算太郎日記

日々の日記を綴ります

痛みからの解放

2024年05月12日 | 日記

二週間ほど腰の痛みに悩まされたが、やっと痛みが無くなった。


朝ベッドから上半身を起こす時が、一日の生活の中で、まず最初に痛みを感じる時だ。その次がベッドから立ちあがろうとする時。一日の始まりがこれなので、その日の生活が憂鬱で仕方がない。そして、外に出る時はコルセットが離せない。


いつも恐る恐るベッドから立ち上がる。昨日は、ベッドから立ち上がる時に痛みを感じなかった。そこで、再度同じ動作をやってみた。やはり痛みを感じない。途端、「やっと、痛みから解放される!」と嬉しさが込み上げてきた。


痛みを気にせずに体を動かせるということが何とありがたいことか。今まで何度もギックリ腰になり、その度に同じ思いを経験してきた。それでも、やはり痛みからの解放は初めて味合う喜びのように嬉しい。またいつかやってしまうのかと思うと不安だが、せいぜい予防に努めようと思う。


「虎に翼」「正義の行方」を観る

2024年05月05日 | 日記

朝ドラ「虎に翼」を毎日楽しみに見ている。53日の放送で、裁判官が検察の不当な圧力を「司法を土足で踏みにじる行為」と怒り、検察に自白を強要された被告人に無罪を言い渡し、司法の権威を守った裁判官の姿に感動した。


そして、その日の午後、「正義の行方」という映画を観た。これは、1992年福岡県飯塚市で起きた「飯塚事件」を取り上げたドキュメンタリー映画だ。犯人とされた人物の死刑執行後に再審請求が行われ、未だ真相ははっきりしていない。弁護士・警察・新聞記者、それぞれの立場で事件について語られる。語られる率直な思いに圧倒される。そして、その構成の見事さで、観ているものを惹きつけて離さない。映像も秀逸で、観客に「あなたはどう思うか」という問いの誘いに大きな役割を果たしている。


第一次再審判決が出される。それは、弁護団にとっては何とも納得のいかない判決だった。真実を追求する司法の姿とはかけ離れているように私も感じた。日本の司法のあり方について色々と考えさせられるドラマ・映画を観た日であった。そしてその日は、憲法記念日だった。


夢を見る

2024年05月03日 | 日記

最近、夢をよく見る。幸せな夢を見ることは殆どない。覚えているものもあれば、よく思い出せないものもある。どちらかと言えば、思い出せないものの方が多い。先日もこんな夢を見た。


靴を脱いだら、靴下がツギハギだらけでギョッとした。慌てて靴に足を戻そうとするのだが、なかなか入らない。必死になって入れようとすると、周りに人が集まってきている。恥ずかしさに体が硬直して、ますます足が靴に入らない。「どうして!」と叫びそうになった時、目が覚めた。


嫌な夢を見るのはストレスからくるものなのだろうかかと考えてみる。心当たりが直ぐに複数見つかってしまう。嫌な日常だ。今夜は幸せな夢が見たいものだ。


ベッドの上で映画を観る

2024年04月30日 | 日記

腰が少しずつ伸ばせるようになり、コルセットをつけた状態で階段の上り下りがなんとかできるようになった。


椅子に座って庭に目をやると、一足早い梅雨のように降っていた雨も止んでいた。雨で濡れた草花の深い緑が目に入る。窓を開けると、水分をしっかり含んだ土の匂が生温い空気の中に広がり鼻腔をくすぐる。


結局、連休はベッドの上でゴロゴロしていた。ゴロゴロしながらNetflixの映画を2本観た。


そのうちの一本はずっと気になっていた「由宇子の天秤」という映画。腰の痛みも忘れて夢中になって観た。人間誰しも、大なり小なり心の中で様々なことを天秤にかけながら生きていっている。時には、それが人としての信念と保身だったりする。主人公の女性ドキュメンタリーディレクターの取った行動を自分だったらどうするかなあと天井を見ながら考えていた。


腰が!

2024年04月27日 | 日記
今日は良い天気だ。新緑が眩しい。


午前中は、TVの録画を2本見た。一本は読書案内的なもので、二本目は世界史を学び直すというもの。2本とも面白く、充実した時間を過ごしたなあという思いにさせてくれた。その後、洗濯物を干したり、読みかけの本を読んだりして過ごす。合間に、天気の良さも手伝って体を動かしたくなり、適当に体操をやった。


午後は、市民センターの会議室に於いて、数名で学習会を行なった。和室だったので、あぐらで2時間ほど座っていた。会議が終わり、長机を片付けようとして前屈みになった途端、背中の肉が背骨からガクッと剥がれる様な感じがした。「ヤバイ!」と思った時には遅かった。久しぶりのギックリ腰!


そんなにひどくはなかったので、何食わぬ顔をして会議室を後にした。最近ストレスも多かったしなあと、ストレスを感じた幾つかの場面が腰の痛みと同時に思い出された。