神なる冬

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コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 古代の遺物

2014-09-14 18:33:58 | SF

『古代の遺物』 ジョン・クロウリー (国書刊行会 未来の文学)

 

まさに国書刊行会らしい、名前だけは有名でもなかなか日本に紹介されない作家の短編集。

自分も、『エンジン・サマー』は確かに名作だったけれど、他の作品は読んだことがなかった。

未来の文学はSFの叢書だが、収録されている作品はどちらかというとファンタジーが中心。解説で狭義のSFとされている作品も、宇宙人が出てくる程度で、実際にはファンタジーに近い。狭義のSFと呼んで差支えないのは「雪」ぐらいのものではないか。

しかし、一読して幻想的なファンタジーと読める作品も、深読みするとちゃんと論理的に整合性のあるSFやふつうの小説になっているところが曲者だ。クロウリーの作品は文学的暗喩に満ちていることから、読者に深読みせざるを得なくさせており、ファンタジーと現実の境界を曖昧にしてしまっている。

たとえば、解説において“異属婚を取り扱って対になる”と言われている「異族婚」と「一人の母がすわって歌う」にしたところで、相手が描写の通りの異属なのか、それが文学的暗喩なのかで理解が異なるだろう。特に後者はアイルランドの歴史的背景が強調されているわけだから、海から来た異属は人外の何かであると文字通り解釈する方が難しい。

「シェイクスピアのヒロインたちの少女時代」にしても、実は主人公の女性がシェイクスピアになるという結末(いやそんな小説ではないのだけれど)でさえ、強引とは思えないように感じてしまう。


「古代の遺物」 柴田元幸訳
エジプトのミイラが薬用にされていたというのは聞いていたが、そういえば、動物のミイラもたくさんあったわけだよね。しかし、人間のミイラよりも珍重されない動物のミイラがそんなことに使われていたとは。そりゃ、呪いもかかるだろう。

「彼女が死者に贈るもの」 畔柳和代訳
ゴーストストーリーだと思うんだけど、違うかも。

「訪ねてきた理由」 畔柳和代訳
タイトルとは裏腹に、“訪ねてくる”理由の方がふさわしいかもしれない。時間をとらえるイメージがSF的。

「みどりの子」 畔柳和代訳
道に迷ったと思われる、肌が緑色をした姉弟を拾った神父の話。この話だけではストレートな怪異譚だが、解説では“みどりの子”の科学的解釈も触れられている。

「雪」 畔柳和代訳
虫型カメラ(ワスプ)によるライフログの実現とその問題点の提示、さらには、そこから導き出される増幅された喪失感。先見的でありながら、感動的でもあるSF。

「ミソロンギ1824年」 浅倉久志訳
ギリシャの地で出会った異形なもの。異形を助けることによって、与えられたもの。そして、主人公の名は……。

「異族婚」 浅倉久志訳
異属婚(敢えてこちらの字で)テーマのファンタジーと思いきや、最後の一文ですべてはアナロジーである可能性が示されてハッとする。

「道に迷って、棄てられて」 畔柳和代訳
ヘンゼルとグレーテルを題材にとった再話。

「消えた」 大森望訳
地球にやってきた意図不明の宇宙人とのファーストコンタクト物なのだけれど、解釈によってはホラーにも福音にもなる怪しい小説。

「一人の母がすわって歌う」 畔柳和代訳
「異族婚」と対になるのは、むこうでは女が異属で、こちらは男が異属というだけ。別に表裏にはなっていない、と思う。ただ、異属とされる存在が描写通りの異形なファンタジー存在ではないということはわかる。

「客体と主体の戦争」 畔柳和代訳
意識有るものと、意識無きものとの戦争を描いた作品なのだけれど、これを文字通りに受け取っていいのかよくわからず。さらに、wikipediaの“主体と客体”ページの記載を読みながら、さらに混乱。これはそもそも戦いではない?

「シェイクスピアのヒロインたちの少女時代」 畔柳和代訳
シェイクスピアに魅せられた少年と少女の出会いから恋を描いた作品であるが、シェイクスピアの正体を探るうちに、みずからがシェイクスピアに取り込まれてしまう少女を描くホラー的な味わいもある。明確に語られない細部や、少女とシェイクスピアのいくつもの共通点と、いくつものシェイクスピアの胸像型のゲームの駒が思わせぶりすぎて、どうにでも深読みできそう。