算太郎日記

日々の日記を綴ります

ベッドの上で映画を観る

2024年04月30日 | 日記

腰が少しずつ伸ばせるようになり、コルセットをつけた状態で階段の上り下りがなんとかできるようになった。


椅子に座って庭に目をやると、一足早い梅雨のように降っていた雨も止んでいた。雨で濡れた草花の深い緑が目に入る。窓を開けると、水分をしっかり含んだ土の匂が生温い空気の中に広がり鼻腔をくすぐる。


結局、連休はベッドの上でゴロゴロしていた。ゴロゴロしながらNetflixの映画を2本観た。


そのうちの一本はずっと気になっていた「由宇子の天秤」という映画。腰の痛みも忘れて夢中になって観た。人間誰しも、大なり小なり心の中で様々なことを天秤にかけながら生きていっている。時には、それが人としての信念と保身だったりする。主人公の女性ドキュメンタリーディレクターの取った行動を自分だったらどうするかなあと天井を見ながら考えていた。


腰が!

2024年04月27日 | 日記
今日は良い天気だ。新緑が眩しい。


午前中は、TVの録画を2本見た。一本は読書案内的なもので、二本目は世界史を学び直すというもの。2本とも面白く、充実した時間を過ごしたなあという思いにさせてくれた。その後、洗濯物を干したり、読みかけの本を読んだりして過ごす。合間に、天気の良さも手伝って体を動かしたくなり、適当に体操をやった。


午後は、市民センターの会議室に於いて、数名で学習会を行なった。和室だったので、あぐらで2時間ほど座っていた。会議が終わり、長机を片付けようとして前屈みになった途端、背中の肉が背骨からガクッと剥がれる様な感じがした。「ヤバイ!」と思った時には遅かった。久しぶりのギックリ腰!


そんなにひどくはなかったので、何食わぬ顔をして会議室を後にした。最近ストレスも多かったしなあと、ストレスを感じた幾つかの場面が腰の痛みと同時に思い出された。


朗読を聴く

2024年04月19日 | 日記

最近、ラジオで朗読をよく聴くようになった。これがなかなか楽しい。


今聴いているのが、篠田三郎の朗読で、山田太一作「異人たちとの夏」。作品も面白いのだが、篠田三郎の朗読がいい。登場人物の微妙な心理を艶のある声で表現されると、まるで舞台を観ているようだ。それぞれの人物が生き生きと舞台で動き回り、言葉を発している。私は、あっという間に魅力的な舞台を観ている観客の一人となっている。


その前の池上季実子の朗読で、山崎豊子作「晴着」も良かった。これまた作品世界を濃厚に伝える朗読だった。篠田三郎とは違う味わいを楽しむことができた。今後も誰がどんな作品を朗読してくれるのか、ワクワクしている。


石垣りん詩集

2024年04月15日 | 日記

久しぶりに図書館に足を運んだ。


予約本を取りに行ったわけでもなく、借りたい本があったわけでもない。ちょっとした時間潰しに寄ったのだ。書架を何となく見渡して、目を留めたのが詩歌欄。


懐かしい詩人の詩集を手に取ってみた。それは、「空をかついで」(石垣りん著)という詩集。何編かの詩が、初めてこの詩人の作品を読んだ時の感動を蘇らせてくれた。深い社会への洞察と鋭い感性によって、脅かされる平和や自身の生き様を切れ味鋭い言葉で表現していく。その魅力は時代を経ても変わらないと感じた。


そんな詩集を偶然手にしたことが嬉しくて、貸出しカウンターにそっと詩集を置いた。


映画「オッペンハイマー」を観る

2024年04月14日 | 日記

映画「オッペンハイマー」を観た。


アカデミー賞7部門受賞作品ということで、さぞかし観客も多かろうと思って構えて行ったのだが、休日の映画館にも関わらず、がらんとしていた。周りを気にせず、ゆったりとした気分で映画に集中できたのでそれはそれで良かったのだが。


この作品、「上映時間が長い!」「人物関係などが分かりにくい!」といった否定的な声も多く目にしていたので、そういった点も観客の入りに影響したのかなと思い、少々残念な気分になった。何故なら私は、いろんな感情を揺さぶられ、とても見応えを感じたからだ。


確かに、人物関係や時代の流れが分かりにくいところはあった。しかし、オッペンハイマーの苦悩する心理を描き出す映像や音での表現が秀逸だったこともあり、クリストファー・ノーラン監督の訴えは強く胸に迫ってきた。


分かりにくく感じたところを整理して、もう一度観てみたい。