叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 生命の境涯 十一

2006年10月08日 | 生命の境涯
  幸島のサル物語 続き

「イモを洗って食べるとオイシイ」
このうわさはたちまち島中に伝わって、この島のサルで、
知らないものはなくなった。

やがて島のほとんどのサルが、
イモを洗って食べだしたのである。

ところがオスのボスザルだけは、ガンコに昔からのやりかたに、
こだわっていた。

「近頃、若いモンのあいだでヘンなことがハヤっているようだが、
 ワシはやらないぞ」
と、がんばっていたのだ。

ところが何日もたたないうちに、イモを洗わずに食べるのは、
自分だけだと気づき、このボスザルもとうとう洗って食べだしたのだ。
このボスザルが、イモを洗って食べだした島のサルの百一匹目に、
当たったので、百一匹目のサルとして学者のあいだで知られている。


幸島のサルがイモを洗って食べだしてから、
ほどなく不思議なことが起きた。

海をへだてた大分県の高崎山のサルが、
イモを洗って食べだしたのだ。

さらに不思議が続いた、イモを洗って食べる食習慣が、
遠く離れた本州のサルにも広がっていったのである。
人間と違ってサルには、情報を伝えるテレビや電話がないのに、
どうして情報が伝わったか、ナゾになっている。


学者たちが種々研究したが分からず、
「テレパシーの一種ではないか」
と言って、お茶をにごしているようである。


ところで仏教は時の大事さを教えている。時といっても日常使う、
一時とか十時という時間のことではない。

物事の始まる潮時とでもいう時点のことだ。
たとえば、鳥のヒナがタマゴのカラを破って誕生するとき、
内からヒナがカラをツツクと同時に、親鳥が外からツツいて、
固いカラが破れるのだが、
時計で計ることのできない、不思議な時点のことをいうのだ。

法華経は宇宙自体が慈悲の心だ、と教える。
慈悲の心は生命に元々ある善(幸福になる因)と、
悪(不幸になる因)のうち、悪をなくし善を育てる働きをし、
常により優れたものを目指して進化している。

まるで宇宙は、人間を生かすために存在しているようだ。
と宇宙人間主義を主張する天文学者もいるほどだ。


私の推測だが、サルに進化する潮時がきていた。
と言えるのではないだろうか、

幸島ノサルも、本州ノサルも生命にかわりないから、
同じ時点で進化の時をむかえた、
と言ってもリクツが合わないワケではない。

事実、人間の運命に影響を与えるような、大きな発見や、
新しい思想の出現は、ある地点で現れると地球上の、
他の複数の場所でも同じようなことが起きる、

これはよく知られている事実なのだ。  おわり







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