをじゃんじゃん書き込むだけでなく、色彩を感じる箇所に色鉛筆で色づけしようと思った。アマゾンに頼んだら翌日には届いたので、さっそく練習用と言ったら失礼だが、これまで賢治作品を読んで最も色彩感や音楽性にあふれていると疑わない「十力の金剛石」を選んだ。
作品にはちと失礼だが、ヒャッキンで買ってきた12色の色鉛筆で色彩を感じるところや音楽的なオノマトペに色づけをはじめた。
そしたら、なんとまた別世界、童話の世界がモノクロから「総天然色」の世界に変容し、音までも鳴り響いてきたではないか。これは楽しい、続けてみようと思った。童話だけでなく、心象スケッチや歌、文語詩などにも色づけ出来たら賢治の世界がまた大きくも楽しくも広がるような気がしてきた。日課にしよう。
この「十力の金剛石」という作品、賢治の宇宙観、自然観を端的に表わした完結した名作だと思っているのだが、文庫全集の解説によると、「虹の絵の具皿」と改題したうえ、人物、情景の設定が不満なので、例のとおり書き直しを意図していたようだが、まったく天才とはそういうヒトたちなのか。「永久の未完成これ完成である」でいいのではないか。
「宮沢賢治21世紀映像童話集 十力の金剛石」(yoshiyuki sumiregusaさんアップのYoutube)