叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

 すべて無料です、気軽に読んでください。

「目覚める人・日蓮の弟子たち」 三十五

2010年08月16日 | 小説「目覚める人」

 法華経利行者 九

「それが父上、異なことがありました。」

「異なこととは。」

「はい、私たちが駆けつけた時には、もう火の手が廻って屋根まで燃
えていましたので、寺の者はみな外に逃げて中にはいないだろうと思
ったのですが。」

「うむ、誰かいたのか。」

小源太は体を乗り出すようにして訊いた。

「はい、ちょうど私たちが寺の正門を通って境内に入ったときでし
た。もう境内は熱くて、とても立っていられないぐらいでしたが、燃
えている庫裏の方から、女が飛び出して庭に駆け下りたのです。
寝間着を身に着けただけで帯もしておらず裸同然で私たちの方に逃げ
て来たのです。」

「ほう、それで。」

「突然のことで驚きましたが、倒れた女を助け起こして看病させまし
た。ところがその直後、今にも崩れ落ちそうになった庫裏の中から僧
侶が一人よろめきながら、廊下に出てきたのです。
着物に火が付いて燃えていましたので、まるで火だるまのようでし
た。」

「うむ、僧が、」

「父上から僧侶にはかまうな、と申し付けられていましたし、とても
近寄れる状況ではなかったので、私どもが見ていますと、僧侶が庭に
飛び降りようとする直前に天井が焼け落ち、辺りが火の海になって姿
が見えなくなりました。」

「うーむ、おそらく女を連れ込んで酒でも喰らい寝入っていたのだろ
う。自業自得の仕業だ。それでその女はどうした。」

続く   暑中見舞い申しあげます。

    


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 三十四

2010年08月11日 | 小説「目覚める人」

 法華経の行者 八  

 小源太は、変事が起こるのは軍の気が乱れているからだ、との兵書
から聖職者と言われている僧侶の風紀の乱れをそれとなく憂いていた
が、これほどまでに堕落していようとは思っていなかった。
僧侶にはかまうな、と義昭に言ったのはそのような事があったからだ
った。

 次の日の朝、小源太は三郎夫妻と朝食をともにし、帰宅する二人を
玄関まで送った。居間に戻るとちょうど義昭が来た。

「父上、昨夜は火事場から大仏坂の持ち場に廻って、家中の者の無事
を確認して参りました。遅くなりましたのでご報告ができませんでし
た。」

「ご苦労だった。それはよくお気付きだったな。警固の者たちは変わ
りなかったか。」

「はい、一同元気で持ち場を固めていましたのでご安心ください。」

 幕府は山を切り開いて、鎌倉に通じる道路を作り、北条一門や有力
御家人を、この切通しの警固に当たらせていた。
前方の海から攻めてこない限り、切通しを通らずに鎌倉の町の中に軍
を進めることは不可能だった。軍都鎌倉は要塞のように警固に守られ
ていて、義昭の軍は大仏坂の警固を受け持っていたのだ。

「それで、火事のほうはどうじゃった。」

「はい、火元は寿光寺で庫裏の一部を除いて全焼しましたが、風もな
かったのでまわりの民家への類焼は少なくてすみました。」

「ほう、それは良かったの、火元の寺のほうは変わったことはなかっ
たか。」

 続く  


「目覚める人・日蓮の弟子たち」 三十三

2010年08月09日 | 小説「目覚める人」

 法華経の行者 七   

「父上、私はこれから火事場に向かいます。」

と義昭が言うと、横にいた雅子が、

「そなたは、酒も入っているし落馬でもしたらどうするのですか。弟
の時孝も行っているし、そなたは宜しいではありませぬか。」

「でも、母上。」

義昭が何か言おうとしたとき、すかさず小源太が、

「指揮官が現場にいるといないでは大いに士気にかかる。火事とて戦
と同じ事じゃ。
義昭、気をつけて参れ。焼け出された者のために、非
常食の用意も忘れるな。
それから民人を助けるのが第一じゃ。僧侶にはかまうでないぞ。」

 義昭は、三郎に一礼すると駆け出して行った。

「さあさあ、三郎どのもかねどのも外は寒い、中に入られよ。あの方
角ではお宅とは反対で、その上随分距離も離れている。幕府や政所と
も方角が違うゆえ、ご安心されよ。」

