普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

ジョー山中さん追悼

2011-08-07 23:37:09 | 音楽にまつわる話<的>な
 人は死ぬとわかっていても、やはり人の逝去の報に接すると虚しい。
 ジョー山中さんが亡くなった。肺癌。享年64。

 確実に、「戦後」というキーワードを抱えるひとつの時代が終焉し始めているように思う。団塊の世代が担った時代かも。
 ジョー山中さんの死去の報に接し、胸の奥からグワーッと、「戦後」という言葉が襲いかかってきた。

 1945年3月から6月に掛けての沖縄戦、8月6日の広島、9日の長崎を経て、15日には敗戦を迎えた日本。
 団塊の世代とは、戦前の教育を受けた、あるいは戦前戦中の空気を幾許かでも感じたことのある人々とは違い、すぐ側に戦争の残滓がありながら、戦争は傷痍軍人の姿からしか想像することができなかった世代。
 少年雑誌では、いまからは想像もできないだろうが、戦争を否定するのではなく、むしろ戦争礼賛、日本軍部の正当化すらしかねない、そんな特集が組まれていた時代。
 それは昭和40年代まで続いていた。
 だから団塊の世代は、学校の現場では日教組的教育を受けながら、家に戻れば実は戦時教育を受けたのとあまり変わりない精神風土を抱え込んでもいた。
 だからボクは、「心情右翼の行動左翼」と自称していた。
 
 そんな「戦後」という時代の匂いを、ジョー山中さんは持っていた。
 彼が好きか嫌いか、ミュージシャンとして認めるか認めないかなどという瑣末な議論は置いておいて、ジョー山中さんが確実に体現した「戦後」という、歴史のバックグラウンドがあったと思う。ジョー山名さんの歌手としても俳優としても代表作となった、「人間の証明」も「戦後」をキーワードに据えた重い作品だった。

 「戦後」を体現している人が、少しずつ減っている。もちろん様々な理由で生命を失い中有に溶け込んでいっている。
 だから、「戦後」の混沌とした空気感を知るものが創り上げてきた形もそれを支える思想性も哲学も、これからこの日本という時間と空間の場で、明治や大正が失われていったのと同様に、徐々に失われていくのだろうと急に思ってしまったのだよ。

 ご冥福を、ただただ祈る。

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