拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

最後になるかもしれない言葉なのに

2013-04-07 | その他


週末は父の入院する病院へ行ってきました。

母親と交代で、ICUにいる父に付き添っていました。


意識が朦朧としており、夢の中の出来事の話(まったく動けないのに今xxxへ行ってきた等)をする父ですが、時折意識が少し戻り、「遺言はお母さんに伝えてあるから」とか、「もう1週間はもたないと思うから、覚悟してくれ」などと言ったりします。


医師からも同じように「覚悟するように」と言われていますが、父にはその事を知らせていない為、「そんな寂しいこと言うなよ。これまでも何度か大変な時を乗り越えて来たのだから、今回も頑張って乗り切ろう」と母と一緒に励ましています。


心から伝えたい「ありがとう」という言葉。

ただそれだけの言葉なのに、本人を目の前にすると「頑張って」という励ましの言葉に変わってしまいます。


本当は呼吸するのも大変で、苦しんでいる父に「もう充分よく頑張った。お疲れ様」と言ってあげたいのに、「たとえ動けなくてもまだ意識があって、少しでも会話ができるうちは1日でも長く生きて欲しい」という母の事を考えると、やはり「もういいよ」とは言えなくて。。。


かろうじて言えたのが、「これまで充分世話になってきて、これから恩返しをするところなんだから」という言葉でした。


でも死に直面している父を目の前にしても、どこかでその現実を受け入れられていないというか、なんだか実感がわかない自分がいます。

酸素吸入はしているものの、呼吸する力もかなり弱くなっており、父の背中をさすったりしたのですが、若い頃がっしりとしたスポーツマン体系だった父が、げっそりと痩せ細り骨と皮だけになっていることに気付かされても、まだどこかこれが夢の中の出来事のような気がしています。

医師に末期宣告をされて1年以上経過し、あと余命3ヶ月と言われてから半年経ったというのに。。。


もう次に会っても会話できない可能性が高いというのに、最後に父にかけた言葉は、いつもと同じ「また来るから」という言葉でした。


なんであの時「ありがとう」という言葉を口にしかけて、そのまま飲み込んでしまったのかと、帰りの新幹線の中で、後悔に似た気持ちを反芻していました。

父の背中をさすったこの手ごしに、父の手を握りしめたこの手ごしに、その気持ちが伝わっていることを、今はただ祈るばかりです。。。






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