神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[映画] Dr.パルナサスの鏡

2010-02-17 21:05:21 | 映画
『Dr.パルナサスの鏡』 - goo 映画


暇だったので、見てみた(笑)

会場は女性だらけ。うーむ、さすがに人気男優勢ぞろいの巻だなぁ、と思ったら、レディス・デーだった模様。

ネットの評判で、難解とか退屈とかが出ていたのであまり期待していなかったんだが、まぁそれなり。
やっぱり、映画はコメディとかアクションとかじゃないときついか。この映画もコメディっぽいところはあるんだが、弾け方が足りないというか、生真面目に作っちゃった感が……。

鏡の向こうのファンタジー・パートを映画の背景として見てしまえば、三角関係を描いたラブストーリーになる。

ちょっと厳格な父、その父を支える愚直な弟子、そして、突然現われたチョイ悪な風来坊。その間で揺れ動く16歳ヴァレンティナの女心。主演のリリー・コールも西欧的な“いかつさ”がなくて可愛い。

ところが逆に、これらの人間関係を背景とし、Dr.パルナサスと悪魔の駆け引きをメインに見ると、とたんにわけがわからなくなる。

鏡の向こうは想像力が支配する夢の世界。酔っ払いは酒瓶が降って来る世界を見て、子供はお菓子の国を見る。
鏡の向こうへ入り込んだ客は、その中でパルナサスとニックが提供する選択肢を選ばなければならない。これが善悪などのわかりやすいものであるならばいいのだが、なんだか良くわからない。しかも、選択するのが必然ではなく、パルナサスとニックの賭けのために、無理矢理選ばされている感じ。

パルナサスはなりたい理想の自分を見せ、ニックは奥深い欲望を見せるということでいいのか?
それとも、選択肢に意味は無く、選択させることにしか意味は無いのか?

終盤にパルナサスが見る選択肢が「あっち」「こっち」で無意味なところからすると、選択に疲れた現代人の皮肉みたいなものも感じる。(これは字幕の問題で、highとかlowにちゃんと意味があるのかもしれんが)

ニックが悪魔であるのに対して、パルナサスを神として見るレビューもあるんだが、それはちょっと違うと思われ。
パルナサスはニックによって不死にされた被害者であって、決してニックに対抗することにはなりえないんだよね。
逆に、ニックの対極に置くべきは、実はパーシーなんじゃないかとか。あの人、なんでも知っていて、パルナサスを見守っているようにも見える。

鍵はパルナサスの出自となる寺院にあるのだろうが、これまたテリー・ギリアム監督が何を意図したのかが良くわからん。
美術的にはおそらくインドの山奥(出っ歯のはげ頭でコンドールマンが修行している)なんだろうが、映画の中にはあいかわらずおかしな日本趣味(和服デザイン、漢字)も出てくるので、東洋のどこかという意味しか無いかも。
そこでは、世界は寺院の坊さんが物語ることによって維持されているということになっている。どっかで聞いたような設定なんだが、これを悪魔ニックが嘘であると看破する。しかし、もちろん悪魔の言うことなので、これが本当かどうかもわからない。

そうすると、“この世界”自体がそもそも別な世界から見た鏡の中かもという疑惑が出てきて、そうであれば、誰の夢なのかという話に繋がる。

いや、逆に“この世界”は、ただひとりの語り部ではなく、幾人もの人々が欲望のままに選ぶ選択によって成り立っているという意味だったのだろうか。

うーむ。いろいろ解釈はできるんだが、どれもしっくりこない。
それ以上に大問題なのは、盛り上がりに欠けてちょっと退屈だったということか。
結局、どこかに興味が持てないと深く考察もしないしね。





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