未明、録画しておいたNHK「クラッシック音楽館・いま届けたい音楽」を視聴することから昨日という1日が始まる。
サンサーンスバイオリン協奏曲3番2楽章をN響の伴奏で樫本大進さんが熱演していたが、流麗にオーボエを奏でる女性の名前が出てこない。著名なヒトだ。
検索したらN響楽団員ではなく、ドイツのマーラー室内管弦楽団首席オーボエ奏者吉井瑞穂さんだった。サンサーンスの2楽章は、樫本さんが絶賛するように、今という時を慰めてくれる素敵な楽章だ。バイオリンとオーボエのあたたかな語らいが印象的だった。
「クラシック音楽館」が終わって、たまたまBSプレミアムのチャンネルを合わせると、なんとその吉井瑞穂さん秋田県大曲コンサート(2019年6月14日)が始まろうとしていた。不思議なめぐりあわせだ。
吉井さんは、番組中「大曲の花火と音楽演奏は、共通しています。1回限りで消えるもの。(だから、真剣勝負で美しいもの。)」 という趣旨のコメントをしていた。
コンサートの終わりのころ、パヴェル・ハースというチェコの作曲家の「オーボエとピアノのための組曲」が演奏された。彼は、ユダヤ系ということで、ナチスに囚われ1944年アウシュビッツのガス室で処刑された。まだ45歳だった。ユダヤ人というだけで、他国の者に拘引され、虫けらのように殺されたた不条理な時代だった。
この曲の演奏中に、スマホから緊急地震速報がけたたましくなった。数秒後にやや大きな揺れが10秒ほど。「ひさびさ、おっかない思い。」宮城県沖Ⅿ6.1 最大震度4。自然の摂理とはいえ、予期せぬ地震は不条理の限りだ。緊急地震速報の精度が上がったな、と妙な信頼感。
吉井さんのコンサートで一番惹かれた曲は、NHK朝ドラテーマ曲だった「あすか」の風笛。大島ミチルさんの美しいメロディーで、1999秋~2000春に流れていたもの。あの時代、何をして、何を考えていた。
NHKオンデマンド特選であすか総集編を1/4視聴してみる。セーラー服の竹内結子が初々しい。
風笛が聴きたくて、YOUTUBEへ。 宮本文昭と宮本笑里のコンサートがあったので、聴いて熱くなる。文昭さん2007年ラストコンサートだという。引退が早すぎた。何があったんだろう。
Youtubeの同じ画面に、小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラの1992年9月の天覧公演がアップされていたので、ブラームス1番を視聴する。圧倒的熱演だが、1975年来日したカール・ベーム、ウィーンフィルがやった1番のさらなる圧倒的熱演の記憶があるので、さしたる感動はない。
サイトウ・キネン・オーケストラのオーボエ奏者に宮本文昭さんがいて熱演していた。これも、めぐりあわせだ。オーケストラのコンサートマスターとなっている潮田益子さんの懐かしいお姿が。
潮田さんは、すでにこの世のヒトではない。2013年に、白血病のため米国で亡くなっている。あらためて、潮田さんのプロフィールを眺めたら、彼女は、世界的ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・シゲティに師事していた。
あの辛口音楽評論家宇野功芳さんが「いまコンクールがあったら絶対入賞しないが、日本人の精神性にあっている。」と評したシゲティの弾くバッハ無伴奏は一番のお気に入りだ。Youtubeで、弟子なのだという潮田んさんの無伴奏も少し聴いてみたが、大きく、豊潤で、なかなかの精神性だ。CDの在庫が乏しそうだが、求めたい。
シゲティの話題だが、戦前1931年と翌年(昭和7年)に来日していて、昭和7年来日の模様は、太宰治の「ダス ゲマイネ」という作品に取り上げられているのが面白い。なんでも、3日間の公演は不入りで不評。それに怒ったシゲティが「日本人の耳は驢馬の耳」と新聞社にコメントしたとか。前年来日の折は、絶賛を浴びたというが、どうしたのだろう。
日比谷公会堂で行われた12月のコンサートに太宰の姿があったか不明であるが、何と特高から追われて地下に潜行していた小林多喜二の姿がそこにあったというから驚きである。誰かの計らいでチケットを入手し、隣席には弟が座っていたとのこと。(涙)
この小林多喜二は、コンサートの2か月後、昭和8年(賢治が亡くなった年)2月、スパイの導きで東京赤坂の路上で特高に捕まってしまい、築地警察署内での激しい拷問の果てに、その晩のうちに絶命したという。こんなことが普通に行われていた時代の不条理により29歳の若さで命を落とした者がいた。(この拷問シーンを何かの映画で観たが、忘れた。)
同じコンサートの晩の日比谷公会堂の別の席に22,3歳の太宰の姿があってベートーベンを聴いていたと想像するだけでも楽しいが、このころに左翼運動を離脱(挫折)したとされる太宰は、戦時下、国にひれ伏すのでも媚びるのでも、戦意発揚するのでもなく「ずるがしこく」生き延び、「富岳百景」や「惜別」などの名作を次々生み出していったことは、不思議なのだが、なんとも不条理な時代こそ太宰の生きるよすががあったというのだろうか。その太宰、戦後、「平和」を取り戻したたかのようにコロリと態度を一転させた民主日本は生きにくいと思ったか、早くもこの世におさらばしている。
その太宰治は、妻となった津島(石原)美智子さんとの間に、一男二女(次女は作家の津島祐子)、愛人とされた太田静子さんとの間に1女(作家の太田治子)をもうけたが、津島家の長女園子さんが昨日78歳でお亡くなりになったとのこと。(合掌)
自粛といわれる1日、未明から陽が落ちるまで、感性の糸があちらこちらで繋がり、撚られ、織られ、さまざまな感動となり、また消えていく。
あらためて、シゲティのバッハ無伴奏ソナタ・パルティータをYoutubeで聴きながら、「このヒトのバッハは、木の香りがする深い森をゆっくり歩いていくようだ。落ち着く。」
どの時代も不条理で生きにくそうだが、音楽や四季折々の森のささやきがあるからこそ、生きていけるのだと、ますます思いを強くする。
宮本文昭さん 宮本笑里さんの最初で最後のコンサート(Youtube)
2019.6.19 湯ノ丸高原 落葉松の小道