昨日、一昨日と上越教育大学教授の西川純先生から学ぶ機会を持たせてもらいました。
一昨日は、中津教師義塾で、西川先生をお招きしての講演会、昨日は、研究会です。まずは、講演会の話から紹介します。3回編(1回・・・講演会 2回・・・真坂小学校授業 3回・・・わたしのかつての実践)です。

グローバルな社会が加速していく中で、今、教育界行政は入試制度も含めて大学教育の改革に着手してきました。
「大学に行かないから、関係ない。」
と思う人もいるかと思いますが、大学教育、大学入試制度が変わるということは、高校の教育も変化してきます。高校教育が変わるのなら、中学校での教育のあり方も大きく変化してきます。
中学校~~小学校~~幼稚園、保育園と先端の変化で全部の教育が変わるということになります。

幸せな姿をイメージしながら、これからの時代どんなスタンスで生きていけばよいのかという、少々、重たい話となりました。
西川先生の言う、「ローカルなところに価値を求めていく」ことがこれからの時代は必要であるという結論付けをしました。右肩上がりの好景気の時代は終わりました。
少子化も含めて、これから時代の空気は、もっと冷たく、吸い込むと胸が痛くなることも増えるのかも知れません。
その時代でも幸せに生きていくための打開策として、わたしは、西川先生が言われることを、部分的にとらえて、
「つながり合える力」「伝え合える力」
がこれからの時代は大切なことであると感じました。

そのためのツールが『学び合い』、アクティブラーニングなのでしょう。過去のやり方に先生たちがしばられ、こだわったり、新しい時代を見据えないならば、確実に先生たちも追い込まれていってしまいます。
このことは、会議の中でも話します。子どもたちも、わたしたち教師も、そして、社会に生きる人たちがつながり合って生きる力が不可欠です。そして学んでいくのです。最近よくそういった場面に出くわします。
教員も「60歳になりました。定年です。おめでとう。」といったかつて最後まで勤め上げる時代から確実に変化してきています。
不易と流行のいいバランスをとりながら、学校での実践を展開していく必要があると自戒もしつつ痛感しています。
大きな時代の波にも揺らがない、自分のやり方、生き方を常に模索していきたいものです。
一昨日は、中津教師義塾で、西川先生をお招きしての講演会、昨日は、研究会です。まずは、講演会の話から紹介します。3回編(1回・・・講演会 2回・・・真坂小学校授業 3回・・・わたしのかつての実践)です。

グローバルな社会が加速していく中で、今、教育界行政は入試制度も含めて大学教育の改革に着手してきました。
「大学に行かないから、関係ない。」
と思う人もいるかと思いますが、大学教育、大学入試制度が変わるということは、高校の教育も変化してきます。高校教育が変わるのなら、中学校での教育のあり方も大きく変化してきます。
中学校~~小学校~~幼稚園、保育園と先端の変化で全部の教育が変わるということになります。

幸せな姿をイメージしながら、これからの時代どんなスタンスで生きていけばよいのかという、少々、重たい話となりました。
西川先生の言う、「ローカルなところに価値を求めていく」ことがこれからの時代は必要であるという結論付けをしました。右肩上がりの好景気の時代は終わりました。
少子化も含めて、これから時代の空気は、もっと冷たく、吸い込むと胸が痛くなることも増えるのかも知れません。
その時代でも幸せに生きていくための打開策として、わたしは、西川先生が言われることを、部分的にとらえて、
「つながり合える力」「伝え合える力」
がこれからの時代は大切なことであると感じました。

そのためのツールが『学び合い』、アクティブラーニングなのでしょう。過去のやり方に先生たちがしばられ、こだわったり、新しい時代を見据えないならば、確実に先生たちも追い込まれていってしまいます。
このことは、会議の中でも話します。子どもたちも、わたしたち教師も、そして、社会に生きる人たちがつながり合って生きる力が不可欠です。そして学んでいくのです。最近よくそういった場面に出くわします。
教員も「60歳になりました。定年です。おめでとう。」といったかつて最後まで勤め上げる時代から確実に変化してきています。
不易と流行のいいバランスをとりながら、学校での実践を展開していく必要があると自戒もしつつ痛感しています。
大きな時代の波にも揺らがない、自分のやり方、生き方を常に模索していきたいものです。