かったかくんのホームページ

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かったかくん野球用語解説

2008年05月11日 | Weblog
 今日は、一般県体の中津市予選会がありました。軟式野球に出ました。結果は、負けました。最近は、中津になってから、県体に出たことがありません。予選会で負けてしまいます。今日は、途中から、サードで出ました。一回ボールが来ただけで終わりました。

 最近、野球から離れて、感じることがあります。それは、野球の言葉です。いつか語源を調べてみたいなという気がします。野球においてサッカーと違って、残虐的な言葉が多いのです。
 ちょっと例をあげましょう。

 「お前は死んでもいいから、しっかりとバントをしろ。お前は、死んでいいんじゃ。」

<おまえは、死んでいい???うん、何気なく使っている・・・>
以前野球を教えていたとき、野球のことをあまり知らないお家の方が、「○○、お前は、死んでいいんじゃ。」このことをびっくりしていました。


 「バックホームしてランナーを刺せ。」
<刺せ・・・よく使う言葉だなあ。>
「ランナー一塁だから、セカンドでランナーを殺せ。」


<気をつけて言葉を聞いていると、野球には、こんな言葉が多いのに気づくでしょう。でもふだんから使っている言葉なのです。そして、それが、あたりまえになっています。外来語だったら、セカンドでランナーをアウトにしなさい。と言えるのですが、日本語になると、「刺しなさい。殺しなさい。封殺しなさい。」となるのですよね。>


 他にもあります。
「隙があったら、2塁を盗め。」
<盗め・・・?盗塁これも塁を盗めですよね。>

「バッターは、かったかくんです。ピッチャー投げました。頭にあたりました。死球です。次のバッターは、バントです。バッターは死んで確実に二塁にかったかくんを送りました。かったかくん、三塁に誰もいないので、三塁を盗みました。相手の野手は、かったかくんを殺すことができませんでした。スクイズです。あっ、バッター空振り。挟殺プレーです。かったかくんは、タッチプレーで殺されました。ついにかったかくんは、ホームに帰ることなく死にました。」


 野球をまったく知らない人が聞いたら、本当にびっくりするでしょうね。いろいろありますね。三重殺(トリプルプレー)捕殺、暴投(あばれて投げる?)数え切れません。よくわからないのですが、遊撃手、巨人軍などの言葉から考えると、きっと、ベーブルースなどの戦争時代とどこか関わりがあるのかもしれませんね。

夏を迎えるために

2008年05月11日 | Weblog
【部屋の模様替え】 
「そろそろこたつも直さんとね。」
と思っていながら、どんどん時間がたっていました。そのうちに夏を感じさせるかの如く気温が30度を超える時もありました。

 昨日は、やっとの思いでついにこたつを撤去しました。どうしたかというと、今日家に帰るので、車にどんどん積み込んでいきました。というのは、部屋は一部屋しかしないので、車に入れないと片付けても置くところがありません。

しかし、こたつの台は、必要なのでこたつ布団の整理しました。この冬重宝したストーブもいらなくなったので、これも車に。冬服のジャンバーなどは、明日帰るときに車に積み込みましょう。友だちに言うと、「明日から、ちょっとだけ寒くなるよ。」という言葉。あたり。今日は、北海道で雪が降っているそうです。でももう手遅れ。そのときはそのときでなんとかなるかな。

一年間たつと、いらないものもアパートに持ってきているので、減らさないといけません。狭い部屋にいろんなものが散在しています。

 こたつ敷きをのけるとほこりもたくさん。掃除機で吸い取りました。いらないものを出していたら、部屋がごちゃごちゃになり、悪戦苦闘をしました。ちょっとは、部屋もすっきりしました。でも夜遅くまでなったので、疲れがどっとでました・・・。

 これでいつ夏がきてもいい状況になりました。ホッと一安心。

【学校の制服】
学校では、生徒たちは校舎建て替えのためプレハブ校舎で生活をしています。日が照るときは、教室も暑くなります。今年になって30度を超えた中で学習をするときも多いです。

特に、午後からの日差しは、厳しいものがあります。壁に取り付けられている扇風機がフル稼働です。教室の壁に扇風機がついているのはかったかくんにとっても初めての経験です。つい、先日までは、マイナスの世界でしたが、わずか一ヶ月ちょっとでこんな気候になるんですね。

 そこで、すでに夏服を着て登校をしている生徒もいます。また、今年に限って、3時間目以降の夏の体操服を着用しての授業参加でもOKです。半袖と半ズボンで暑さをしのぎます。それくらい暑いのです。授業の服も冬から夏へとチェンジしています。

