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かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

岩手山熔岩流の賢治碑(追記で修正)

2020-09-11 09:34:27 | 日記

     

 

 

 

岩手山東麓の焼走り熔岩流に宮澤賢治の詩碑が建っている。キャンプに行くまで知らなかったが、散策道に案内板があったので行ってみた。御影石でできていて、畳を5、6枚並べたような大きな堂々とした石碑だ。

「鎔岩流」と題された春と修羅(第一集)・風とオルゴールの章に収められた1923年10月28日の日付のある作品。大正12年、賢治農学校教員時代の作品。妹トシが亡くなった翌年、その年の9月1日には関東大震災がおきているが、賢治の創作意欲が旺盛で、健康面でも問題なさそうで、最も充実していたころか。

この「鎔岩流」、火山の溶岩は、サンズイ偏だが、賢治のようがんは、カネ偏。金属が融けるという意味らしい。科学者賢治が、火山岩をも金属の一種とみていたからなのか。当時の正しい漢字だったかは定かではない。

とにかく、この石碑の前に立ったものは、間違いなくこの長い詩を読み始めるだろう。オイラもそうだったが、まず冒頭の一、二行でつまづくのではないか。

「喪神のしろいかがみが 薬師火口のいただきにかかり」? 

山に関して多少の知識にあるオイラは、「薬師」というのは目の前の岩手山最高峰だということは分かっているが、「喪神のしろいかがみが」が、何とも理解できない。「かがみ」は鏡であろうと推測するが、現代人には「喪神」という熟語の読みと意味が不明なのではないだろうか。実は、オイラもそうだが、はずかしながら「もしん」と読んで、詩の文意から「何か不吉な神様」のような存在だと、自己解釈して全体を読み終えた。

この最初の二行さえクリアできれば、賢治の詩としてはそんなに難解ではなく、熔岩流のエネルギーと殺伐とした風景に感応した賢治のエネルギーに満ち溢れ、火山岩に生えだしているスギゴケを乾麺のたぐいと想起しながら食欲をそそがれ、持ってきた林檎をかじるようなユーモアもにじませた健康的な詩なのであるが、いかんせん、やっぱり最初の二行を理解しないままカメラに収めて、やや不甲斐なく石碑をあとにした。(皆が、そのようではないかと「推測」する。)

で、そこからなのであるが、いま家に帰ってその不甲斐なさを解消しようとネットでいろいろ調べてみたが、詩の最初の二行について解説したサイトには出会えていない。辞書を紐解けば、「喪神」は「そうしん」と読んで「失神」と同意で「意識を失うかのようなぼーっとした気分」だとある。

「失神の白い鏡」?ますます訳の分からない一行となってしまった。

「何か違うのではないか、やっぱ第一印象の不吉な神様なのではないか」?とギモンは混迷を深めていたところ、喪神に「付」という漢字がついて「付喪神」という妖怪の存在がわかった。「つくもがみ」と読む室町時代に流行ったと云えられる絵巻物に収められた妖怪の存在。ネットを調べたら、「長い年月を経て道具などについて人間に良からぬことをする精霊」という解説もあり、宗教家で明治生まれの賢治は当たり前のごとくこの「つくもがみ」のことを知っていたのではなかろうか。

「白い鏡の妖怪」、ではその「しろいかがみ」とはなにか。

「八幡平市観光協会」の観光スポット紹介にある焼走り熔岩流からの岩手山の写真を見て、「これだ!」と思った。「雪だ!頂上付近の真っ白で丸い雪形だ!」、賢治はそれを見て「白い鏡」と想像の翼を広げたのではないか。大正時代の10月28日なら、温暖化の今と違って岩手山に降雪があってもおかしくないし、この詩にも「雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き」の一節があり、賢治の目の当たりのした岩手山(薬師岳)は、山頂付近に大きな白い鏡を輝かせていたのではないか。

