神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[17] 緑のすり鉢の底

2016-05-04 17:07:13 | ペルー

食事の後、バスは山越え。

岩肌の見える高山らしい景色の中をどんどん登って、道はいつの間にかアスファルトから踏み固まった赤土へ。

たどり着いたのはモライという場所。ここはインカ時代の農業試験場といわれている場所だ。

丘の上に巨大なすり鉢上の穴が開いていて、その内側に階段状の段々畑が作られている。現在は観光用にほとんど芝生になっているが、一番下の畑にはジャガイモっぽい作物が植わっている。

しかしまた、なんでこんなすり鉢状の畑を作ったのだろうか。一説には、気温や湿度が高度によって変わるので、どの地域でよく育つのかを確認できたということだけれど、本当か?

すり鉢の底を目指してハイキング気分で歩いていく。空は晴れて、緑が鮮やかで、遠くの雪山も綺麗に見える。ぶらぶら歩くにはもってこいの感じだ。

ここではちょっと前に地震があって、石垣が一部壊れているのだそうだ。確かに、木のつっかえ棒が見える。

段々畑の行き来には、石垣から飛び出ている階段を使う。マチュピチュでも見たやつだ。段差の広い3段は男性用。段差の狭い4段のものは女性用とのこと。これまたうそ臭いが本当だろうか。

ぐるーっと周りを回りこんで、すり鉢の底へ。そして、またすり鉢の縁まで登ってくると、あれ、隣にもまたすり鉢が。なんと、このすり鉢は古いすり鉢と新しいすり鉢がふたつ並んでいたのだ。

面白いのは、この山、実はほとんど岩が無いという。なんと、この巨大な丘は全部が赤土でできている。インカの人々は、そのためにこの丘に目をつけて巨大な農業試験場を作った。おかげで、石垣用の石は隣の山から運んでくることになったのだとか。

クスコの景色と、ひと山越えたオリャンタイタンボの辺りの景色が違うのはどうやらこの赤土のせいらしい。どこぞの火山が降らせた赤土が溜まった盆地と、その赤土も大河が洗い流してしまった渓谷ということだろうか。

それにしても、ちょっと(といっても小一時間だが)離れただけで景色を一変させてしまう自然の力も、それをうまく利用して文明を築いた古代の人たちも凄いものだな。

ここからまたバスにのってクスコへ。近道なのか、なぜか畑のど真ん中を通るあぜ道のような場所を通っていく。道に大きな穴やぬかるみがあるが、ゆっくりと乗り越えてゆく。

左右は小麦やジャガイモ畑で、まるでパッチワーク。そう、ここはインカの美瑛みたいだ。ところどころに木が生えていて、あれがケンとメリーの木とか言われてもわからない。なんだか懐かしくなってくる北海道出身。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[16] 幸せのおっさん

2016-05-04 16:39:15 | ペルー

オリャンタイタンボを出てバスは川沿いを走る。川と断崖絶壁に挟まれた狭い谷間だ。

途中で見かけたのはこれ。透明なカプセルが崖にぶら下がっていて、中はホテルになっているらしい。ちょっと見えただけなので、宿泊者がいるかどうかはわからなかった。

確かにこのあたりは崖だらけなのでクライミングにはいいのかもと思ったが、あまりに上級者向けなのか、奥地すぎるのか、壁にチャレンジしているクライマーを見ることはできなかった。

川沿いの道はインカの田舎町といった風情で、昔ながらの習慣を守っている。ところどころに赤い旗というか、ボロ切れを掲げた家があるが、これはチチャ(トウモロコシ酒)を作ったから、飲みに来てねというしるしなのだという。ただ、正式な作り方はトウモロコシを唾液で発酵させるなんて聞くと、ちょっと遠慮したい。

 

バスが到着したのはきれいな中庭のある建物。観光客用のレストランのようだ。

ここではなんと、エケコ人形の絵付けを体験できる。エケコというのはボリビアでも見たけれど、おっさんが金や家や車を抱いている人形で、欲しいものを伝えて祈ると願いを叶えて持ってきてくれる言われている。

なんでも、金曜日にタバコをささげて、お祈りをする。そして願いが叶うと、次の火曜日にお礼のタバコをすわせるのだという。願いが叶わなかったら、お礼のタバコは無し。なんだってよ。

ここでは、素焼きの人形に絵の具を塗って、オリジナルのエケコ人形を作ることができる。せっかくだから、赤黒の縦縞にしようかとも思ったのだけれど、失敗しそうなので普通に赤と黒で塗りわけ。なかなかうまくできました。

手をあらって昼食。実はエケコ人形にてこずってもう2時近く。お腹が減った。ここでのビールはクスケーニャの黒。濃厚で本格的なスタウトっぽかった。やっぱり、クスケーニャ最高。

ブュッフェでチキンにマスに、そしてリャマを少しずつ。しかし、リャマはコリアンダー(パクチー)まみれという痛恨のミス。ここまでペルーでは出会ってなかったから、油断してしまった。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[15] 崖の上の栄光

