叙事詩 人間賛歌

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人間賛歌 生命の境涯 十二

2006年10月14日 | 生命の境涯
  戦争ッ子

 戦争の時のことを思い出すのは、つらいものである。
ものごころついた頃から、敗戦まで戦争の中で子供時代を送った
モノにとっては、ひとしおだ。
だが空爆を何回も経験し、原子爆弾が落ちた広島の隣の県にいた、
私にはそのときのことを言い伝える義務があるような気がして、
この記事を書いた。
戦争ッ子というのは、戦時中に子供時代を送った子の意味である。


 昭和二十年、私が小学校五年のころわが家は、岡山市近郊の
農村にあった。
太平洋戦争の末期で、米軍機による空爆が日常化し、敵機が近
づくと、警戒警報のサイレンが鳴った。

警報が鳴って避難しても、敵機がそれて警報がはづれることが、
よくあった。
それを口実に、私はサイレンを無視し、遊びにいったりして、
防空濠にはいるのを嫌がった。

このじぶん父親はすでに亡くなっていたので、
母親と子供四人でくらしていた。私は母親のいいつけに、
あまり従わない子供だったようだ。


 それが八月六日を過ぎたころから、
母親の態度が厳しくなった。

「お隣の広島に、新型の爆弾が落ちてのう、
 ぎょうさん「たくさん」の人が、死んだそうじゃ、
 どうやら広島の町は、燃えて全滅したらしい。

 ピカドンという、恐ろしい爆弾だそうでナ、
 ピカツと光ったのに当たると、
 おとなも子供も、みんな殺されるんぢゃけん、

 これからは、サイレンが鳴ったら、
 ゼッタイ外に出てはいけんぞ、分かったか。」

と言われた。

おとなも子供も、ピカッと光ったのに当たるとみんな死ぬ、
と聞いて、とても恐ろしかった、
それからは、母親の言いつけを守ったように記憶している。
 つづく




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