 小源太は二人を促しながら自分から部屋の中に戻った。

この頃鎌倉では、神社や寺の火災が相次いで起きていた。何者かが放
火しているのではと、巷で噂されるほど頻繁に起こっていたのだ。
さらに人々の噂になったのは、円城寺が焼けたときだった。女人がい
ないはずの寺の焼け跡に、僧にまじって女の焼死体が二つもあったの
だ。
しかもその内の一人は、身ごもっていて大きな腹をしていた。

 というのが話しに尾ひれが付いて、寺の住職の隠し妻だとか、夜な
夜な遊女を裏門から引き入れていたとか、口さがない鎌倉っ子の話題
をさらっていたのだ。

続く  

    


人間賛歌 所感(信仰)

2010年08月06日 | 所感
 どこまで自分を変えられるか *

 信仰は自分を変えるため、即ち人間革命するためにやるのだ。
ということは学会指導を通して学び、自分でもそう考えてきました。
ところが最近痛切に感じていることは、自分をどこまで変えられるか
ということです。

 年齢と持病のために学会活動が思うように出来なくなり、せめてウ
ェブの世界で広宣流布をしようと思い、始めたのがブログ「叙事詩・
人間賛歌」でした。

 初めの一年間に投稿した記事をカテゴリー別、日付順に整理編集し
て九月中に製本しようと準備しています。
非売品ですが家族えの記念と、広布の役に立てればと願っています。
いずれは五年間で投稿した記事すべてを本にして残したい夢を持って
います。

 若いとき折伏が大好きで、走りまわっていたころのことを思うと、
机に座ってバソコンを打っていていいのだろうか、という思いがしな
いでもありません。
しかし、考えてみれば病身の私が日本中の人に向かって、日蓮大聖人
の仏法とSGIの正義を思う存分発信できることは、大功徳ではないか
と思うようになりました。

 主題に戻りますが、自分が変わった分だけ環境も広がり、良くなる
事も実感しています。
いつか良くなるのではなく広布えの一念が決まったとき、イッキに良
くなるから不思議です。

 自分を変えるには、、
題目をあげることと、困っている人を救う広布の戦いに徹することだ
と分かりました。
それも人に言われてやるのではなく、自分の得意の場で、自分の能力
を最大に発揮して戦うことほど楽しいことはありません。
諸天も喜び勇んではせ参じ、護りに護ることは疑いありません。。

 猛暑が続くそうですから、みなさん健康第一に過ごされますようお
祈りします。

 以上  

人間賛歌 「新・仏教教室」百三十

2010年08月04日 | 新・仏教教室

 眷属妙(ケンゾクミョウ)について 続き

 私、
「念仏宗の家に生まれただけで、謗法の罪を受けるのは納得できない
というのが、山本さんの疑問でしたね。

 仏教には眷属妙という考えかたがあります。
一般に眷属といいますと身内とか、血筋とかのことですが、仏教では
同じ生命の境涯の人が、同じところに集まるという意味を表現する言
葉です。

妙というのは考えても分からないが、厳として存在し、否定すること
が出来ないことを妙といいます。
山本さんが念仏信仰をしていないと言っても、念仏宗の家に生まれた
ことは事実ですね。
それは念仏宗の信者と同じ境涯である、ということを否定できないと
いうことです。

 珍しいことを言い表すのに「トンビがタカを産んだ」といいます
が、実際にはそんなことはありません。
トンビの子はトンビですし、カラスの子はカラスです。これが自然の
掟というものです。

ですから山本さんが堕地獄の因を宿した命であることは、外から見え
なくても、自分の命に念仏の因があることは否定できません。
今はなにもなくても、念仏の因がなにかの縁で出ないとはいえないの
です。
いまのうちにその因を断ち切って、幸せになる仏の種子を心に植える
ことが最も大事になります。」

 山本さん、
「南無妙法蓮華経ととなえますと念仏の罪が消えるのですか。」

 私、
「山本さんの命にたまっている念仏の罪障は消せます。
だが題目を唱えた瞬間にパッと消えていくのではありません。生命に
は善悪の業を貯蔵する第八識(アラヤ識)がありまして、これは想像す
ることも出来ませんが、八識にたまった宿業が少しずつ出てきて消滅
していくのです。

 これを宿命転換といいます。。
自分は悪い事をしていないから、宿業など無いという人もいますが、
自分が知らないだけで、だれの命にも過去世の宿業が刻印されて残っ
ています。
 日蓮大聖人は、
「浅き罪ならば我より許して功徳を得さすべし、
 重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし」1308頁
と仰せです。
 そして一生のあいだには宿命転換して、仏界を現すことは絶対に間
違いないと約束されています。