2016-05-04 12:15:11 | ペルー

ホテルから出発。マチュピチュ駅へ。インカレールに乗って、オリャンタイタンボまで戻る。今回は朝にマチュピチュを出発ということで、利用客が少ないのか、たった1両での運行。

またもやホセさんと同席だが、今回は偶然乗り合わせたツアー外の日本人グループへもガイドに忙しいホセさん。さすが、サービス精神が旺盛な人だ。

今回のドリンクサービスではインカ茶をいただく。コカとミントとユーカリ。なぜユーカリ。飲んだら、ミントが強くてほとんどミント茶。

列車は密林から疎林へ。ウルバンバ川が削りまくった崖下を走る。高低差が千メートルはあるんじゃないかというほどの頂上が、ほぼ真上に見える。

川沿いにはインカの遺跡が点在。なんと、それっぽいところを耕してた農夫も見たが、あれは古代の遺跡なのか、修復したものなのか。古代の畑をそのまま利用している人もいるというのだが。

車窓のすぐそばを遺跡っぽい石垣が通り過ぎることもあり、なかなか衝撃的。

 

やがて、見るからに高地の景色となり、オリャンタイタンボへ到着。

駅からすぐそばのオリャンタイタンボ遺跡へ。オリャンタイタンボはオリャンタイ将軍の場所。昔は宮殿のような砦があったそうだ。

遺跡はあれと指差されたのは、崖にへばりつくように階段状に組まれた石組み。なんとも凄いところに砦を作ったものだ。

この崖の階段を上る。マチュピチュに比べて高地なので、意識してゆっくり上る。風が強くて、帽子が飛ばされそう。

下の方は階段状の段々畑。その上のちょっと平らな場所に、宮殿なのか、神殿なのか、砦なのか、遺跡がある。なんでこんなところに畑や砦を作ったのだろう。

 

宮殿の遺跡は巨大な一枚岩を何枚も立てたもの。昔はこれが銀箔張りだったとか。太陽にピカピカ反射して、インカの権勢を示していたという。

実はこの遺跡は作り掛けで放棄されたものだそうだ。そのため、通路に巨大な石がそのまま放置されている。この石、数トンはありそうなのだが、下に橇もコロも置かれていない。いったいどうやって運んだのか、まったくの謎。

 

この遺跡で有名なのは、反対側の山に人の顔が見えること。しかも、白いひげがあって、スペイン人に見える。なんとかという皇帝が夢に見て作らせたとか言うのはただの伝説なんだろうけど、それにしても確かに顔に見える。しかも、良く見ると王冠みたいなものもかぶっている。偶然にしてはできすぎだろう。

その山にも遺跡っぽいものが見えるが、今でも食糧貯蔵庫として使われているものもあるとか。確かに、乾燥していて涼しそうだ。

 

段々畑には灌漑設備が作られていて、今でも年中水が絶えることはない。なんだか山のてっぺんまで遺跡があるのに、さらに上から水が流れてくるというのは不思議な感じ。下の方には今でも作物が植えられている畑もある。これも、昔の灌漑設備がそのまま使えるからなのだろう。

灌漑用の水路は遺跡の麓の水の神殿まで続き、今でも豊富に水を滴らせている。マチュピチュ遺跡でもそうだが、インカ人の灌漑技術はすばらしいものだったのだと感心する。

 

見下ろすと、駅の周りに街が見える。昔はあの辺まで全部インカの村だったとのこと。

なるほど。高地の崖に張り付いたような遺跡や、川沿いの遺跡も含め、なんでこんなところに遺跡があるんだろうという疑問は間違っていたのだ。こんなところにしか遺跡が残っていないのだ。

逆に言えば、こんなところまで有効利用するほど、人口が多く、発展していたと言うことなのだろう。

よく考えれば当たり前の話なのだが、目から鱗が落ちた瞬間だった。 

 

バスに乗る前にふと見ると、オリャンタイタンボの売店にはカラフルな民芸品に混じって、不思議な黒い石像が。あー、観光地によくあるやつですね。男性のシンボル的な。でも、ここでしか見なかったので、もしかしたらここの特産品なのかもよ。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[14] 電力復活

2016-05-04 10:46:07 | ペルー

マチュピチュ遺跡からバスに乗ってアグアスカリエンテスへ戻る。

その昔、バスに手を振って花を売りにくるバイバイボーイというのが話題になったが、今は最終便にだけ来るらしい。例の曲がりくねったバス道路を直線的に横切る階段を使って、何度も目の前に現れる少年だ。さすがに、一回登って降りたらおしまいと言うことなのだろうね。

昼食中に電気がついていたので、安心して帰ってきたのだが、ホテルはまだ停電のまま。またもや今日も闇の中か、と思ってロビーで鍵が出てくるのを待っている間に、遂に電力復活。明るくなったロビーで各国人みんな拍手で大喝采。

部屋に戻ってお湯を出そうとしてみたが、まだでない。ボイラーはまだ復帰していないようだ。

夕食は、昨日とは違って明るいレストランにて。電気ってすばらしい。

メニューはスープ、メインのチキン、そして、チョコレートケーキ。もちろん、ビールはクスケーニャ。

昨晩は暗くて気が付かなかったけれど、クスケーニャのビンにはインカの石組みが浮き彫りにされていた。さすがはクスコのビール。写真では今一つ分かりませんが……。

 

夕食後にはちょっと街をぶらぶら。ろうそくとランプだけだった昨晩とは異なり、どこも誇らしげに煌々と明かりを灯している。ちなみに、発電所はウルバンバ川の水力発電。鉄道の駅もあるし、マチュピチュの遺跡からも見えた。

しかし、一番下の広場から、坂を上って真っ暗になるところまでいってみたけど、温泉はどこ?