その鏡を噴火を引きを越すようなヒトに悪さをする妖怪と感じ、賢治は「喪神」とい熟語をまず冒頭に掲げたのではないだろうか。これだと、詩の全体が「腑に落ちる」。

まったくの私見であり、これから誰かが書いたものを探してみようかとおもうが、「当面」は、このような思い込みで「鎔岩流」という詩を鑑賞していこう。

 

碑の近くにヤマボウシの実が赤く色づいており、草むらにクリのの青い毬がころげていた。秋の深まりはこれから、その「白い鏡」のころに、またこの場所に立ちたいと思った。

      

 

    

 

 

 

 


 

青空文庫さんから拝借

 

鎔岩流



喪神のしろいかがみが
薬師火口のいただきにかかり
日かげになつた火山礫堆れきたいの中腹から
畏るべくかなしむべき砕塊熔岩ブロツクレーバの黒
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
なにかあかるい曠原風の情調を
ばらばらにするやうなひどいけしきが
展かれるとはおもつてゐた
けれどもここは空気も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
一ぴきの鳥さへも見えない
わたくしがあぶなくその一一の岩塊ブロツクをふみ
すこしの小高いところにのぼり
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
雲はあらはれてつぎからつぎと消え
いちいちの火山塊ブロツクの黒いかげ
貞享四年のちひさな噴火から
およそ二百三十五年のあひだに
空気のなかの酸素や炭酸瓦斯
これら清洌な試薬しやくによつて
どれくらゐの風化ふうくわが行はれ
どんな植物が生えたかを
見ようとしてわたしの来たのに対し
それは恐ろしい二種の苔で答へた
その白つぽい厚いすぎごけの
表面がかさかさに乾いてゐるので
わたくしはまた麺麭ともかんがへ
ちやうどひるの食事をもたないとこから
ひじやうな饗応きやうおうともかんずるのだが
(なぜならたべものといふものは
 それをみてよろこぶもので
 それからあとはたべるものだから)
ここらでそんなかんがへは
あんまり僭越かもしれない
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果りんごをたべる
うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉はべにキンやせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
  (あれがぼくのしやつだ
   青いリンネルの農民シヤツだ)

(一九二三、一〇、二八)

 

*オレンジ色にしたところは、火山を引きを越した鬼神(喪神)を想起させる箇所

*緑色にしたところは、春と修羅の本質たる賢治の孤独なリリシズムがよく表現された箇所


八幡平市観光協会

付喪神(エコトピアさんのHPから拝借)

 

 

溶岩台地に立ったパノラマ(拙い撮影だがあえて登載)

 

 


追記(2020.9.11)

① 原子朗さんの「定本 宮澤賢治語彙辞典」を借りてきて、「喪神」の熟語を引いてみたら、賢治独特のレトリックとして紹介されていたが、それでも明確な字義は不明である。ただし、賢治は「喪神」という言葉をあちこちで使っているらしく、代表的なのは、春と修羅の表題詩にある「喪神の森の梢から/ひらめいてとびだすからす」や歌276(異)の「つぶらなる白き夕日は喪神のかゞみのごとくかゝるなりけり」だ。両者の文意により「喪神」は、原さんの言葉によると「生気のないほの白い太陽」のことなのだそうだ。「喪神」のもともとの字義「ぼんやりとした放心状態」をベースに読み解いているようだ。まあ、歌にあるように白き夕日を喪神のかゝみになぞらえていることから、「ぼんやりしたお日様の光」とイメージしていいのだろう。よって、「喪神」を妖怪と「かがみ」雪形とイメージしたオイラの思い込みは、訂正されなければならない。(不満だが)

② 賢治が溶岩にはえた苔を見て「乾麺」をイメージしたと書いたが、詩の「麺麭」とはパンの意味だった。完全な間違いなので訂正したい。

いずれにしても、賢治についてモノを語る時、辞典やネットでもう少し下調べをしてから書き込もうと反省する次第である。

 

 

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