山本さんにどんな宿業があるか分かりませんが、末法の仏である日蓮
大聖人が確約されていることですから心配いりません。安心して信心
に励んでください。」

 山本さん、
「先生、有難うございました。ガンバリます!」

   この稿おわり   

  


「目覚める人・日蓮の弟子たち」三十二

2010年08月03日 | 小説「目覚める人」

  法華経の行者 六  

 「はい、私は今はこの通り元気ですが、以前は病気がちで寝込む日が多く、つい
弥陀の救いを求めて念仏を唱えていました。
それが下総の伯母にすすめられて上人さまの説法をお聞きしたのをきつかけに、
念仏をやめ今は毎日題目を唱えております。」

 「ほう、それで念仏のかわりに題目を唱えられて、なにか違ったことがおありか
な。」

 「はい、題目を唱えるようになりましてから、それまで病気がちで心配性だった
のが、病気もしなくなりくよくよ取り越し苦労をすることがなくなりました。」

   「くよくよしなくなるとは。」

 「はい、くよくよ考えるより、自分がしなければならない事を毎日全力でするように
なりました。私がするべき事は、主人や子供が毎日元気でお勤めできるよう精一杯
心を配ることですが、そう心がけている内にいつの間にか病気がちだったのが治っ
ていました。主人は私が近頃随分明るくなったと言っております。」

かねがそう言った時だった。
館内の静寂を破って、何者かが廊下を走って来る音が聞こえた。耳を澄ますと本家
の方角から馬の駆ける足音が乱れて聞こえてきた。

  <何事か起きたか>

義昭がつと立ち上がった。その時廊下の仕切戸を開けて弥太郎が入ってきた。
 床に片手をついて礼をすると、

 「との、西の方で火事が起こりました。方角が大仏坂の方なので時孝さまが今、馬
で向かわれました。とのや義昭さまのお耳にいれるようにとのお申し付けでした。」

弥太郎は廊下に出ると西の方角を手で指した。

  「なに、火事とな。」

小源太が言う前に義昭は廊下に出て、西の空を見上げていた。小源太と三郎夫妻
も続いた。皓々とした冬の月明かりの中で、西の空に真っ赤に上がっている大きな
炎が見えた。杉の皮でもはじけているのか、時々赤い火の粉が炎の中に飛び散って
いるのが手に取るように分かる。

 「これはだいぶん大きいようだ。あの方角には寿光寺があるが、何か大きな建物
が燃えているみたいだな。」

 小源太は独り言のように言った。

つづく


人間賛歌 所感(社会)

2010年08月01日 | 所感

 環境と人間の関係について *

 イギリスのエリザベス女王がアメリカを訪問し、何十年ぶりかのス
ピーチを公式会場で行われた、とテレビが報道していました。  

女王のスピーチの内容は、、
一、世界中で起きているテロ行為をなくすること。
二、地球規模で起きている天候異変をなんとかすべきである。
 の二点であったそうです。

大きな戦争は起きていませんが、世界中でテロによる犠牲者が続出し
ています。おおくの場合紛争とは関係ない一般市民が巻き添えになっ
ています。
テロが起きる原因を突き止め、それを一つ一つなくしていく努力を根
気よく続けていくことが必要であると思います。

 仏教では人間の心に刺さった一本の矢(差異にこだわり争いあう心)
を抜け、と教えています。

 一方、地球規模で起きている天候異変は、地球温暖化対策や、、
二酸化タンソを出さない燃料の開発など、あらゆる部問で真剣に取り
組んでいます。
だが天候異変は益々たけだけしくなって、人間の生存を脅かすように
なりました。

 私の敬愛する日蓮大聖人は、
心の善悪によりて国土世間(環境のこと)も決まる。と述べています
し、中国の法華経の正師天台大師は、国土にも十界(地獄界から仏界
までの境涯)の差異があるととなえました。

もともと仏教は依報(えほう・環境のこと)と正報(せいほう・人間の
こと)は不二(二つあるように思うが実体は一つで切り離せないこと)
であり、環境を変えるには、人間を変える必要があると教えていま
す。

人間を変えるとは人間の心にある十界のなかの仏界を現せば、環境も
仏界になります。環境が仏界になれば、災害に侵されることもなく、
平和でみなが楽しく暮らせる仏国土になると教えています。

 エリザベス女王の悩みであるテロや天候異変は、人類の行き詰まり
を示しているようにみえますが、、
SGIが進めている、人間の心を仏界に変える日蓮仏教が地球的規模で
広まる大瑞相であると思います。みなさん、いかがでせうか。