川を渡る橋まで来て星を眺めると、南半球なのに見慣れたオリオン座が。満天の星空ではあったけど、南十字星は見つけられなかった。谷間だから空が狭いんだよな。

 

停電のお詫びなのか、二日目もウェルカムドリンクのチケットをもらったのでバーへ。ここは昨日なみに暗かったけど、重低音のクラブみたいな音楽がかかっていた。

ツアーで一緒のおじさん二人が、ごつい黒人と話をしていた。何を話していたんだか、いえー、さんきゅさんきゅーとかしか聞こえなかった。

部屋に戻ると、やっとお湯が出る。ひゃっほー。

しかし、シャンプーが無い。今朝、水風呂で使ったやつは片付けられているが、補充されていない。フロントに電話するとベッドの上にあるとか言われたが、何もない。フロントまでいくと、やっと係の人が来て、置いていった。きっと、こんな時に水でシャワーを浴びるやつがいるなんて思わなかったんだろう。

 

次の日の朝。朝食にはコンベアトースターが復活。他に、ソーセージ保温機も登場。電気の力ばんざい。

この保温機がおもしろく、10本ぐらいのクルクル回る棒が横に並んでいて、その棒の隙間でソーセージが回っているというもの。ソーセージローラーグリルとかいうらしい。写真とっておけばよかった。

朝食後にもちょっと散歩。そして、遂に温泉発見。坂の一番上がそのまま温泉施設の入り口だったのだ。昨晩は閉鎖されていて真っ暗だったのだろう。営業時間はなんとAM5:00~PM7:00。入浴料は外国人だと10ソルだから3ドルくらい。ペルー人や村人は半額以下。

白人系のお兄さんたちが、どうしようか窓口の前で相談中だった。

後で聞くと、水着着用必須で、ぬる目の温水プールみたいな感じらしい。やはり、日本式の温泉ではないね。

おまけで、街角で気になった看板。「偉大です 手」。うん、偉大だね。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[13] 太陽の門

2016-05-04 10:10:33 | ペルー

昼食はゲート外のサンクチュアリロッジにて。遺跡内は持ち込み禁止なので、ロッジの外でサンドイッチなどを食べている人たちも多い。

ロッジ内はビュッフェになっていて、日本人や中国人、韓国人のグループもいる。野菜のスープと硬いパンがおいしかった。午後からは山登りと聞いていたので、ビールはパス。コカ茶をいただく。歩き疲れた身体にコカ茶がうまい。

ここもまだ停電で薄暗かったのだが、食事中に電力復活。お土産物のショーウィンドウにもライトが点く。これでもう大丈夫だろう。

ロッジ内ではフォルクローレの演奏もしていたが、困ったことに出口に陣取っていて、ロッジを出ようとするとCDを売りつけようとする。別に無視しても問題ないのだけれど、ちょっと気まずい。

 

昼食後、遺跡内へ戻り、見張り小屋から逆向きに登る。マチュピチュへのインカ道をインティプンク(太陽の門)まで。あんなところまで登るのかというくらいの高さ、山の稜線がくぼんだ位置に石垣が見える。

クスコからマチュピチュへ至るインカ道の最後の峠が太陽の門。ここを越えると、休憩所、沐浴所、礼拝所などを経て、マチュピチュへいたる。そこで、来訪者を迎えるのが見張り小屋ということ。

ワイナピチュへの入山は制限されているが、こちら側は特に制限は無いらしく、道もそれほど険しくない。ツアーとしては希望者だけとのことだったが、二組の中高年夫婦共に全員参加。曰く、「きついかもしれないけど、このために来たんだから」と。まあそうだよね。

 

 

マチュピチュからインティプンクまでのインカ道は、古来の石畳舗装になっている。しかし、これは近年修復されたものなのか、明らかな工具跡が残る石も使われているように見える。

左右は熱帯っぽいつる草と、笹なのか竹なのか、とがった葉の植物が下生えになっている。そういえば、竹が壁面に使われているのも見るのだけれど、竹って南米にも自生してるんだっけ?(新大陸熱帯の“タケ連”なる種別らしい)

天候はぽつぽつと雨が降っているような、降っていないような。遺跡もワイナピチュも霧の中に隠れていく。しかし、この雨はすぐに止んでくれた。

道の山側からは、エンジン式の草刈機で草を刈るようなウィンウィンというような音や、不安定な足場がガタつくような音が聞こえる。これはなんと、マチュピチュの街へ続く水路の音だそうだ。かつては石組みで作られていたもので、現在は一部がプラスチックの配管で修復されているのだが、それがこのような大きな音を立てるのだ。

