神なる冬

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コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 月世界小説

2015-09-17 23:59:59 | SF

『月世界小説』 牧野修 (ハヤカワ文庫 JA)

 

いきなり脱線するが、山田正紀の解説がすばらしく面白い。電車の中だったけれど、「四大福音」の当たりでこらえきれずに吹き出した。最近の山田正紀は長老格になって怖いものがなくなったのか、いい感じで力が抜けて絶好調だ。

その山田正紀もそういえば、そのものずばりストレートなタイトルの『神狩り』でデビューしたのだったな。

この『月世界小説』は牧野修的「神狩り」の話とも言える。また、ニホン人とは何か、ニホン語とは何かというテーマの日本SFでもある。神狩りを成し遂げたニホン人が得た新たな規範が何だったのかというオチにもちょっと笑える。

妄想が妄想を産み、狂気が狂気を導く重層化された世界は「n-1, n, n+1」と表現され、悪夢の中で見る悪夢のように読者を泥沼に引きずりこむ。

この小説の一番の魅力は牧野修的世界描写にあるのだと思うが、これを不条理小説としてではなく、ちゃんと論理的な言語SFとして描いてしまうのだから、牧野修がSF作家で良かったと思える。

小説内ではカミは“しめすへん”が“ネ”ではなく、“示”の「示申」の字体が使われている。これはニホン語のルーツとして本来の“示”を明示するためのものか、はたまた、いわゆるキリスト教的神との混同によるクレームを避けるためか。

しかし、『旧約聖書』やミルトンの『失楽園』を下敷きにしている以上、キリスト教的呪縛からは逃げられないのだが。

そして、そのキリスト教的呪縛(=アメリカによる支配)を打ち破るのがニホン語で語られる物語の力だというのだから、深読みするなといわれてもいくらでも深読みできてしまう。

いくら山田正紀に表層的と一刀両断にされようとも、ニホン人とはニホン語を話す人々であるという定義は、ちょっと深く考えてみる必要があるのではないかと思う。少なくとも、ニホン語話者の思考がニホン語に制限されている、もしくは影響を受けているというのは否定できない側面であろうし、ならば、ニホン語話者という集団を分類することに何の問題があろうか。

もちろん、ニホン語話者以外を疎外し、不利益を与えることはポリティカルコレクトネス的にあってはならないのだが。

たとえば、ノリがいい、おもしろいといわれる関西人は関西弁話者として関西弁が思考や行動に影響を与えた結果ではないのだろうか、とか。

あ、そういう意味では、翻訳ニホン語話者という分類もありそうだな。海外小説ばっかり読んでる人。それはニホン人なのか、なんなのか。