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東京「昔むかしの」百物語(昭和編)<その62>正月

2021-01-04 18:23:49 | 東京「昔むかしの」百物語
小・中学生の頃、毎年初詣は明治神宮に出かけた。

例年2百数10万人の参拝者が押しかける中、夜通し運行していた電車に乗っていくのが楽しみだった。中学の頃は友達と連れ立って行った。

今ではトンと観なくなった「紅白歌合戦」を眺め、「ゆく年くる年」で一休みし、多分元旦の2時か3時頃に放映された「キングコング」を観て、おもむろに明治神宮に向かう。

5~6年は毎年同じパターンだった。夜深しどころか、夜通し起きていられるのが、なにしろ楽しくて仕方なかった。

そして代々木、原宿と居を構えていた親戚の家に押しかけ、お年玉を受け取り帰るのだ。

2日には改めて家族と原宿の親戚宅へと出かけ、親戚何家族かが集まって正月を祝った。

中央線で荻窪から新宿に向かうのだが、東中野を過ぎ大久保に差し掛かるあたりは、線路が高架(と言っても土手の上だったような気がする)になり、街を見下ろすような景色だった。その風景が大好きだった。その目線から小型のトラックが「初荷」の幟を立てて道を走る様を見かけたのをよく覚えている。

同じ場所は、宴会を終え帰宅する夜になると、闇の中に仄かな明かりが点在し少し高い建物の陰が、なに魔物めいて胸が高鳴った。

昭和の正月はおせちも手作り、松飾も手作り(気の置けない職人が作ったもの)。

正月に許された遊び道具と言えば、トランプ、花札、凧揚げ、羽子板と相場は決まっていた。花札、トランプは本当に一年の正月、それも松の内だけに許された遊びだった。

家族4人で遊ぶことなど、正月だけだった。

みかんを食べながら、炬燵(初めの頃は、電気炬燵などというものはなく、「ねこ」と呼ばれる行火に炭や練炭、豆炭などを入れたものだった)に入り、ぬくぬくと遊ぶカードゲームは、何とも言えず楽しかった。みかんは炬燵の中で温めるとよりおいしさが増した。

そんな正月は、もうない。

ただ我が家は、代替わりした今でも、おせちだけは相変わらず手造りだ。




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