 

道の脇に広場のようなものが見えてくる。笹に埋もれた低い石垣が広場を囲む。これは沐浴場跡地だとのこと。ここで最後に身を清めてマチュピチュの門をくぐる。そういう話を聞くと、マチュピチュの街全体が神社のような感じ。伊勢とか出雲とかを思わせる。

マチュピチュ遺跡は、インカ人がスペイン人から逃げる時にすべての資料を焼き払い、道を壊していったので失われた遺跡となった。それだけ重要な場所だったのだろう。しかし、近隣の村に口述伝承で伝わっている話もあり、公式見解とはちょっと違うらしい。実はこのツアーについてくれたサブガイドのナンシーさんがおばあさんから聞いた話というのもそのひとつ。

ここに沐浴場があったというのも、そうやって伝えられた話なのだそうだ。例によって、真偽のほどはわからない。

 

その先にあるのが奇妙な模様の大きな一枚岩。この岩は特徴的なので麓からでも見分けることができる。この模様は塗料か苔かと思いきや、岩の模様。火成岩が生まれるときに成分の違う鉱物が混じり合わさって、このようなマーブル模様になったらしい。そして、この模様はついさっきも見た。そう、コンドルの神殿の翼の部分だ。あの翼はこの岩から切り出されたものと言われている。マチュピチュにコンドルの神殿が建てられたのは、この岩があったからなのかもしれない。

伝承によるとここは神様にお祈りする礼拝所。一方、公式見解としては人骨が見つかったことから墓であるとのこと。神様の岩ということで、みんなで柏手を打って旅の安全を祈願する。

 


さらに道を進むと、建物の跡が見えてくる。これは旅人の宿泊所。マチュピチュの門は夜間には開かないので、ここで泊まって朝を待ったのだそうだ。

ここで休憩。ホセさんがリュックからビニールの袋を取り出し、中身を風呂敷(!)に広げる。これはなんとコカの葉。ホセさんはコカを噛む。むしゃむしゃ食べる。数枚を齧るのではなく、本当にむしゃむしゃ食べる。ペルーの人々はこうやってコカを噛むのだ。なんでも、ペルー人やボリビア人は、日本への入国の際にひとり1キロだかは持込が特例で許可されているんだとか。本当かね。うらやましい。

コカの葉を一枚いただいて齧ってみたのだが、驚いたことに最初は甘みを感じる。それを噛んでいるうちに、緑茶っぽい香ばしい香りがしてくる。コカ茶は好きだけれど、コカの葉も思ったよりイケるぞ。

 

ゆっくりとインカ道を登ること約2時間。やっと峠の門へ到着。ここからはマチュピチュ遺跡と、そこに至る九十九折の道路を見下ろせる。

大自然の緑の中、台地の上にぽっかりと浮かんだ古代の街の遺跡。インカの人々が見た光景と同じものを見ているのだと考えると、ちょっと感動。

太陽の門の周りにも古代の石垣が点在。ここも段々畑だったのだろうか、それとも、崖崩れ防止のための石垣なのか。

 

そこからまた1時間半かけてマチュピチュまで。今度はちゃんと、クスコからマチュピチュへやってきた旅人の気分で順番にめぐる。お祈りをして、沐浴(の振りを)して、ちょっと敬虔な気分になった。

マチュピチュの入り口、見張り小屋まで来ると、雲が晴れた。朝陽とは逆の角度、西陽に照らされたワイナピチュもまた美しい。

ロッジまで下りてくると、犬たちもお昼寝タイム。みなさんお疲れさまでした。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[12] コンドルの都

2016-05-04 07:15:15 | ペルー

マチュピチュ遺跡の門をくぐると、世界遺産選定や、発見者であるハイラム・ビンガムを記念したプレートが出迎えてくれる。小道の下は崖。ウルバンバ川が削った急激な谷間が見下ろせる。

小道の突き当りからは、インカの石垣が見え始める。そこから階段を登る。周囲を見渡すと、まるで山水画のように、突き出た山と山の間を白い霧が漂っていくのが見える。

見上げると、三角屋根の「見張り小屋」が見える。ここを目指して登っていく。階段の脇ではリャマが草を食んでいる。インカの石垣にリャマとは、梅に鶯くらいの良くできた組み合わせだ。

 

そして、見張り小屋を回り込むと、ついにマチュピチュ遺跡の全景が見えてくる。ガイドのホセさんが見張り小屋の説明をしてくれるが、心はすべて遺跡の中心部へ奪われている。

綺麗に残り、秩序だって並んだ家屋の跡。その間は美しく整備された芝生で埋められている。都市の向こうには切り立った尾根、ワイナピチュが見え、山頂付近を雲が漂っていく。これこそ、いろいろな書物やテレビで見たマチュピチュの本物の光景だ。

