2020年3月最後の日。
高齢者の一員となったオイラが、現状において、列車やバスという公共交通機関を使用して旅をしていいものか。感染経路が不明のヒトが全国的となってきたという新型コロナウィルスの感染拡大状況をみるに、肯定するだけの自信というものがなくなってきた。
18切符を使用して、あれだけ期待をしていた全線開通となった常磐線でのお花見行や新潟方面の雪割草撮影行も、切符発売の最終日となる今日、とうとうあきらめた。4月の粟島は、中止となったが、このままではGW明けからの大峰奥駆リベンジや屋久島遠征も頓挫確実で、もちろん航空機の手配もしていない。
大げさな言い方であるが、4月から、どう生きていけばいいのか。
そんな悩める日々に、いつも聞こえてくるのは、賢治の言葉。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
(宮沢賢治 注文の多い料理店序 の冒頭)青空文庫よりコピペ
今このご時世、何も、遠くに行ったり、著名な山域に立ち入らなくとも、一人歩いて、走って、漕いで、登って、下って、身近な野山を遊び場とし、きれいなたべものや宝石いりのきものを見つければ十分だ。と(むりくり)言い聞かせた。
徒歩1時間内の青葉山には、もうすでにピンクの妖精たちが春を謳歌している。妖精たちは、雑木林に若葉が伸びだして、地面が降り注ぐ陽の光が遮られるまでの短い間に、今生まれだした羽虫のお世話になり、子孫を残そうと大事な行動している。365日という時の長さからすれば、わずか数日の営為なのだが、彼女らの人生で一番大切な時。大切な時だからからこそ「花」という輝きをみせ羽虫を誘う。
カタクリ、ショウジョウバカマといった百合の仲間や林間のスミレらの視線に立ってマクロレンズを地面すれすれにあてがい、今しばらく宝石箱のような世界を覗いてみよう。
ウィルス災禍は、夏までだろうか。日を追うごとに新たな妖精が生まれだして、羽虫たちも喜び勇んでやってくる。その羽虫たちを糧として、南からやってきた小鳥たちが青葉の木陰で恋を歌い始める。青葉の森のそんな舞台に通いながら、災禍が過ぎるまで待つことにしよう。
青葉山のカタクリ
マキノスミレか
ショウジョウバカマ
以上。青葉山2020.3.30