立冬、北国ならば長く辛い冬が始まる。イエス様がお生まれになったのも冬。世界中の困難と辛苦は、個々の人々の憂い。人生における立冬も、60代か。個人差はあるものの、どうにもならない困難と辛苦を、人は老いとともに感じざるを得ない。年齢のみならず、病や感情の軋轢で、若くして冬を迎える個もいるだろう。
宗教の役割は、いかにしてヒトの憂いを脱ぐ去るか、万人をいかにこころの解放へと導くか、であると思うので、仏教だろうと、回教だろうと、耶蘇教だろうと、その開祖のご意思は同じだろうから分けへだでは必要ない、要はフィーリングの問題であろうと、市井の一員であるねこ科のオイラは、つくづく思うのであるが、仏教の詩は難しいが、聖書のそれは、やさしく、宗教改革のお偉いさんが、いかに万人を神の世界へ誘うのに労苦を重ねたかが、なんとなく理解できる。
そのご意思を継承したバッハが、200と編み出した協会カンタータの世界は、その曲想に載せた聖書の言葉が、季節の花々の香りのように、ヒトを引き寄せ、涙させ、やがて内々にある困難と辛苦にばら色の光彩を照らし、癒す。
だから、冬になると、大和の寺院にひっそりと微笑む仏様と同じように、バッハのカンタータに魅せられ聴く。聖書を紐解くよりも、バッハがアンソロジー的にピックアップした聖書の一説を、美しい曲を聴きながらなぞった方が効くのだと思う。
質問:下の光は」、お天道様でしょうか お月様でしょうか
答え:2017年の初日の出でした。(石垣島白保海岸) 癒されれば、どちらの光でも受け入れましょう。