見張り小屋からちょっと行ったところにはテラス状になった広場があり、ここがまさに撮影ポイント。ある意味、見慣れたマチュピチュの姿を見ることができる。

遺跡の端はウルバンバ川へ急激に落ち込む急な崖になっている。高所恐怖症でなくても足がすくむほどだ。この崖にも段々畑が作られた跡がある。よくこんなところで畑仕事ができたものだ。

 

 

ここからはマチュピチュ遺跡の内部を探索。

マチュピチュの石垣はクスコで見た、いわゆるインカの石垣ほどきれいには積み上がっていない。それもそのはず、あれほどきれいに積むのは宮殿や神殿だからであって、段々畑の石組みや平民の家屋をあれほどの手間をかけて積み上げるわけにはいかないのだ。確かに言われてみればその通りだ。段々畑の石垣から突き出ているのは階段だそうだ。

斜面を下り、正門と呼ばれる門をくぐる。この正門はさすがにきれいな石組み。この門からワイナピチュを撮るのが定番。みんなで順番に写真を撮る。観光客が多いので、ひとが途切れるときを狙うのが大変。

 

岩がたくさん並んでいるところは復元途中なのかと思いきや、ここがマチュピチュの石切り場。村の中で切り出した石を建材に使っているのだ。こんな高いところまでどうやって石を運んだのかはこれで解決。しかし、硬い花崗岩をどうやって切り出したのかは、正確にはわからないのだという。鋭いノミを使った跡もなく、丸くえぐられた跡だけが残っている。

マチュピチュは自然の地形を利用して建てられているので、地盤としてそのまま山の岩盤が使われてる。巨大な岩がそのまま壁になっていたり、下を掘って天井に使われていたりする。神秘の都というわりには、案外、省エネで作られているようだ。

 

 

建物の中には排水溝が通っている。水はマチュピチュの街よりも高い場所、マチュピチュの尾根から引かれているらしい。マチュピチュというのは、そもそも山の名前であって、その中腹、肩のように張り出した部分にマチュピチュ遺跡はあるのだ。

他の建物と比べて綺麗な石組みになっている場所は宮殿だと言われている。ここには、王様のベッドやトイレと言われる構造物を見ることができる。もちろん、なんのためのものかは正確にはわかっていない。

 

 

クスコで見たような、多角形の石を隙間なく積み上げた建物は太陽の神殿。壁も丸く湾曲していて、明らかに他の建物とは様相が異なっている。壁から突き出したこぶし大の突起は、クスコでも見た影絵の仕組み。冬至や夏至などに影が印となって、季節の到来を告げる。ここでも巨大な石が構造物に取り込まれていて、神官の家と呼ばれる構造物の屋根になっている。

神殿には一枚岩を削って造られた階段が点在している。これも階段として作られたのか、装飾として作られたのか判然としないが、言われているように水や火の力で亀裂や結晶断面を狙って割ったとするならば、こんなに規則正しく加工できるのかという疑問が残る。まさか、これを割らずに削って作ったとでもいうのだろうか。

 

農業試験場後跡と呼ばれる場所には、今でもアボカドや熱帯性の果実など、たくさんの種類の植物が植えられている。“CHMPU-CHIMPU”なんて言われても、どんな植物なのかはわからないけれども。その中にはコカも栽培されていた。収穫前の植物として姿で見たのはこれが初めてかも。

聖なる広場には、これまた巨大な石で作られた石垣と三つ窓の神殿。そして、ボリビアでも見たアンデス・クロス(インディアン・クロス)の元になったと言われる階段状に切り出された岩。さらに、正確に南を指す稜線を持つ岩。ここは宗教的な儀式を行った場所だと言われているが、はたしてどんな儀式だったのかは記録に残っていない。

 

ちょっとした丘の上にあったのは、日時計と呼ばれる岩の彫像。巨大な岩で、日時計というイメージとはちょっと外れるが、上部や横に突き出した突起の影によって日付や時間がわかるようになっているとのこと。日時計やカレンダーならば、わざわざこんなに巨大なものを作らなくてもいいのに。

遺跡を縦断してワイナピチュの麓にたどりつく。ここから先は入山制限があって、一日に登れる人数は400人。今回は高齢者を含むツアーなのでワイナピチュには登らない。急な斜面だけれど、1時間半くらいで登れるらしい。このワイナピチュの山頂にも遺跡がある。というか、見上げると、段々畑なのか、建物なのか、そこかしこに石垣が見える。食料危機でもあって畑が足りなかったのか、それともただの趣味や習慣なのか。

ここにあった一枚岩は、ここから見える聖なる山の形を模したものだという。良く見ると、そんなに山の形は似ていないので、なんとなくそんな形の岩が切り出されたので、ここに持ってきてみたというような感じ。太古の昔にもそういう酔狂なことを考える奴が板野じゃないかと考えるとおもしろい。

 

入口へ戻る方向へ、再び遺跡の探索。水を湛えた皿のように丸い石は天体観測用の水鏡だとされている。しかし、水に映して月や星を観測したとは、ちょっと無理筋のような気が。ちなみに、発見者のビンガムは、石臼だと思っていたらしい。

