シンジへ。
お疲れ~、カズです。
海外の最前線では、日本人同士が手を取り合って、皆で助け合っているのか。
それはすごく素晴らしいことだと思う。
でも相変わらずこのちっぽけな島国の中では、哀しいことに、日本人同士が毎日、足の引っ張り合いをしているよ。
発展途上国を旅していると、常にトラブルと隣り合わせの毎日だから、やられないようにと、いつもオレはピリピリしている。
しかし日本に戻ってくると、何事もなかったのかのような、平和すぎる日常がそこにあって、拍子抜けするのを通り越して、苛立ちすら覚えることがあるんだ。
きっとシンジも、成田空港に到着したら感じるのだと思う。
シンジが日本を離れる前と同じ。日本は何も変わっていないってね。
そう、こんな話がある。
これはまだオレがギター片手に、世界を旅しはじめて間もない頃のこと。
以前オレがタイに、1ヶ月位滞在していた事があったって話したよな。
その時にひょんなことから、バンコクで知り合ったタマサート大学の学生達と、タイ北部をヒッチハイクで旅したことがあったんだ。
まだ旅慣れていなかったオレは、地元のタイ人の方が詳しいだろうと、全部旅のプランをおまかせにしてしまったのだけれど、それが間違いの始まりだった。
チェンマイからヒッチハイクで、トラックの荷台に乗って3時間程走った山の中で、今日はキャンプ場でテントを借りて泊まると、その大学生達に突然言われ、車を降りることになった。
キャンプ場という場所に行ってみると、他に誰もテントをはっておらず、もちろん山で野営をするなんて聞かされていないから、寝袋どころか、防寒具や寝具もなし。
山の中腹にあった山小屋で、テントだけはレンタルできたものの、結局何の準備もないまま、山小屋の管理人に言われた、そこからさらに山を1時間程登った先にある、野原の一角で一泊するはめに。
もちろん事前に何も聞かされていなかったオレは、いったい自分がどこにいるのかも分からない。
しかも結構標高が高い山のようで、誰もがTシャツ1枚だけの真夏のタイなのに、昼間でも結構肌寒く感じる状態。
それでも、大学生達も同じように、寝袋も何も無いにも関わらず、しきりに「大丈夫、大丈夫」って言うものだから、交通手段もなく1人で下山もできないしと、その言葉を信じて一緒にキャンプをすることにしたんだ。
だけどキャンプ場といってもライト1つ無いただの野原で、日が暮れると辺りは真っ暗。
タイ人の大学生達に、懐中電灯とかある?と聞くと、「ろうそくは山小屋でもらったけど、ライター借りるのを忘れた」と笑っている。
それでようやく、こいつらマジでヤバイって気づいたのだけれど、もう日も暮れた後で、時既に遅し。
幸い自分がライターを持っていたので、それでろうそくに火をつけたものの、夜も更けるとぐっと気温が下がって、寒くて皆ガタガタと震えている。
一旦は何とか眠りについたものの、薄手のテントで毛布1枚も無しに、横になっているだけの状態だから、深夜にはあまりの寒さで、皆目が覚めてしまったんだ。
とりあえず、ろうそくの火で暖をとったものの、深夜3時過ぎにはそれも無くなって、持っていた小説を破いては、燃やしてを繰り返して、何とか夜明けを待っていたのだけれど、いよいよ皆限界になり、ライトすら無い真っ暗闇の中、急いでテントをたたんで、山の中腹の山小屋まで急遽下山して、その山小屋で夜明けを待ったんだ。
今思えば、あの時下山せずにいたら、凍死していたかもしれない。
無事に下山した後で、一緒にヒッチハイクをしたタイ人の大学生達に、どうしてこんなことになったのか?って聞くと、「まさか山がこんなに寒いなんて思わなかった」とのこと。
実はその大学生達は、山でキャンプをしたことも、その山へ行くのも初めてだったんだ。
タイの一流の国立大生が、何の下調べも準備もせずに、いきなり山で野宿することは危険だという、そんな基本的なことを知らないのか???って、違う意味で驚いたよ。
知らないってことは当然、"もしもの場合に備える"なんてことはできない。
知らないことの恐さと、知ることの大切さ、そして有事に備え、行動することの大切さを思い知らされた出来事だった。
そして今の日本の国際化対策も、どこかこの話と似ているような気がしているんだ。
ミュージシャンあがりのオレは、一流企業へ正社員で就職する道なんて無かったから、家族を養っていく為に、旅で出会った仲間と一緒に、ベンチャー企業を立ち上げて、今日までやってきた。
でも経営者なんて名ばかりで、実際にやっていることは、家内制手工業の町工場のオヤジと変わらないのだけれど、世界を旅する中で、これから日本の企業はもっと世界に出て行かなくちゃいけないだろう?って思い、オレは旅の仲間や、旅で得たコネクションを使って、中国やアジアへ進出する、中小企業を支援する仕事をしている。
そんな仕事の中で、日々直面しているのは、頭の固いオッサン達に、15年、20年前、へたすりゃ30年前の、インターネットも無い時代の、前世紀のカビた常識をしたり顔で語られて、オレ達の経験談なんて、まったく聞いてもらえず、オレがまだ何も言葉を発していないのに、資料を1ページもめくっていないのに、もうそのオヤジ達の中では、「NO」という答えが決まっていて、ろくに話もさせてもらえない状態で、散々にこき下ろされる事がよくあるよ。
そんなヅラのずれたオッサンに、ピントのずれた説教を喰らわされたりすると、ホントげんなりする。(苦笑)
めまぐるしく世界の情勢が変わっていることも、今までと同じじゃヤバイっててことも、この人達には、まったく理解できないんだって、哀しくなるよ。
でもそのおっさん達の、哀しいまでの視野の狭さと、危機感の無さを目の当たりにすると、タイ北部で遭難しかけた時の大学生達と、なんだか重なって見えるんだよ。オレには。
今シンジが直面している、世界の最前線で起きていることは、自分達が行ったことも無い遠い国の出来事で、自分達には関係ないって、きっと思っているんだろうな。
日々ものすごい勢いで、地球のサイズが小さくなっている現代において、もはやこの国は、外敵が容易に近づくことのできない大海原と、カミカゼに守られた極東の島国ではないってことを、知らないんだ。
そしてこれは、やはり実際に世界に出て、その場で身をもって実感しないと駄目なんだと思う。
いくら言葉や映像で伝えても、所詮テレビの中の映画やゲームのバーチャルな世界を見るのと同じで、それを強く実感することはできないと思うんだ。
シンジみたいに実際に海外の最前線に出て行って、大きな荒波に揉まれるしか無いんだよ。
まずは"それ"を知らないと、次の1歩を踏み出すことなんて、誰もできやしないのだから。
だからシンジの言った、「これからの日本の未来の為に、海外に出て行く敷居は低ければ低いほどいい」という意見には大賛成だ。
故郷を遠く離れた異国の地の、自分達の常識の外側の世界で、達成することが困難な出来事に日々直面して、初めてオレ達日本人は、心から手をとりあって、1つになれるのかもしれないな。
P.S.
そのタイ北部の旅で、オレは生まれて初めて象に乗ったんだ。
象の背中には硬い毛が生えていて、肌も結構ザラザラしていたのを覚えている。
それに驚いて、一緒にヒッチハイクをした大学生に、「びっくりしたよ~!」って話すと、大笑いされた。
タイ人には、「そんなことも知らないのかよ!」っていう感じだったのかもしれないな。
それと、シンジとのFacebookのやりとりから、オレも本当に沢山のものをもらっているよ。
これからも4649!!!
カズより
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