築地 老舗鰹節屋がざっくり語ります

築地で鰹節屋を営み70余年、現在三代目。築地ネタ、料理ネタ、ざっくり語ります。
店舗:中央区築地6-26-8 尾林商店

地震

2011-03-18 23:18:26 | 日記
とにかく なんと言ったらよいのか。。。

丁度あれから一週間。
2時45分、子供と一緒に黙祷しました。
わからないなりにも、今、この瞬間は
静かにしないといけないというのは
理解したみたいです。

今回の地震で自分にとって
大切なものが何なのかよくわかりました。
揺れている間(丁度、一人で家にいた)
家族(子供達と夫)、母、それから
兄と店のことが心配で心配で・・・・。

友達、知り合い、それぞれ無事を
確認するたびに良かったと互いに
喜んで、一人じゃないんだな、と
思いました。みんなとつながって
生きてるというか・・・。

それからライフラインって言葉の意味が
とてもよくわかりました。
いつもは蛇口ひねれば水はでるし
スイッチ一つで電気もガスも
思いのまま。
でもそれは当たり前ではないのですね。
ありがたい環境なんだな、と。
今は意識してとにかく節電!
子供もこまめに電気を消しています。

こんなことしか出来ませんが
今は小さなことからみんな協力しあって
乗り越えていくしかないですよね。

それから火事場泥棒とか
義援金詐欺みたいなのは
やめてほしい。人としての心が
あるならば。。
もう、そういうの絶対許せないですね。
正直、天誅くらうぞっっ 
いや、絶対天罰くらってほしいと
思ってしまう。
あぁ、こういうのアツくなっちゃうから
ここらで止めておこう。

日本人はとても優秀だとおもうし
マナーも素晴らしい国民です。
この危機も乗り越えられるに
決まってる!!と信じたい。

ちなみに・・やきものさん、大丈夫ですか?
ちょっと心配してます。



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3 コメント

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ありがとうございます。 (やきもの)
2011-03-23 23:46:55
親戚筋の方々がご無事でなによりです。浦安の液状化も酷いですね。マンホールがキノコのようにアスファルトから出ている映像を見ました。


私達にできること…このような状況下でも、今までと同じ気持ちで普通に暮らすことかな、と私は考えます。


3食ご飯を食べて規則正しく暮らす。自分のやるべきことをきちんと成し遂げ、風評などに惑わされない。そしてその上で、食料や電気、水を大切に使う。義援金を送る。これに尽きるかなと思います。


今の仕事が終わって、給油が思うようになったら、娘が幼稚園に行っている間だけでも、後方支援のボランティアに参加したいと考えています。
返信する
とにかく (アキコ)
2011-03-21 20:33:38
やきものさん、ご無事で何より。
うちの田舎は福島と栃木、親戚の
一部は茨城、と皆今回大きな被害を
受けている地域ですが無事は確認できました。

また浦安に住む方は自宅駐車場の
車が液状化で埋まってしまったり
色々な話を聞いています。

停電などでこれまた
困難な場面に遭遇している方々も
いらっしゃいます。

私ができることってなんだろう?
ささやかな義援金は勿論ですが
とにかく節電かな、と思っています。

落ち着くまではもう少しかかるかも
しれませんが、どうぞお体に
気をつけながら頑張って!!
返信する
お気遣いありがとうございます。 (やきもの)
2011-03-20 17:08:51
栃木は震度6強にの揺れでした。

その時私は税務署で接客中でした。数日前にもそこそこ大きな地震が地震があったため「じきやむだろう」とPCの入力の手を止めて様子を見ていると、あとからあとから大きな揺れがやってきました。壁にかかった時計が外れ、会場の電気が消えました。職員が「外に出ましょう。この建物は古いから、急いで!」と言ったので、みんなで外に逃げました。お客さんの誰かが、カーラジオを点けてくれて、東北が震源で震度7、津波の心配があることを知りました。

大きな余震が続く中、ポケットに入れていた携帯電話から、夫や義実家、娘の幼稚園などに電話を入れてみましたがどこにもかかりませんでした。

待機が解除になってから、自動車を取りに行きました。街は停電のため信号が止まり、瓦やガラスが散乱していました。余震が続いていましたが、商店主さんたちが必死でかたづけていました。県特産の大谷石を使った塀や石蔵は崩れ、土蔵の壁は剥がれ落ちていました。中が見えるほどに崩れてしまっている建物もありました。

家の中も気になりましたが、余震が大きかったので、一人で入るのはやめて、まずは娘を幼稚園に迎えに行きました。先生たちが暗い中で保育室の前に自動車を用意して、いつでも逃げられるような体制で、娘を守っていてくれました。途中、夫とも電話が通じ、無事が確認できたので、その足で義実家に行きました。義父母とも無事でしたが、やはり石蔵が損壊していました。

そのあと自分の部屋に帰ったころには日が暮れていて、玄関もものでいっぱいでした。懐中電灯で照らしながら部屋に入るとめちゃくちゃで、断水していることがわかりました。相変わらず大きな余震がありましたので、この状態で部屋で寝るのは危険だと判断し、毛布とダウンジャケットを持って、車中泊を覚悟しました。途中、夫の知り合いと連絡が取れたので、その方の家に寄せていただくことになりましたが…

土曜日、義実家の石蔵の瓦の片づけをしていると、隣の家の大工さんが、ブルーシートをかけに来てくれました。周りの家でも、あちこちブルーシートがかかっていましたが、築38年の母屋は奇跡的に無事でした。電気は午後2時ころに来ました。

義実家については、それ以上のことはすぐにできそうにないことがわかり、日曜日は自分の部屋に帰ることにしました。義実家は土曜日の夜には水が来ていましたが、自分の住まいには水道局から送水されていても水は来ておらず、義実家から20リットルのポリタンクを借りて、給水所で水を分けてもらいました。月曜日の夕方には水が来ましたがひどく濁っており、木曜日くらいまで給水所に通いました。

私の部屋は、幸いガラスは割れてはいませんでしたが、なぜか窓が開いている場所がありました。食器は割れていませんでしたし、壊れた家具や電化製品もありませんでしたが、冷蔵庫の扉があき、引き出しや扉がすべて開いて、中身が飛び出していました。散らばったものをすべて集めて元のところに戻し、こぼれたものをふき取り、どうにか住めるようになりました。月曜日から何とか仕事に行くことができ、現在に至っています。

わりと買い置きをする傾向のある私は、つい最近までスーパーに行かずに過ごすことができました。確かにカップめんやレトルト食品の棚は空いていましたが、卵や牛乳などはぼちぼちあり、買い物客の様子を見ても、ほとんどの人が自分がいま必要なものをごく少量買い求めているという印象です。一部に残念な人がいることも事実ですが…

こちらは車社会なので、ガソリンスタンドが長蛇の列です。私の車も、いつガス欠になるか、という不安を抱えています。最近では、屋根の修繕詐欺や、ガソリンの抜き取りなどという残念な出来事も起こっているようです。

笠間や益子では、春の陶器市に向けて、作家さんたちがちょうど作品の製作に取りかからなけらばならない時期なのですが、今回の地震で割れるなどの被害も相当あったようです。

栃木も茨城も、大きな被害をこうむってはいるのですが、東北がさらに大きな被害を受けているため、なかなか全国版のニュースで取り上げられることがありません。地方局がライフラインや生活情報を伝えてくれるので助かっています。

東京も、都市部特有の大変さがあったようですね。ご家族は帰宅困難な状況には陥りませんでしたか?

長くなりましたが、近況報告させていただきました。





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