そしてやってきました。コンドルの神殿。黒い縞模様のある羽根、白い胸飾りとくちばしがリアルに表現されている。実はマチュピチュ遺跡全体はコンドルの形をしているという。また、その他の建築物が遺跡内の石切り場から切り出された岩で作られているのに対し、このコンドルの羽根の部分は遺跡の外から切り出されたものだという。そのため、このコンドルの神殿こそが、マチュピチュの中心であった可能性が高い。

クスコはピューマの形をした街であり、首都であった。マチュピチュはコンドルの形をした街であり、スペイン人からは隠された秘密の宗教都市であった。そこで思い出すのは、インカの象徴であるコンドル、ピューマ、ヘビの三体からなる彫像。アンデス・クロスも三つの角がそれぞれ三つの象徴を簡易的に表すものだとされている。そうであるならば、クスコ、マチュピチュの他に、どこかにヘビの形をした街があったに違いない。それこそが幻の都、エルドラドだったりして。

 

 

そこから、段々畑のリャマを愛でながら再び見張り小屋まで戻って午前の部は終了。

マチュピチュでよく目にしたのは、遺跡を掃除するおじさんたち。石垣の間に生えた草や、段々畑の雑草を丁寧にコテのような道具を使って除去していく。こうやって人力でこの美しさを保っているのだなと思うと感慨深い。こういう地道な作業が無ければ、すぐにビンガムが見たように、ジャングルに埋もれてしまうのだろう。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[11] マチュピチュ到着

2016-05-03 18:30:35 | ペルー

朝食後にちょっとだけ街を散歩。

川沿いの坂道に沿って、各種の店が並ぶ。朝はどこも掃除中。レンガ敷きの道もデッキブラシでゴシゴシ磨く。この街が観光で成り立っているというのを良くわかっているのだろう。

レストランなどの入り口に獰猛な犬の顔をよく見かけるのはどうしてだろうと思ったら、これはピューマ。蛇とコンドルと合わせて、インカの象徴。しかし、見れば見るほど犬に見えるんだが。ピューマってこんな顔してたっけ?

ところで、温泉はどこ?

 

停電のおかげで集合時間になっても暗いロビーから徒歩で出発。メインストリートの坂道を下ると、村のメイン広場に出る。皇帝の像が真ん中にあり、役場や郵便局が並ぶ。まさにソカロというか、アルマス広場というか、中南米では一般的な街のつくり。

街角で日本語や韓国語のメニューが貼られた店もあったが、これはお客さんに書いてもらうんだそうだ。ナイスアイディアだと思った。

途中でマチュピチュへの入場チケットを発券するオフィスもあったが、停電なので発券できないのだとか。ガイドさん曰く、最近は全部オンラインでスマホ(iPhone)が繋がらないと大変だったよとのこと。メールか何かのオフラインのデータで発券してもらえたらしい。良かった。

さらにぐるっと回って、マチュピチュ行きのバス乗り場へ。目印にミニチュアのバスが飾ってあるのがかわいい。

モスグリーンのバスはメルセデスベンツ製だけれど、日の丸が描かれている。ここのバスは国際協力機構JICAが寄付して、マチュピチュまでの道も整備してくれたんだとか。

 

バスに乗ってウルバンバ川を渡り、九十九折の坂を上っていく。川側はガードレールもなく、崖下まっさかさま。途中、帰りのバスとすれ違うのが怖いくらいの道だ。

バス用の道と垂直に、崖をまっすぐに登る階段もついていて、これは歩行者用らしい。そういえば、昔、バスより早い少年の話題がテレビに出ていたが、ここの話だったのか。もちろんあれは下りなわけだけれど。

バスを降りると、そこがマチュピチュ遺跡の入り口。近代的なロッジとトイレ。そして、ジャングルっぽい木製の入り口ゲート。次々に到着するバスから降りる観光客で溢れていく。

 

印刷された紙ペラ一枚の入場チケットを手に、ゲートをくぐる。両脇に笹が生い茂る小道を抜け、石の階段を登ると遺跡が見えてくる。

そして、見張り小屋の横を登り、たどり着いた先には……。

ああ、テレビや雑誌で見た光景だ。

とにかくそれだけしか頭に浮かばないくらいの光景だった。

階段を登って、少し汗ばんだ背中を涼しい風が吹き抜けていく。背筋がぞくぞくするのはそのせいだけではないだろう。朝の光の中、まだ観光客も少ない遺跡が我々を待っていた。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[10] 停電の温泉村

2016-05-03 18:01:23 | ペルー

列車はマチュピチュ駅に到着。この村の正式名称はアグアスカリエンテス。直訳すると、温泉村。なんでも、村の中に温泉があるらしい。時間があったら行ってみよう。

駅の花壇には色とりどりの花が咲き、目の前に迫る崖のような山々はつる草に覆われている。気温こそそんなに高くは無いが、植生は熱帯から亜熱帯にかけての特徴が見える。ここは思ったより熱帯だ。