 プレハブ教室では暑いだけに「暑い」という言葉は厳禁ですね。

長崎への旅行~GWに~

2008年05月08日 | Weblog
 連れ合いの父母とかったかくんの家族で、ゴールデンウィークに一泊二日の長崎旅行に行きました。

 父も昨年末から今年の初めにかけて手術、入院をしていたので、この旅行を楽しみにしていたようです。車も7人乗りというもののこれまたせまかったのですが、賑やかに話をしながら、長崎に向かいました。天気もすばらしく、ドライブには絶好でした。耶馬溪の家からは、2時間30分くらいで着きました。ゴールデンウィークなので、車が混んでいるのではと心配をしましたが、順調よく流れていきました。


 次男たちが用意周到で何から何までいろいろ旅程などを決めてくれていました。長崎は、何度か行っているので、ふだん行かないところにも連れて行ってもらいました。海がきれいなところに作られている遠藤周作記念館、トルコライスのレストランでの昼食・・・珍しいものばかりでした。如己堂、浦上天主堂も訪れました。夜は、「吉宗」(よっそう)という料理店ででっかい茶碗蒸しなど食べました。
次の日は、平和祈念像と資料館に行きました。昨日の浦上天主堂、如己堂も同じですが、原爆投下という悲惨な出来事の醜さを改めて感じました。長崎には、悲喜こもごもの顔があります。
 
 母が、「歴史は重たいね。」と言うのを納得して聞いていました。
何かと忙しい中で、なかなか親孝行をすることもなく、父母と接する時間も少なくなってきて、思い切って旅行に行き、共通の思い出ができたことが嬉しく感じます。連れ合いの父母と食事は時々行くのですが、旅行に一緒に行くのは、初めてでした。父母は孫たちと一緒に過ごせたこともあって、喜んでくれました。

「今度は、平戸などに行きたいね。」

という話をしていました。

 一泊二日というあわただしい日程でしたが、旅行ができるくらいに父が元気になって安心をしました。平戸へも実現できるように計画を立てていきたいです。両親には、いつまでも元気でいて欲しいと願いました。また準備をしてくれた子どもたちにも感謝をしています。

PTA総会がありました

2008年05月07日 | Weblog
五馬中学校のPTA総会が4月27日(日曜日)に実施されました。PTA総会となると、議案書を作成しなければなりません。

 PTA総会までの流れです。議案書の作成をする前に、PTA会長などの役員を決めます。地区役員の決定なども同時に進行させます。ここがまず第一の山場です。しかし、五馬中学校では、本当に保護者の方々がみんなが協力的でスムーズに決定をしました。

 次に、議案書でかなりのエネルギーが費やされます。
まず、昨年度の会務報告のまとめです。なにかあるたびに、パソコンに打ち込んでいます。これを一年間分をまとめてしようものなら、どのくらい時間がかかるかわかりません。その都度その都度こまめにデータを打ち込んでおく必要があります。
名簿の作成。地区ごとの人数と氏名などをまとめておかなければなりません。連絡網などの作成をします。ふつうの連絡網と、災害時(土砂災害などで交通が遮断をされたときなど)の徒歩連絡網の2つがあります。調べたりします。


 一番苦手なのが、会計です。これもこまめにふだんから整理しておく必要があります。郵便局に行ってもらう連絡員さんとも連携を密にしておかなければなりません。お金の出し入れの名目を通帳に記入しておいてもらいます。領収書の整理もしておきます。会計監査にかけて終了です。

 議案書ができてから、新旧の役員会に議案書をかけます。次に、拡大役員会にも提示して、総会へと入ります。この過程でいろんなミスや修正する点も出てきて、直していきました。

 今後、だんだん会員の数も減ってくるので、これから役員を決めていくのも、規約改正が必要になってくるのかも知れません。

 総会当日、提案をしたり、あわただしい一日でしたが、なんとかPTA総会が終わりました。ホッと一息。昨年度は、五馬中学校一年目で役員さんたちに助けられました。一緒にやってきた役員さんたちの任務が終わりました。感謝の言葉を言いましたが、それだけでは、足りないほどお世話になりました。寂しくも感じましたが、また新しい役員さんと連携ととりながら、2008年度も五馬中学校の生徒のために、PTA活動の充実を図っていきたいですね。

