日本SF作家クラブ設立50周年記念出版。当然、2013年の出版で、当時うかつにも新刊で買ってしまったのだが、分厚いハードカバーなのに短編集という取り合わせのため、家でゆっくりと腰をすえて読むにも、電車通勤のお供にも不適なので、本棚の奥に放置されたままだった。それが引越しを機に発見され、やっと読まれたというもの。
しかしながら、これが現在の日本SFの最高執筆陣かというと、まったくそういうわけもなく。さらに、各著者にとってもこの収録作品が最高傑作かというと、まったくそういうわけでもなく……。
この手の企画でありがちなように、特にテーマの統一性や、同時代性も感じられず、顔見世興行的な意味しか感じられなかった。
結局のところ、これがSF作家クラブの限界であって、2013年の時点ですら、活きのいい若手や話題の中心となる作家たちはSF作家クラブの外にいたということなのだろう。日本SFの中心は、すでにそこにはなかった。
この企画の直後に瀬名秀明はSF作家クラブ会長を辞任し、クラブも退会。恨み言(問題提起と言え!)を残して隠遁した。
そして、今年2015年の9月に、新会長となったのは、なんと、これまでSFコミュニティとは無縁の藤井太洋だった!
彼はSF作家クラブを改革していけるのか、それともしがらみに巻き込まれて、瀬名氏と同様に疲弊していくのか。興味深く見守りたい。
いや、ほんと、潰れないようにがんばってください。
○「神星伝」 沖方丁
視覚的にはロボットアニメのノベライズながら、文体が文語調という微妙なミスマッチが魅力的な作品。しかし、本当にロボットアニメの第一話レベルで終わってしまっているのが惜しい。
○「黒猫ラ・モールの歴史観と意見」 吉川良太郎
お久しぶりの吉川良太郎は相変わらず猫なのか。大穴に放り込まれたギロチン死体に生えたカビから新たな知性が生まれるという馬鹿SFっぽさはいいのだけれど、それだけで終わってしまった。
○「楽園」 上田早夕里
死者のシミュレーションが導く楽園。人体改造により、従来の共感を超えた相互理解は可能なのか。その先に複数の未来を見せたままのオープンエンドというのはある意味、意地が悪い。
○「チャンナン」 今野敏
空手の歴史的な薀蓄はいいのだけれど、SFとしては弱すぎ。
○「別の世界は可能かもしれない」 山田正紀
共感能力によって人間を操るマウス。種族として、個体としてではなく、遺伝子の乗り物としての生存闘争。タイトルの言葉が作中に出てくるのだが、唐突過ぎて意味がわからなかった。
○「草食の楽園」 小林泰三
第九条主義者と新自由主義者の末路。これはこれで生態系のバランスさえ取れれば、平和な社会になるんだろうけど、草食の親から生まれた子が草食とは限らないので不安定にしかならない。
○「不死の市」 瀬名秀明
ケルト神話を下敷きにした文学的ファンタジー。著者はこの年に日本SF作家クラブ会長を辞任し、SFから離れる宣言をしている。この時期の作品の典型で、文学的表現に気を使いすぎて読者が置いてきぼり。
○「リアリストたち」 山本弘
ネットなどで話題のネタを、アナロジーを用いてその問題を浮き出させるという、著者が得意とする形式。ちょっとキレが悪いし、焦点が散漫な気がした。
○「あな懐かしい蝉の声は」 新井素子
新井素子語には、もはや懐かしさすら覚える。マジ電波受信で蝉の声も聞こえないっていう冗談みたいな話を、ノスタルジーを覚えるような小説に仕立てているところに、作風の老成(円熟と言え!)を感じるのは気のせいか。
○「宇宙縫合」 堀晃
なるほど、縫合ってそういうことか。なんだか理屈が合っているような、おかしいような……。
○「さようならの儀式」 宮部みゆき
日本人が家電製品や日用品をすぐに擬人化してしまうのは、すべてのものに神が宿るという八百万の神の信仰に関係あるのか。この作品はそんなことにあまり関係なく、もっと根源的な知性の可観測性の話。
○「陰熊の家」 夢枕獏
傀儡子もの。バクさんは、もう本格SFには帰ってこないのか。SFマガジンに連載あるけど、あれも拡大解釈してもSFっぽくないよ。