列車を降りた先はトタン屋根のアーケードのようになっていて、急にバラバラと音がし始め、雨が降ってきた。アーケードの下は、そろそろ店じまいなのか、ポツリポツリとしか明りが無く、商品の片付けが始まっていた。

そこを抜けると大きな川があり、橋を渡る。雨はすでに止みかけており、熱帯のスコールにしても短すぎ。川に沿ったレンガ敷きの坂道がレストランや土産物店の並ぶ村のメインストリートのようだ。そろそろ暗くなっているので、レストランのテーブルには暖かい色のランプが灯り、おしゃれな雰囲気だ。さすが、ペルー屈指の観光地。

 

などと思いながらホテルに入ると、ロビーが薄暗い。というか、ほぼ真っ暗。なんと、村中が停電なのだという。ホテルの話では、明日の朝までには回復するでしょうとのこと。なるほど、今日のアーケードやメインストリートの風景はいつもの夕方とは違うのだな。

足元が暗くなっている中、とりあえず部屋に入る。窓の外には緑の山が迫り、狭い曇り空が見える。停電なので電気は点かない。それ以上に問題なのは、お湯が出ない。ボイラーは別かと思ったが、やはり停電で動かないようだ。しかも、部屋間の内線電話も使えないらしい。

しばらくすると、ホテルの人が部屋にろうそくを持ってきてくれた。まぁ、たまにはこんな感じもいいか。廊下にもろうそくが立てられているので、足元は見える。

食事はレストランにて。レストランには文明の利器、電池式のLEDランプの白い光が。まるで、クラブか何かのような感じ。それでも、割とはっきり見える。ガラスの食器などは返ってキラキラして綺麗なくらいだ。

ビールは昼に飲めなかったので、念願のクスケーニャ(ゴールド)を。これもちゃんと冷えていた。

前菜はサラダ。レタスでくるくる巻かれていて、これまたおしゃれな感じ。メインはマスっぽい魚。盛り付けが妙に偏っているのはわざとなのか失敗なのか。そして、デザートは3種類から選択で、レモンパイを。

LEDの硬い光の演出効果で不思議な空間になっていたが、これまた思いもかけないハプニングで悪くなかった。

 

その後、レストランの隣というか階下(ホテルは坂に建っているのでこういう作りになる)のバーにて、ウェルカムドリンクチケットでここでもピスコサワー。なんだか、どんどんグラスが小さくなっているように思えるのは気のせいか。ここはLEDランプひとつと、ところどころにろうそくで、かなり薄暗い。なんだか怪しい店のようになってしまっていた。

ここで、部屋のろうそくをどうしてきたかという話になり、ちゃんと消してこなかったので慌てて部屋に戻る。特に何も燃えてなかった。良かった。

まだ時間も早かったが、特にすることも無いのでそのまま就寝。早朝出発が多くて時差ボケが続いていたので、そのままぐっすり。

 

起きたのは早朝5時。停電は回復していなかった。蛇口をどちらに捻っても水しか出ない。

山々の間には白い霧。清々しい空気を期待して窓を開けてみると、予想に反してムワッと暖かく湿った空気が入ってくる。ここはやはり熱帯なのか。

待てよ、これぐらい暖かいならば、水でシャワーを浴びられるのでは。

ということで、水浴び。……しかし、やっぱり冷たかった。そして気付いた。ドライヤーが使えない。

そんなわけで、朝食までタオルで頭をゴシゴシとするハメに。

 

朝食はレストランにて。停電のせいで大したものは無いだろうと思ったら、パンとフルーツと飲み物。トースターは無いけれど、それなりにおいしいパンだった。もしかして、停電でもパン釜は使えるのか?

昨夜の話をツアーメンバーと。水風呂を浴びた話をしたら、奇異な目で見られた。

一番悲惨だったのは、昨晩、虫が入ってきて鳴きまくってた部屋があったらしい。暗いのでどこにいるかわからないし、でかい音で鳴くので眠れなかったとか。ご愁傷様です。

さて、今日はマチュピチュに出発だ。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[9] インカレール

2016-05-03 16:44:05 | ペルー

再びバスに乗ってオリャンタイタンボへ。ゆらゆら揺られて気がつくと九十九折りの下り坂。山を越えて盆地のクスコとは反対側へ降りて来たのだが、これがまさに急峻な崖の下。高山感のまったく無いクスコとはうって変わって、岩肌の見える崖の上に低木が生える高山の風景。ああ、アンデスに来たんだと、やっと実感する。

オリャンタイタンボは遺跡の街にして、マチュピチュ行きの列車のターミナル。多くの列車がここからマチュピチュ駅(アグアスカリエンテス)の間を往復している。なんでも、昔はクスコまで来ていたのだが、環境破壊だかなんだかの理由で、ここまでしか来なくなったんだとか。

駅まで行く間に、急な崖に沿って階段状に張り付いている遺跡が見える。あれがオリャンタイタンボ遺跡(オリャンタイ将軍の場所)。今日は登らないけど、マチュピチュから帰ってきたら登るんだってよ。あんな急なところ、大丈夫か。

