叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 小我(苦悩)から大我(歓喜)へ 八

2010年08月25日 | 小我(苦悩)から大我(歓喜)へ
 自浮自影の鏡(法華経のこと) *

 日蓮大聖人は法華経を鏡にたとえて、次のように述べられていま
す。

「法華経は人の影を浮かぶるのみならず、心をも浮かべ給えり。
心を浮かぶるのみならず、先業をも未来をもかんがみ給う事くもりなし」
 神国王御書 1521ページ

 鏡が無ければ自分の顔を見ることができません。
鏡を見て、自分の顔が汚れていないか、苦痛でゆがんでいないか、喜
んでいるか、などをを知ることができます。

仏教の因果の法を知っていれば、自分の心を磨いて汚れた顔や、苦痛
でゆがんだ顔を根本から治すことが出来ます。
喜んでいる顔であれば、さらに心を磨いていっそう強く壊れない幸福
境涯になるよう励むカテになるでしょう。

 ただし、
これは鏡の表に向かっている場合で・・
鏡に写った像が見えますが、鏡の裏に向かっていては何も写りませ
ん。真っ黒でそこに写っていると思うのは錯覚(先入観念)で、自分の
心か生み出した幻のようなものです。

自分の心の中にある、貪る心、怒り苦しむ心、真実を知らない愚かな
心、慢心する心、疑う心、
客観的にみて誤っているのに自分の誤りを認めない心、
自分の心の中に歓喜する仏界の心があることを信じず、仏界があるこ
とを信じている人をバカにしたり、誹謗してその人を嫌悪する心。

以上の消極的な心が感じるもろもろの悩み、苦しみが鏡に写っている
ように思うのです。
鏡の裏を見ているのですから、本当は何も写っていません。だが自分
の心が生み出した幻想であることに気がつきません。
この状態が小我にこだわる人の特徴で、十界の中の九界の境涯の人で
す。

それに対して仏は鏡の表に向かっています。

鏡の表には森羅万象がことごとく写っていて、もれるものはありませ
ん。鏡は小さいので万象を浮かべるのはムリだと思うでしょうが、
向きを変えたり、望遠技術を使えば、宇宙のかなたにある星でも写し
だします。

鏡は仏の智慧が広大無辺であることをたとえたもので、全宇宙や、過
去、現在、未来に生じる出来事を正確に知見します。
万象を起こす法則があって、それを知り尽くした仏の智慧は、三世を
見通して狂いがないのです。

鏡の表に向かう人を仏といい、大我の人ともいいます。

続く