 この日は、午前中、参観授業。みんなで昼食のパンを食べた後、総会、部活保護者会、学年PTAと続きました。

 2008年度のPTA活動のスタートです。

みんなに支えられて

2008年05月02日 | Weblog
「先生、今日先生の家に行っていいですか。」

と教えた生徒のなつかしのやっくんから。

「6時なら、家に帰っていると思うので、おいで。」

 ちょうど大分から帰っている途中でした。それから時間がたち、どうも6時に間に合いそうにありません。やばい。電話をしました。でない・・・・。5分くらい遅れて家に着きました。やっくんが来ていました。自分の車の中で待っていてくれました。なんとなく車に乗っていると、学生時代とは雰囲気が違って、大人びて見えます。やっくんは、野球部で同じ学年の担当でした。3年間、ともにグランドで汗を流しました。

 中学校時代、やっくんは、消防署に職場体験に行きました。将来消防士になりたいということでした。職場体験は、学年で話し合い、生徒が就きたい職業の職場をみんなで探して体験を積んでいくというようなシステムをとりました。受け入れ先を探すには、苦労をしたけれども、一人ひとりにあった職場なので、生徒たちの意欲はバリバリでした。

 だから、当時の生徒が就職をした中で、50%以上の生徒は、職場は違うけれども、体験をした職業についています。やっくんもしかりです。高校を卒業してから半年間、公務員の専門学校に一時間以上かけながら、通いました。きついことも多かったと思います。野球のOB戦に来たときも、試験のことが気になっているのでしょう。そんな雰囲気が漂っていました。しかし、試験に見事に合格。今年からついに念願の消防士になりました。今、消防学校で研修を受けています。やっくんが、


「先生、初給料をもらったので、ネクタイを買ってきました。」 


感激の言葉でした。


「本当は、ピンクにしようと思ったけれど、教頭先生なんで、やめて、紺にしました。でも柄は、かわいいやろ。」

 とってもうれしい再会でした。やっくんの御洒落な気持ちが、幸せな気持ちにさせてくれました。本当にありがとう。

 団塊の世代の人たちがやめていく中で、やっくんたちが早く、重要な戦力になることを求められています。鍛えられていることでしょう。優しさの中にもさらに頼もしくなっている様子がうかがえました。


 やっくんが帰ってから、今度は、大工になっているいっくんが来ました。いっくんは西谷小学校時代、教えた生徒です。
五馬中学校の踏み板が割れたので、長さ、幅、厚さをいっくんに電話をして、割れた分の板を頼んでおきました。今日はそれを持ってきてくれました。

「先生、板を持ってきたで。」

いっくんも上がって、いろいろ話をしました。家族同然の付き合いをさせてもらっています。おばあちゃんが突然亡くなったのも初めて聞きました。お世話になっただけに驚きました。思い出は、「やまなし事件」です。

 当時、いっくんの家の山には、「やまなし」があるというので、クラスみんなで取りに行くことになりました。どうして「やまなし」かというと、国語の時間に、宮沢賢治の「やまなし」を勉強したからです。いっくんが、

「ぼくんうちにもやまなしがあるよ。」

早速行動が早い生徒たちと一緒に、現地に行くことになりました。いっくんの家に寄りました。おばちゃんが出てきて、

「気をつけて行って来なさいね。」

おばあちゃんの許可も出ました。レッツゴーで、いっくんの家の山に。
初めて見る「やまなし」。

「先生、木が高いので、棒で落としたらいいよ。」

と学校を出る前に、いっくんがそんなことを言うので、グローブを持っていきました。でっかい木でした。また「やまなし」も想像以上に大きいこと。
棒で叩き落しました。すっと落ちてくる「やまなし」をみんなでグローブでキャッチをしていきました。スリル満点でした。

 そのときです。同級生のあっくんが取り損なって、なんとでっかい「やまなし」が顔面に。よけたのですが、鼻をかすりました。

 ズル~~~鼻血が。痛みをこらえながら、鼻血をたらしたあっくんが笑っています。その姿がなんとなく滑稽で心配していたみんなも、爆笑を。このエピソードは、今もあのクラスのみんなの思い出となっています。


 おばあちゃんに収穫をした「やまなし」を見せました。「たくさんとれたね。」と驚いていました。優しいおばあちゃんでした。


 数年前に家をあたったときに、いっくんに頼みました。すごく丁寧に仕事をしてくれました。そのいっくんが割った生徒のために、頼んだ寸法どおりにきれいに板を作ってくれていました。今日、割った生徒と、ネジで板をとめました。


 いっくんのおかげで、割った生徒もいい勉強になったと思います。


 生徒、先生の関係から、今では、逆にみんなに支えられています。そのことに感謝をしています。ありがとうございます。