駅前には土産物屋が縁日のように並んで、カラフルな民芸品や飲食物を売っている。でも、時間が昼下がりのせいか、なんだか売る方も気だるげで、あんまり活気は無かった。

旅行ガイドなどでよく目にする青に黄色いラインの列車はペルーレール。今回利用するのは、ベージュに緑とオレンジのラインが入ったインカレール。チケットを見ると、ビジネスクラスとか書いてあったけど、1クラスしか無いらしい。

列車は4人掛けのボックスシート。椅子は皮張りのソファー。真ん中にパタパタと開閉できるテーブル。天井には窓が空いていて解放的。

人数の関係で、ボックスはエクアドル人カップルと、現地ガイドのホセさん、そして俺。なんだ、この席割り(笑)

ホセさんによると、二人は金持ちの婚前旅行らしい。英語ならまだしも、スペイン語はぜんぜんわからん。

おかげでホセさんとはいろいろな話をする。なんと、日本の出稼ぎ時には羽村に住んでたことがあるとか。でも、羽村市内のひとつ奥の駅、小作は知らなかったみたい。

日本語の漢字が読めないので、ふり仮名を振ってくれというので、ペルー産のジャガイモの種別を紹介したガイドブックに振り仮名振ったり、ペルーの年表の説明をしたり。日本のジャガイモの「インカのめざめ」を紹介もしておいた。次からホセさんが黄色いジャガイモのことを「インカのめざめ」みたいなのとか紹介しているかも。

そんなこんなで、窓から見えるはずの遺跡もすっかり見落としてしまった。まあ、帰りにも見られるからいいか。

列車はウルバンバ川に沿って川を下る。雨季なので川の水量は多め。かなりの濁流だ。車窓は山肌が見える高山地域から、次第に植生が変わりジャングルへと変わっていった。そう、マチュピチュは高山のイメージがあるけれども、クスコからはずっと下流の低地にあるのだ。

途中で飲み物サービス。アンデスドリンクなるものがあったので、それをいただく。ジンジャーエールベースに謎の香辛料が浮いている。味は、まあジンジャーエールと大差なく。

 

 


[SF] 明日と明日

2016-05-03 16:19:15 | SF

『明日と明日』 トマス・スウェターリッチ (ハヤカワ文庫 SF)

 

『SFが読みたい!』のベストSF2105 海外篇12位。

紹介文は読んでいたので、ピッツバーグで〈終末〉と呼ばれる何かが起こって仮想現実の街になっている、ということはわかっていたのだが、それ以外でわけが分からずに序盤で混乱する。

主人公のドミニクは保険か何かの調査員で、仮想現実の街を舞台に調査を行っているようなのだが、これが特殊能力なのか、その時代の誰でも使える能力なのかがわからない。どうやら、誰でも使える能力っぽいのだが、なんで主人公が調査員に選ばれたのかも良くわからない。おまけに、最新の特殊な〈アドウェア〉なんかも貰えてしまって、なんだか奇妙なご都合主義の物語に思えて、最初から読み直してしまった。

100ページぐらいを越えると、やっと世界の有り様が頭に入って来て、スムーズに読めるようになった。

主人公は保険会社からの依頼で過去のアーカイブ(監視カメラや行動履歴の集積)から対象者の行動を割り出し、保険の対象となるのかどうかを査定するのが仕事。その中で調査対象となった少女の履歴が編集されていることに気付いてしまったことが事件のきっかけ。その後のご都合主義に見える展開は、すでに“犯人”の手によって踊らされていたということになる。

この世界の注目すべき点は、出歯亀的ニュースメディアの発展。現実の世界でさえ、何か事件が起これば、被害者や容疑者の子供の頃の文集までもがニュースショーに流れ、匿名掲示板を中心にSNSのアカウントや住所までもが飛び交うという現状にあるが、それをさらに推し進めたのがこの小説の舞台。ひとたび何かがあれば、事件現場の動画から、過去のスキャンダルまでもがメディアに飛び交い、しかも、金儲けのために親が亡き子供のセックスシーンまで売るという酷さ。

しかも〈アドウェア〉との呼称の通り、主機能は広告を強制的に見せられること。その換わりに仮想世界へのアクセスが許される。レコメンドのウザさはもちろん、事件直後にはゴシップスキャンダルのストリーム視聴を勧める広告があふれたりするわけだ。

すべてのものがネットでつながるという未来は、このようなディストピアにつながる可能性もあるが、だからこそプライベート空間をどうやって持つのかというのも一つの問題でもある。しかし、この小説のように、アーカイブとして再生される〈市〉の中で過去を再体験できるというの、それはそれで魅力的。

ネット文化の功罪というのは確かにあって、あまりに大き過ぎるデメリットから悲観的になりがちではあるのだが、メリットを享受することもあるだろう。たとえば、主人公がこんなに深入りする前に、入手した証拠の断片をネットに公開したならば、集合知によってあっさりと犯人を追い詰められたかもしれない。

そう思うのは、俺がネットに親和的で、ちょっと楽観視し過ぎているのだろうか。