2011荒尾市議選 6期目挑戦19票差で落選 田中ひろはるブログ!

ひろげたい! みどりと 平和と みんなの笑顔を! 新社会党でがんばります!  

三池で流された涙はいまも続いている

2010年03月27日 | その他
1960(昭和35年)年3月29日、いまから50年前に『総労働対総資本』といわれた三池と安保の闘いの中で、暴力団山〇組から刺殺された、三池労組組合員の久保清さんの命日を迎えます。
たまたま今日、三池労組で頑張っていた80歳代の方の家を訪問しまして、そんな話の方向になって当時の体験を聞かせていただきました。
社宅に住んでいたときのこと。職場での出来事。労働組合での学習会や集会の時の事。争議でのできごと。etc・・・・。
時おり流される涙に、50年前の事ですが、いまも当時の事がフラッシュバックのように思い出されたのでしょう。こっちもジーンと熱いものを感じました。
私は1963年生まれですので、目の当たりにしたことはありません。記録フィルムで見たことがある限りで、義父が三池労組四ツ山支部の教宣部に所属していた事で、色んな話しを聞いたことがあります。
私が生まれ育った三池郡高田町(現 みやま市高田町)にも三井社宅や鉱山学校があって、小学校時代の友達がそこに住んでいましたのでその敷地内で遊んだ記憶が今もあります。共同井戸をよく覚えています。中学校になる頃には社宅が撤去され、今では住宅地やB&G体育館やテニスコート、野球場になどに変わっています。
そんな三池で頑張ってきた方々が50周年を迎えられる今日、いまも当時の事は忘れられない記憶として留められています。そしてそのつながりは、三池労組が解散されたいまでさえも築かれています。聞けば、その連絡網は私たちにも計り知れないぐらいのすごいものなんですよ。
しかし、時代は移り変わり、そんなことがあったことを知らない世代が増えてきています。
いま、50周年を記念して大牟田市石炭産業科学館において、当時の写真やチラシなどの収蔵品展が5月16日まで開催されています。行こうと思っています。
三池で闘った時代といまの時代は社会的な裕福さでは違っていますが、労働の面では以前よりも悪くなっています。会社の業績が悪かったら、首を切られるのは当たり前ではないのです。私たちから労働を奪われたら生活ができなくなるのです。自殺者が毎年3万人を超えることなんて無かったのです。
三池で闘ってきた労働者としての誇りを、私たちは受け継いで行かなければなりません。
私は、記録フィルムの映写会を企画して行こうと思います。準備ができたらご連絡いたします。
 皆さん、ホッパーパイプって知っていますか?

第1回海達公子まつりが終了

2010年03月27日 | 地域活動
3月26日は、海達公子の命日。
この日を最後に3月21日から行われた、第1回海達公子まつりが終了しました。
最終日は、ホテルまるよしにて偲ぶ会を催されましたが、私は残念ながら出席する事ができませんでした。本当に残念です。
まつりの運営に携われた実行委員、役員の皆さん、大変お疲れ様でした。
海達公子は、荒尾市が生んだ夭折の天才少女詩人です。
1999年だったと思いますが、私は海達公子の顕彰事業を本市で取り組むべきだと市議会定例会での質問戦で取り上げたこともあります。
その顕彰事業を二小元気会が行い、5回のまつりが行われ、そして今回からは一般社団法人海達公子顕彰会が引き継ぎ、末長く開催されることになりました。
文学散歩道の詩碑建立は8号詩碑まで完成し、そして今度、 9号詩碑が4月1日に除幕式というご案内をいただきました。いたるところに、公子への想いが詰まった詩碑が建立される事に喜んでいます。
万田坑と共に海達公子の名が全国に広まるよう、できる限りの応援をしていきたいと考えています。
会員の募集は随時なされていますので、皆さんも加入されませんか。年会費は、2000円です。