拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

原爆ドーム(広島/日本)

2010-02-21 | 旅メモ&旅フォト(日本)

世界一周の旅で訪れた広島の原爆ドームです。

日本ではこの場所でギター片手に歌いました。


原爆ドームと呼ばれるこの建物は、1915年(大正4年)に広島県物産陳列館として開館され、産業・文化発展の為に利用されていたようです。

そして運命の日。

1945年8月6日午前8時15分17秒に、アメリカ軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が投下した原子爆弾が、この建物の東150メートル、上空約580メートル地点で爆発しました。

そしてこのたった1発の爆弾による死者は、25万人を超えると言われています。


その10年後となる1955年に、この原爆ドーム周辺に平和記念公園が完成し、原爆の恐ろしさを後世に伝えています。




広島の原爆ドームは、1996年にユネスコの世界遺産に登録されました。

しかし登録にあたっての国内推薦に、当時日本の文化庁がアメリカ、中国、韓国を刺激したくないと消極的だったと聞きます。

その原爆ドームの世界遺産登録によって、外交上支障をきたす為好ましくないとする当時の日本の政治動向に対して、市民レベルでの署名運動が起こります。

そして165万人を越える署名を添えた国会請願が衆参両院の本会議で採決され、世界遺産登録が実現しました。




この原爆ドームのユネスコでの登録審議ですが、その際アメリカ合衆国は原爆ドームの世界遺産登録に強く反対し、調査報告書から「世界で初めて使用された核兵器」の文言を削除させました。

また中国は、日本は戦争への反省が足りないと審議を棄権したと聞きます。



この原爆ドームでギター片手に歌った前の週、自分はニューヨークの世界貿易センター跡地で同様に歌っていました。

9.11のテロ事件で多くの自国民を失ったことを悲しんだアメリカは、その後その怒りをぶつけるように、存在しない大量兵器等を理由に、アフガニスタンとイランへ戦争をしかけ、今もそのアフガニスタン、イランでは戦争状態が続いています。

そしてそのアメリカでは、今なおこの原爆投下に対して「あれは戦争終結の為の正当な行為だった」という議論が多数派となっています。


また大戦から65年経過した今なお、日本に対して戦争責任を叫び続ける中国ですが、チベットで自分が目にしたのは、今なお侵略者としてチベット民族を弾圧し続ける中国の姿でした。


歴史は常に勝者の視点で語られますが、自分はこの話題にになる度、言い様の無い矛盾と違和感を感じます。


罪の無い人を殺すことはいけない事ということは、子供でも知っていること。
人殺しは殺人者として罰を受けるということも皆知っています。

しかし戦争になると、多くの罪の無い人を殺しても正当化され、沢山殺した者が英雄と呼ばれることさえあります。



愛する者達を守る為、正義の為と理由は様々ですが、自分はこの世に正義の戦争など存在しないと思っています。

世の中はキレイごとだけではない、それは正論だと思います。

しかし「戦争」、そして近年では「テロ」という言葉で括られる、一方の視点から見た「聖戦」は、その結果を客観的に見れば、「大量殺戮」であり、その選択肢以外にも、必ず解決策は存在することを、長い人類の歴史は我々に伝えています。


かつてガンジーが選び、現在はチベットのダライ・ラマがとっている「非暴力・非服従」もその一例だと思います。



時代と共に歴史は塗り替えられ、その時々の価値観、視点で語られていきます。

しかし起こった過去の事実は変わらず、そして真実は1つです。


世界で唯一の被爆国として、我々日本人はこの負の遺産である原爆ドームを後世に残し、その事実を次の世代へと伝え続ける必要と責任があると思います。