中島みゆきさんが、コンサートで警鐘したように(オイラには、そう聞こえた。)
「 他人を押しのけても、自己の利益を優先させる人が現れます」が、現実となってきた。
マスクの販売を巡って殴り合うヒトビト、デマ報道にもかかわらず、ロール紙やティッシュの類まで買いあさり、真に必要な人に渡らなくなる状況にまで想像力が働かないヒトビトが、日本にも現れてきた。
あれだけ、中国人の爆買いやエチケット違反を揶揄してきたヒトビトが、彼らと同列の素性であるということをばらしてしまっている。
9年前の大震災のときの物のない状況では、周りを見る限り、皆が皆の痛みを分け合って、スーパーの前に整然と並んで、ヒトを押しのけてでも利益を図ろうとする姿は見られなかったが、あれは、軽重の差はあれ皆がダメージを受けたという現実があったからなのだろうか。国民の美徳ではなかったのか。
大方のヒトビトが、そのようなダメージをいまだ受けていないという今日的状況では、本性を露にするのではなく、いったん立ち止まり、想像力を働かせ、自制的に行動していかなければ、とオノレにも言い聞かせている。
マスクをしていても、ウィルスはあらゆる方法で体内に侵入してくるので、マスクは無くてもあきらめがつくが、ペーパーのないトイレは、どうもガマンならん。他人の苦痛をわきまえて行動しよう
北帰行 2019 4.14 山形県鶴岡市~新庄市
南西諸島からの北上も、いよいよ山形県で終わりとなり、行く先を東方向に切り替え、山形県北部を横断する。湯野浜から鶴岡市内をへて羽黒山に登り、最上川のほとりの清川駅から輪行しながら宮城県境の新庄市にたどり着いた。
羽黒山に向かう途中で、北に真っ白な鳥海山、東に真っ白な月山。いよいよ、ふるさとに近づいてきた。
「北に遠ざかつて雪白き山あり」(平家物語)というフレーズを思い出した。
深田久弥さんは「雪白き山」という文章で
「白い山をたたえる気持ちは、人間が太古から受けついできた素朴で根強い魂なのかもしれない。白い山の多い日本は幸福な国である。そしてその雪山の潔白さと清浄さを、わが国民は精神の中に吸収しているのであろう。」
と記している。
あのときの、鳥海と月山を涙目で眺めていた気持ちは、そのような精神性がよみがえってきたからなのだろうか。
鳥海山
月山
〇 ちりちりと 蒼穹遊ぶ 揚げ雲雀 山の白さを 眩しがるかな
〇 雪のこる 羽黒の坂を登りつつ 忘れかけたる 山の名拾ふ